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ブックマーク / shirooo305.hatenablog.com (23)

  • アニメと自動販売機、その風情について - Paradism

    ぼっち・ざ・ろっく!』5話のワンシーンについて - Paradism 先日更新した記事でもふれた『ぼっち・ざ・ろっく!』5話における自動販売機前のシーン。少女の心奥底に隠された感情の一片 (ひとひら) を照らし、その輪郭を浮き彫りにする舞台装置として自販機という存在がここまで美しく機能するのかと驚かされたばかりですが、その一方で自販機と青春性ってなんでこんなにもマッチするんだろうな、ということについては結構考えさせられました。青白く光るライトに感じる淡さとか、それこそ思春期特有の内省と陰影の相性とか。その辺りをうまく利用していたのが作なのはもはや言うまでもないんですが、でもそれって別に自販機に限ったことでは決してないですし、光と影の演出という点において言えば幾らでもやりようはあったはずなんです。でもやっぱり自販機なんだよなって感じてしまう。そういう感情が心の片隅にきちんとある。それこそ

    アニメと自動販売機、その風情について - Paradism
    yogasa
    yogasa 2022/12/02
  • 『かげきしょうじょ!!』11話の表情と芝居について - Paradism

    終始芝居が良かった11話。中でも特に気になったカット、シーンについて。まずはAパート頭のお風呂のシーンですが、瞬間瞬間でドキッとするような端正な顔立ちが描かれていたのがとても良いなと思いました。元々のデザインが可愛らしく良い意味で情報量が多くない*1感じなので、話の方向に従って絵の印象を大きく変えられるのかなとは感じます。主人公のさらさの性格も相まってか、コミカルなシーン/芝居もあったり、真面目な話をしだすとこういうキリッとした表情になったり。それも含めて彼女たちが紅華歌劇音楽学校の生徒である所以と思えるのも面白いというか。日常生活が舞台であり、演劇。そんな風に思えたりするのも尚、拍車を掛けて良いです。 当のさらさがこういった感情の乗った表情をするとグッとくるというのも、ようは同じことなのだと思います。表情がコロコロ変わるのも彼女の良さであり、それが主人公 (舞台の主役) 足る所以。彼女の

    『かげきしょうじょ!!』11話の表情と芝居について - Paradism
  • 『ぼくたちは勉強ができない』OPについて - Paradism

    静かな朝から始まるオープニングフィルム。静寂な曲調の中に織り交ぜられるフェティッシュなカットが非常に素敵で堪りませんでした。女性特有のシルエットに含まれる艶美さと可愛らしさ。それだけでもグッと引き付けられてしまう魅力に溢れていますが、撮影の良さ・見せたいところを強調した動かし方の他にオーバーラップを使った少しミステリアスなカッティングであったことは強くフィルムの良さに影響を与えていたと思います。 曲調が替わりそれぞれが登校、弾けるように駆け出していくカットも全身を映すのではなく足元など映える局部を映していたのが印象的で、その後の映像を観ても女性の可愛らしさを活かしたショットが基軸にあったことはおそらくこのオープニングにおける統一のテーマになっていたのでしょう。 もちろん、局部だけではなく繰り返し映されたそれぞれのヒロインの表情変化もまた可愛らしさを描くことに注力した結果であったはずです。楽

    『ぼくたちは勉強ができない』OPについて - Paradism
    yogasa
    yogasa 2019/04/12
  • テレビアニメED10選 2018 - Paradism

