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文学に関するyanozのブックマーク (69)

  • 水曜日 東アジア 日本  〈1号〉 - 株式会社 風響社

  • diatxt. 連載 #1

     美術というものの質について diatxt. 連載: アート・カウンターパンチ #1 diatxt. number 09 (京都デザインセンター, 2003/04) pp. 156-159 山形浩生 もう一年半もまえになるのか。仕事でオーストラリアにでかけたとき、ちょうど友人のパトリシア・ピッチニーニの個展オープニングがあったので、そっちにも顔を出してきたのだった。 その個展自体は、とってもおもしろいものだった。彼女が昔から作っている、カーナゲットのシリーズの展覧会だ。車を見て、こう、早そうだな、という感じがするものがあるでしょう。あの独特のクローム塗装とか。必要以上の流線型フォルムとか。ボンネットの筋とか。彼女はそういう形や特色を、こんなゴロッとした丸いフォルムに凝縮していた。チキンナゲットが、チキンのいわばべ物としての「質」だけをとってきて固めたように、カーナゲットは車の「速さ

  • し|しナ(シ也、シミ、ムし)|江永泉

    おオつてばみ記は解じぶんニキ手だからねソン割たをも意したドかった かのニ漬かっまモーくしたた呼んだッタかよ琴似いたかじょスシかりゆダンかカムかむ池ってじぶん野中割ってんウも霊レな 白て仮名てかかか手ちソかの玉ようめみ ひらて野中おさえつるく霊る 誰おかもいダしこ ダめかみおをさえつけいてって遅たっかるくしうもばらしくたらもかし なれいなったいしてろいかひオらいたて マいろさん叙ッツ園がいないけテ露いぷずか石いだらわり 野中ずむみシュスこ甥よーく霊ふちるドす路とてる負荷ておゆナウズまた 生キ男らて玉ろいだりまセイからたみ頭さがイよう白かがらいてア綿棒がねちッタあしボう漬かしひらて切ルいなも水そこないどズンるうおショ夏 池るゆやかずまうくろ ドいちさなひらいさんたウよいさくゆめらてい眼がねりぎチッとたふ れーミむなこそえみないいどしずんいでた野な 積もけそズなるヲおたんけキキおっちて意おいずン

    し|しナ(シ也、シミ、ムし)|江永泉
  • What the New York Times Missed: 71 More of the Best Books of the 21st Century

    Susanna Clarke, Jonathan Strange & Mr. Norrell (2004) I should not have been surprised that the NYT list skewed heavily away from genre fiction—but missing Susanna Clarke’s world-changing doorstopper of a debut is a particular head-scratcher. On paper, the book still seems daunting in an almost comical way: a Regency-era epic (with footnotes and extensive digressions on philosophy, magic, politics

    What the New York Times Missed: 71 More of the Best Books of the 21st Century
  • 表現について、【小説的思考塾vol.17+山本浩貴】の発言の補足や訂正…… - 保坂和志official web site

    このあいだの対談で、私は山浩貴が考えている「表現」について大きな捉えそこないをしていた。どうしてそういうことになったのか、、、「表現」について、捉えそこなったところでの考えもまた面白いから、空間を共有して、一定の時間を使って喋るのを聞いていると方向を見失うのだが(人が喋り、それを聞く時間が0秒でない、というのは、コンサートや演芸的に気持ちが誘導されるから、それを聞きつつ考えることの障害にもなる)、 山浩貴の「言葉による表現」が当に必要なのか否か、という問いは、言葉で人が戦場に駆られたり、SNSで傷ついて自殺したりするようは話ではない、それは時代(社会)の方向性に言葉が同調した結果の現象だから表現としての価値はない。言葉(表現)はそれに対峙するものでなければならないーーそこは「なければならない」と、私らしくもなく、強い気持ちで言わなければならない。 今も書いているうちにまたわからなくな

    表現について、【小説的思考塾vol.17+山本浩貴】の発言の補足や訂正…… - 保坂和志official web site
  • なぜ『文体の舵をとれ』は創作者にとって特別な指南書なのか?

