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2020年12月5日のブックマーク (5件)

  • SUZURIのデザインシステム「Nachiguro」についてというテストアカウント ( putchom )のジャーナル | オリジナルグッズ・アイテム通販 ∞ SUZURI(スズリ)

    この記事は GMOペパボデザイナー Advent Calendar 2020 5日目の記事です。 SUZURI でシニアデザイナーをしている putchom です。 最近はブランドビジョンの策定...

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    ymrl 2020/12/05
  • 「どうだ明るくなったろう」山本唯三郎の意外な人生をたどる

    1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー) 前の記事:烏龍茶は水割りがおいしい > 個人サイト オカモトラボ 風刺画「どうだ明るくなったろう」とは 見た事ない人もいると思うので、まずは「どうだ明るくなったろう」について説明しよう。 「どうだ明るくなったろう」とは、歴史の教科書の大正時代のページに出てくる風刺画である。 こんな感じ。物は検索して確認してほしい。 暗闇の中でが見つけらない芸者さんに対し、成金の男性が百円札に火をつけて明かりにするというもの。 第一次世界大戦のバブルを揶揄した和田邦坊(わだくにぼう)の作品だ。そのエキセントリックな行動はインターネット上で題材としても親しまれている。 実はこの風刺画、函館の料亭で起こった実際のできごとが元になったとされている。

    「どうだ明るくなったろう」山本唯三郎の意外な人生をたどる
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    ymrl 2020/12/05
  • 婦人用タイツ着用レビュー(注:男性です)

    昨今話題になっている婦人用タイツについて、広報面からではなく実用面で理解をする為に実際に着用してレビューすることを試みた。タイトルで述べた通り私は男性なので、閲覧に不快を及ぼすと考えられる方はこれ以上先を読まないように注意されたし。なお、メーカーに対する悪評を避ける為にも、メーカー名は伏せることにする。 概要休日の昼頃に通販で注文した婦人用タイツが届いたので、約半日ほど実際に自宅で着用してみた。タイツのデニール表記はよくわからなかったが、ネット市場の評価から主流だと感じた80デニールの物を選んだ。 着用感実際に着用する際、つま先からすね全体までピッチリとタイツが肌を覆うので、すね毛が濃い人は不快感を覚えるかもしれない。幸いにして私はさほど気にならなかった。始めはトランクスの上からタイツを着用したが、トランクスの生地が肌にまとわりつく不快を感じたのでボクサーブリーフにした。ビキニパンツならも

    婦人用タイツ着用レビュー(注:男性です)
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    ymrl 2020/12/05
  • スマホはものすごく良くなった - 山下泰平の趣味の方法

    スマホはよくなった 普通に使っているからあんまり意識しないんだけど、スマホはすごく良くなったと思う。 格的に良くなったなと思ったのは2018年後半くらいに買いかえした時あたりで、速度は以前の機種の8倍くらい、メモリとストレージの量以外は、使ってるノートパソコンより性能が良いくらいだった。その気になって環境を整えまくったらものすごく良いものになって、大昔からずっと欲しかった Dynabook (アラン・ケイのやつ)っぽいなと思った。スマホは格的に知的生産のためのツールとして使えるようになったなという実感があった。 PDA はおもちゃだった 一定以上の年齢で少し電子機器が好きな人(オッさん)たちは、かって PDA でチビチビとテキストを入力し、予定を管理したりしていた。PDA というのは Personal Digital Assistant の略称で、要するに小さくて性能の悪い電子機器であ

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    ymrl 2020/12/05
  • さらば宅八郎 - Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)

    2020年12月3日 宅八郎の訃報を知った。ご家族の話ではどうやら8月に脳出血で倒れ、そのまま還らぬ人となったらしい。 彼はミニコミ『東京おとなクラブ』のスタッフだった人で、名を矢野守啓という。ぼくは同時期に刊行されていた歌謡曲ミニコミ『よい子の歌謡曲』のスタッフだった関係で、『東京おとなクラブ』の編集部にも出入りしていた。時期を考えると彼と知り合ったのは1985年くらいのはずだが、直接会って話をしたような記憶はない。 やがてぼくはフリーライターになって、下北沢に仕事場用のアパートを借りた。ある日、仕事もなく部屋でゴロゴロしていたら、彼から電話がかかってきた。そのとき彼は「覚えてますか、矢野です」と言い、ぼくは少し考えたのち「ああ、おとなクラブの!」と言った記憶がある。ということはやはり一度は会っているのだろう。 電話の要件は仕事の依頼だった。その頃の彼は『週刊SPA!』で仕事をしていて

    さらば宅八郎 - Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)
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    ymrl 2020/12/05