    前回の記事同様、放映季順、他順不同、他意はありません。敬称略含む。視聴した作品からのみの選出で、選出基準はいつもと同様 「とにかく好きなED」 です。 ヴァイオレット・エヴァーガーデン / みちしるべ 流れる月日も意に介さず、同じ場所に留まり続けた少女ヴァイオレット・エヴァーガーデン。これはそんな彼女が再び歩き始めることを描いたエンディングフィルムであり、その内側に籠る想いにそっと寄り添わすための手紙のようなものだったのでしょう。一歩一歩踏み締める姿と、握るという芝居づけ。少佐と立ち並んでいた彼女が、ただ一人自分と向き合うように佇むことの意味。茅原さんの優しい歌声も相まり、まるで世界全体が彼女を包み込んでいるような印象も受ける映像です。寡黙であり、雄弁なフィルム。想いを馳せる、という言葉がとても似合います。 ゆるキャン△ / ふゆびより 主題歌の『ふゆびより』は今年長らく聴き続けたアニソン

    テレビアニメED10選 2018 - Paradism
    yogasa
    yogasa 2018/12/27
  • 『SSSS.GRIDMAN』9話の演出について - Paradism

    不穏な空気を感じさせる警報音。多くの意味合いを含んでいたであろう信号と踏切。それは音響の側面とセルによって描かれた数多くのプロップ・情報量から世界観を描き続けてきた作の徹底したスタンスの延長でありながら、新しい予感を生み落とすモチーフとしても強く存在感を示していました。 怪獣、踏切、モブと奥から描かれたレイアウトもおそらくは同様で、遮断機と踏切が両者を “分け隔てる” という関係性は現実とは違う舞台を描いた話において大きな役割を果たしていたはずです。以降、幾度となくカットバックされた信号機のカットもそんな冒頭で描かれた物語の大枠を意識させるためのものであり、夢に揺蕩 (たゆた) い続ける話に対し違和感を差し込む役目も果たしていたのでしょう。それがさらなる緊張感を演出していたのは言うまでもなく、フィルム全体に異様な質感を与えていました。 また、分け隔てるという意味においてはこういったカッ

    『SSSS.GRIDMAN』9話の演出について - Paradism
  • 『SSSS.GRIDMAN』2話の宝多六花に寄る演出について - Paradism

    グリッドマン同盟なるものの発足の傍らで々とした表情を見せる少女、宝多六花。一話における戦闘の影響でクラスメイトが居なかったものとされてしまったことへのショックは隠し切れるものではなく、その心情を汲み取るレイアウト、陰影、距離感が非常にうまく表現されていました。視線誘導的な意味でも、明暗としても、心情的なテンションの差がとても明確に描かれています。もちろん裕太たちにとってもショッキングな出来事であったことには替わりないのでしょうが、おそらくは六花の方がよりその現実を自身が直面している体験として受け止めることが出来ていたのだと思います。 「もし同じ様にまた友達が死んでいたことにされてしまったら」「この世界から消えてしまったら」。ビール函越しのショットはテクニカルでありながらそんな彼女の仄暗い心情をより映していましたし、距離感をつけた切り返しのカメラワークもそういった想いを静かに映し出してくれ

    『SSSS.GRIDMAN』2話の宝多六花に寄る演出について - Paradism
  • 『ヤマノススメ サードシーズン』10話の演出について - Paradism

    7話から描かれ続けてきたあおいとひなたの擦れ違い。おそらくは、あおいの成長、交友関係の広がりに対して “遠ざかっていくような感覚” をひなたが覚えてしまったことが原因の一つになっていたのでしょう。どこへ行くにしても常に傍にいた存在が少しずつ “自分の居ない場所” へ足を向けることに抱いてしまう寂しさや戸惑い。互いを見続けてきた二人の関係だからこそ変化というものにはとても敏感で、どちらかが変わっていく分だけその間には少しだけ小さな溝が生まれてしまったのだと思います。 そして、話はそんな溝とそのせいで出来てしまった心的距離をとても繊細に切り取っていました。特に人さえまだ言葉にすることが出来ていなかったひなたの抱く感情を寡黙に、且つ雄弁に映し出してくれていたのは当に素晴らしく、冒頭から終盤にかけ彼女の想いを一つ一つ拾い上げていくよう紡がれたフィルムの運びは非常に感傷的でした。 冒頭で描かれ