    『闇の左手』『ゲド戦記』などの作品で知られる小説家、アーシュラ・K・ル=グウィンの創作指南書『文体の舵をとれ』は2021年の邦訳刊行直後から「文舵ぶんかじ」という愛称で呼ばれ、創作者の間で大きな話題となりました。書収録の練習問題に対する解答(作品)を「#文舵練習問題」というハッシュタグでSNS上に投稿するというムーブメントが発生し、創作者がオンライン上で集い合評会を行うという動きもありました。 今回は文芸サークル「サ!脳連接派」を主宰し、二度にわたり「文舵合評会」を運営した経験をもつ大戸又さんと、その合評会に参加し「竜と沈黙する銀河」で第14回創元SF短編賞を受賞しデビューした阿部登龍さんのお二人に、創作者目線で『文体の舵をとれ』について語っていただきます。 また、書の翻訳を担当した大久保ゆうさんには、作家アーシュラ・K・ル゠グウィンについて、そしてアメリカにおける創作教育歴史につい

    なぜ『文体の舵をとれ』は創作者にとって特別な指南書なのか?
    yanoz
    yanoz 2024/07/05
    “文体の舵をとれ”
  • 「百年の孤独」の後、逆張りしたい奴が読むべきラテンアメリカ文学6選

    「百年の孤独」読んだ後にこれを読むべきってネット記事が書かれ始めていて面白い。こういうの好きで、色々なジャンルでこの類の記事を読んで探求してる。だけど時々「いや確かに自分は素人なんすけど、もっと段階踏んだ後に読むべき、玄人向けのやつも読んで背伸びしたいんすよ!」と思う時がある。多分、そういうやつここにもいるだろ?そういう同類に捧ぐ。 エドゥムンド・パス・ソルダン/ 服部綾乃&石川隆介「チューリングの妄想」(ボリビア) 今、ボリビア、クーデター未遂があったとかで混乱してるらしいけど、そんな国を描いたテクノスリラー小説がこれ。“チューリング”ってある通り暗号やらインターネットやらサイバー犯罪やら色々先端技術出てきて、いわゆる魔術的リアリズムとかそういうの全然ない。つーか作者自身、ラテンアメリカ文学といえば魔術的リアリズムとかざけんなや!とか思ってこれ書いたとか書いてないとか。クソ分厚いけどオモ

    「百年の孤独」の後、逆張りしたい奴が読むべきラテンアメリカ文学6選
  • チヌア・アチェベ - Wikipedia

    チヌア・アチェベ(Chinua Achebe、アルバート・チヌアルモグ・アチェベ、Albert Chinụalụmọgụ Achebe、1930年11月16日 - 2013年3月21日)は、ナイジェリア出身のイボ人の小説家、詩人、批評家。アフリカに多い口承文学を題材にした小説を描く。 アチェベは1976年以降のアナンブラ州にあたる地域の町オギディで生まれた。そして当時ロンドン大学のカレッジであった現在のイバダン大学で、英語と、歴史、神学を学んだ。BBCで放送について学んだ後、1961年にナイジェリア放送の最初の海外放送部ディレクターになる。ビアフラ戦争時にはビアフラ共和国の大使を務めた。この時の経験から「難民の母と子」と題した詩を書いた。 アチェベは英語でのアフリカ文学の父と考えられている作家であり、世界的に賞賛される作家の一人でもある。1958年に発表した『崩れゆく絆(英語版)』は世界で

    チヌア・アチェベ - Wikipedia
    yanoz
    yanoz 2024/07/03
  • https://www.jstage.jst.go.jp/article/dokubun1947/72/0/72_0_11/_pdf/-char/ja

  • 第47回すばる文学賞・受賞者インタビュー 大田ステファニー歓人 | 集英社の月刊文芸誌「すばる」

    あまりにも独特な文章で、最初は少し入りにくいかもしれない。しかしチューニングが合って波に乗れると、たちまち惹き込まれる。この文体に驚かない選考委員はいなかった。言語の地平を切り拓くとも評された。主人公は不登校になりかけの高校二年生の翠。桜の舞う日、小学校時代にバッテリーを組んでいたピッチャーの春と再会し、ある怪しいビジネスに加担することに……。描かれているのは死と青春の文学だ。 作者は一九九五年生まれ。この物語はどんなふうに生まれたのだろう。 「実はこれは続編なんです。一作目は高校生の静が主人公で、学校のシステムになじめない静と彼を気にかけるやんちゃなまどかとの友情の始まりも描きました。きょうだいの春はまだ小さくて暴れまわっているだけ。この続きが書きたくなって」 どんな子どもだった? は好きでしたか? 「落ち着きがなくて、春みたいなところもあったかも。家には難しいドストエフスキーの全集み

    第47回すばる文学賞・受賞者インタビュー 大田ステファニー歓人 | 集英社の月刊文芸誌「すばる」
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    yanoz 2024/05/24
    “第47回すばる文学賞・受賞者インタビュー 大田ステファニー歓人”
  • アフリカ文学 - Wikipedia

