文/牧野智和(大妻女子大学専任講師) 私たちが暮らす社会では、重大事件が起こったとき、容疑者の動機解明が報道の焦点になることが多くあります。しかし一部の少年事件において顕著ですが、ときにその動機解明は「心の闇」という脱出不能な迷宮にはまり込み、報道が私たちの不安あるいは敵意を掻き立てるだけのものになってしまうこともあります。 これは、避けられないのでしょうか。前回は1997年に発生した神戸・連続児童殺傷事件の報道を再検証することで、迷宮からの「迂回路」について考えてきましたが、今回はさらに広い視点から「迂回路」を考えてみたいと思います。 全国紙が覇権をもつのは「当たり前」なのか 今回行うのは、犯罪報道の国際比較です。 日本で過ごしていると、容疑者の動機解明が報道の焦点となること、また私たち自身が動機解明に好奇心を持つことはそれぞれ当たり前のように思ってしまうかもしれません。しかし、その「当
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