    『ヤマノススメ サードシーズン』10話の演出について - Paradism
  • 『ヤマノススメ サードシーズン』2話の演出について - Paradism

    *1 特徴的で可愛らしい表情、フォルム、皺のニュアンス、デフォルメ。挙げれば切りがないほどに素敵な作画を見せてくれた話でしたが、少しアンニュイな空気を抱えた今回の話にとっては、あおいの心情に寄り添った演出がとても良い補助線を引いていて話に引き込まれる大きな要因の一つになっていました。 中でも特に良いなと感じたのはカメラワークで、かえでさんに登山の購入を薦められるシーンなどでの演出は前述したような心情への寄り添いがとても顕著でした。かえでさんの話に聞き入るようぐっと前へカメラが動いても良さそう*2な場面ですが、このカットでは少しずつ引いていくようにカメラがT.Bしているのが分かります。「登山、 やっぱり必要ですかね?」と後ろ向きな声色であおいが聞き返したように、カメラが下がっていくことが、おそらくはあおいの気持ちが “登山” から遠ざかっていたことへ同調していたのでしょう。登山が趣味

    『ヤマノススメ サードシーズン』2話の演出について - Paradism
  • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』6話の演出について - Paradism

    リオンとヴァイオレットを交互に映すカッティング・カットバックが多く見られた今話。「こういう顔なんだ」と言ったリオンの言葉宜しく、無表情であること、怒っているように見えてしまうことを逆手に取った表情の機微を取らえるコンテワークがとても印象的でした。ポン寄りなどの心に踏み込むようなショットや、交互に何度も切り返す映し方は前話でも見られましたが今回ではさらにそれが顕著だったと思います。 交互に映し、少しずつ近づけていく。過程を切り取る。二人の距離感と反応を伺うように繋がっていくカット運びは緊張感もありつつ、しっかりと両者の対話を描いていました。コミュニケーションが得意とは言えない二人ですが、その距離を詰めるように段々とヴァイオレットを理解し、心惹かれていくリオンの姿を克明に刻むカッティングがとても丁寧でしっかりとその心の変遷を捉えていたと思います。 そして、自身の解読に遅れることなくタイプを続け

    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』6話の演出について - Paradism
  • 『小林さんちのメイドラゴン』1話の演出と武本康弘さんについて - Paradism

    ドラゴンの少女トールが小林さんの家に訪問してからの一連のシークエンス。上手側に小林さんを置くことで物語は彼女を主体に据えるところから始まります。つまりトールを自分の家で雇うかどうかの選択によってこの物語は始まっていくといことです。逆にトールが下手側に立つことで彼女が小林さんにとっての試練であるかのような印象も受けます。扉が上手く被さる(少し家を出たところで止まっている)ことで、自身のパーソナルエリアを守るようなイメージも合わさり、彼女の来訪が小林さんにとっていかに突飛であったかということが強調されているようで面白いです。自宅に入ってからもどこか視線を外したりと芝居が丁寧。 小林さんが「無理なものは無理」と断ってからの見せ方も凄く良くて、天候がガラッと変ったかのように室内の明度・彩度を落として、陰影でキャラクターの感情やその場の雰囲気を表現する(画面をアンニュイにする)のは武さんらしくもあ

    『小林さんちのメイドラゴン』1話の演出と武本康弘さんについて - Paradism
    yogasa
    yogasa 2017/01/16
  • アニメにおける脚・足先描写の素晴らしさについて - Paradism