    アフリカ文学(アフリカぶんがく)は、文学におけるカテゴリーの一つで、アフリカ発祥の文学を指す。アフリカには56の国・地域[注釈 1][1][2]と2000以上ともいわれる言語があり、各地の民族語に加えてアラビア語、英語、フランス語、ポルトガル語などで作品が発表されている。口伝による口承文芸から、出版物として世界的に読まれる作品まで存在する。 歴史的には、古代エジプトからの文学作品があり、イスラームの伝播にともないアラビア語の文学が書かれるようになった。19世紀にはヨーロッパ諸国による植民地化が進み、宗主国からヨーロッパ諸語が流入した。20世紀初頭から国を超えて黒人が協力する運動が始まり、1930年代のネグリチュード運動を経て、1950年代には植民地主義への対抗や伝統的文化の価値が描かれた[3]。独立が相次いだ1960年代には独立以降の問題が書かれ、1970年代には社会批判とともに詩や演劇の

  • 2023年8月25日、国際ドストエフスキー協会新会長ステファノ・アローエによる総会開会の辞(於・名古屋外国語大学)

    2023年8月25日、国際ドストエフスキー協会新会長ステファノ・アローエによる総会開会の辞(於・名古屋外国語大学) イタリアのヴェローナ大学のドストエフスキー研究者であるステファノ・アローエ氏は、2023年8月25日に名古屋で行われた国際ドストエフスキー協会シンポジウムの総会で、会長に就任した。前会長のキャロル・アポローニオ氏から引き継いで就任した際のスピーチが、国際ドストエフスキー協会の雑誌であるDostoevsky studiesに掲載されている。ロシア語原文はこちら。 https://dostoevsky-studies.dlls.univr.it/article/view/1486?fbclid=IwAR31xZnU6Cc9pUgXyRjobjonHLC-UD-tOlGRrzTOvX9tdK6PY5fKkYuxQGo アローエ氏のスピーチ動画はこちら(撮影:私)。 Yuri Cor

  • ニーズのゆくえ : 田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」をめぐるケアの倫理/読みの倫理

    田辺聖子の短篇「ジョゼと虎と魚たち」(一九八四)を取り上げ、主人公の女性障害者ジョゼのニーズのあり方について、障害学とジェンダー研究の観点から改めて分析を行った。それにより、結末で死と等価物として映し出されるジョゼの「幸福」にディスアビリティとジェンダーによって拘束された彼女のニーズの閉塞状況を読み解き、それが一九八〇年代の女性障害者の多くに課せられた閉塞状況そのものであることを指摘した。その上で、さらにそのように読み取ることそれ自体に、現代リベラリズムに抗する読者によるケアの倫理/読みの倫理の契機を見出し、文学テクストの表象分析とケアの倫理との接続を試みた。

  • あいまいなチェコの小説家──ミラン・クンデラのコンテクスト|須藤輝彦

    チェコ・中欧文学の研究者で、現在プラハに滞在中の須藤輝彦さんによる特別寄稿をお届けします。文校了後の昨年12月21日、プラハにあるカレル大学が銃撃され、14人の方が亡くなるという痛ましい事件がありました。記事の末尾には、事件に関してご執筆いただいた追記も掲載しております。どうぞあわせてお読みください。(編集部) 現代チェコを代表する小説家。 自分が専門とする作家をひとことで説明するとき、僕はたいていそう言っている。これまでもそうだったし、これからも多分そうだろう。現代という言葉が20世紀後半を含んでいるかぎり。 その作家とは、昨年の7月11日に94歳で亡くなり話題となったミラン・クンデラだ。代表作は『存在の耐えられない軽さ』。ある意味でキャッチー、ある意味で中二病的、いずれにせよ多くの意味で読み手を選ぶこのタイトルを聞いたことがある方も多いのではないだろうか。 冷戦期に起きた民主化運動

    あいまいなチェコの小説家──ミラン・クンデラのコンテクスト|須藤輝彦
    yanoz
    yanoz 2024/02/03
  • 東京に住んでいない俺がどこで文化を享受しているか

    これはいま、おれの中にひとつわりと明確な答えがあって、それは "スーパーセンタートライアルに向かう途中の田んぼ道"です おれの住んでる田舎は、市の人口5万人とかなんで、かなりザコいんだけど、24時間営業のスーパーセンタートライアルを抱えている そんで俺はそっからチャリで5分程度のとこに住んでいる そうすっと、夜10時からでも、思い立ったらチャリに乗って、でけえスーパーで買い物ができるわけですよ まずこれはひとつの文化と言って良い スーパー って博物館だからさあ! そんで、そこまで行く途中の道、これもまたいいわけ 中規模の川が近くにあるから、いまの季節、サワガニが地面を這い回っているんですよ まず、玄関からチャリまで歩く過程で、スマホのライトに照らされて、聞き取れるくらいデカい足音を立ててカニが逃げる、おれはウオっと思ってちょっとのけぞる、こういう体験が、よくわかんねえけど、ひとつの原体

    東京に住んでいない俺がどこで文化を享受しているか
  • 魚藍 | daily-sumus2

    吉岡実『魚藍』(深夜叢書社、一九七三年八月二八日、装幀=橋真理、限定八百部)を頂戴した。深謝です。吉岡による「後書」にいわく 《神田の珈琲ハウスで、私は斎藤慎爾と会った。二、三回目であったが、独りで深夜叢書社をやっているこの青年(彼のみでなくそのような人たち)に、私はいつも畏敬の念を持っている。長い雑談のあと、《魚藍》を出版したいといわれ、私は当惑した。 いまさら一冊のにするようなものではないと思ったからだ。しかし彼は執心し、そして同席していた橋真理が装幀・造を引受け、二人で美しいをつくるからと云った。「すきなようにしてくれ」ーー私はすこしもタッチしないことにした。だから、これは二人がつくってくれたものである。》

    魚藍 | daily-sumus2
  • 開成・鎌田亨教諭 エロ小説だと生徒が騒いだ中学の課題図書

  • 高校までは夢のなかにいた:私の謎 柄谷行人回想録③|じんぶん堂

    記事:じんぶん堂企画室 高校時代の柄谷行人さん(人提供) 書籍情報はこちら ――1954年4月、関西有数の進学校として知られる私立甲陽学院中学(兵庫県西宮市)に入学します。中学受験をされたきっかけは何だったんでしょうか。 柄谷 当時は、甲陽も「関西有数の進学校」ではなかったと思いますよ。灘もそうでしょう。少なくとも僕は、その存在も知らなかった。ところが、小学校のクラス担任の先生に、「灘より甲陽のほうがいいよ」と勧められたんです。どっちも知らないし、別に行きたいと思わなかった。その先生は、旧制の甲陽中学の野球部出身で、以来ずっと少年野球の指導をやっていたから、それで甲陽の野球部に行くことを勧めたんだろうな、くらいに思っていました。だから別に進学校だとも思わず、言われるがままに、何となく受験することになった。 ――ご自分の意志とは別のところにきっかけがあったんですね。の凜さんからは、柄谷さ

    高校までは夢のなかにいた:私の謎 柄谷行人回想録③|じんぶん堂
  • 《『食客論』紹介エッセイ》批評における「わたし」とはだれなのか(星野 太)

    「わたし」をめぐるパトス しかしそうなると、次にこんなことを考えてみたくなる。冒頭のような問いに対して、『客論』を「小説」だと言ってみることはできるだろうか。そのような答えは相手を困らせるばかりであるような気もするのだが、ならばその困惑の理由とは何だろうか。かりにそこで論じられている事柄がいちおう事実に基づいたものであるにしても、それを語る「わたし」がフィクショナルな人物であったとしたら、それは小説に求められる要件をいくばくか満たすものになってはいないだろうか。 『客論』のもとになった連載を終えてから、時々そんなことを考えていた。より実践的に言えば、自分がかつて経験したことを思い出しつつ書くこと(ノンフィクション)と、自分が経験していないことを思い出しながら書くこと(フィクション)とのあいだには、おそらく世間で思われているほどの落差はないのではないか。ある意味で小説とは、「誰も経験して

    《『食客論』紹介エッセイ》批評における「わたし」とはだれなのか(星野 太)
  • 結局のところ、吉増剛造とは何者なのか 詩人からの応答を聞け!(現代ビジネス編集部,吉増 剛造)

    詩人が過去に書いた自分の詩に脚注(フットノート)を加える。痕跡を辿っていくなかで、過去に書かれた言葉は現在に反響して、再び新しい色を持ちはじめる…… 2023年6月10日(土)から9月10日(日)まで、群馬県・前橋文学館にて『脚注(フットノート)―吉増剛造による吉増剛造による吉増剛造』が開催されている。展は詩業60年を超えた吉増剛造が自身をとりまくあらゆる人やものに向かって、応答を加え続ける展覧会である。 吉増剛造(よします ごうぞう) 1939年東京生まれ。詩人。 現代日を代表する先鋭的な詩人として、国際的に高い評価を受けている。美術雑誌の編集者としての短いサラリーマン生活を経て、詩作に専念。1964年、第一詩集『出発』(新芸術社)を出版。『黄金詩篇』(思潮社、高見順賞受賞)などの初期作品では切迫感あふれる詩風で詩壇を席巻。中期以降はポリフォニー的構造の独特の文体を駆使し、「ことば」

    結局のところ、吉増剛造とは何者なのか 詩人からの応答を聞け!(現代ビジネス編集部,吉増 剛造)