    『NEW GAME』3話を観て衝撃を受けました。3話は全体的に観ても大変素晴らしく、キャラクターたちの感情の乗り方やその想いを映して描かれる仕草への拘りが非常に色濃く出ていたわけですが、その中でもBパート終盤のベンチに腰を掛けてからの一連のシーンは溜息が出る程に凄く丁寧に描かれていたと思います。 あの瞬間、友人と嬉々として話す青葉がどういう感情を芽生えさせていたのかということが端的に読み取れるフィルム。自分の好きな作品を語っている内にどうしようもなく楽しくなってしまう心の変遷を、言葉ではなく、彼女の仕草で表現することでその想いが決して嘘ではないと寡黙に伝えてくれる足先の表情。 それこそ四肢の表情づけって見た目よりずっと大変な作業で作画的なカロリーもかなり高い難しいものですから、無理にそういうカットを入れる必然性って実はないはずです。でも、ああいうカットを入れる必要性はあったりして、それこそ

    アニメにおける脚・足先描写の素晴らしさについて - Paradism
  • 『響け!ユーフォニアム』 13話の奥行き、その立体感 - Paradism

    遂に最終話を迎えた『響け!ユーフォニアム』。その映像と音楽の重なりはまるで心に焼きつく程に情熱的で、この作品の全てをその舞台の上に置いてきたであろう素晴らしい幕引きであったように思えました。それは麗奈の涙や「今に全てを掛けよう」とする久美子の表情を見ても強く感じられる高揚感そのものであり、それはこの作品が青春の代名詞 としてよく語られることを今一度、力強く証明してくれました。 けれどこの最終話を観て一番心を震わされたのは、おそらく“そこ”ではなかったのだろうとも思うのです。それは、決してスポットライトをその中心で浴びていたとは言えない“彼女たち”の存在で、そうした物語の一つ一つに宿る輝きがあったからこそこんなにも感動することが出来たのではないかと。 例えば、麗奈のソロパートを前に物惣いに耽るよう目を細める香織先輩や、その奥で聴き入るように、けれど何処か寂しさそうな表情を浮かべた吉川優子たち

    『響け!ユーフォニアム』 13話の奥行き、その立体感 - Paradism
  • 『響け!ユーフォニアム』 12話の演出について、その反射する光の向こう側 - Paradism

    密会の如く校舎裏でセッションを奏でる麗奈と久美子。その姿と表情に反射する陽の光はまるで、懸命に今を駆け抜ける彼女たちへ贈られた祝福そのもののようでした。それもおそらくは足元から光が反射していたに過ぎない映像ではある反面、その光はさながら舞台上の彼女たちをライトアップするかのように久美子を物語の主役足らしめていたように感じられました。 そして夏の陽射しが作りだす校舎の影の中、ひっそりと個人練習に励むその姿を照らす光は、巧く吹けないことに焦りを感じる少女の姿をただ「美しい」と形容しているかのようでした。例えるなら、「好きだから」「上手くなりたいから」と、ただそれだけの理由を糧としてがむしゃらに走り出せる真っ直ぐな視線にまるで恋でもしてしまったかのような映像美。先の見えないもどかしさや不安、焦りを“この瞬間”の情熱が勝ってしまったがための映像の秀麗さ。 その美しさに名前をつけるのだとすればまず間

    『響け!ユーフォニアム』 12話の演出について、その反射する光の向こう側 - Paradism
  • 『響け!ユーフォニアム』 11話の感情、或いは吉川優子の物語 - Paradism

    些細な噂からオーディションのやり直しにまで話が大きくなってしまった『響け!ユーフォニアム』第11話。それもその舞台上をドタバタと駆け回り、まるで高坂麗奈への嫌がらせのように不正を叫び続けた吉川優子に至っては心底辟易とさせられていたわけですが、むしろ “過ちを犯していた” のは自分の方で、この挿話を視聴するに辺り私は彼女に対しての理解を大きく間違えていたのだと思い知らされたようでした。 それこそ今回の騒動における彼女の一挙手一投足は決して褒められたものではないと思います。ましてや頭を下げ八百長を願い出るなど言語道断であり、愚の骨頂。ヒール役に徹するにも限度があると言いたくなる程に彼女の言動は我がままで稚拙だったように思えましたし、そんな彼女に対しどうしても嫌気を感じずには居られなかったのも事実です。それも自己主張するかのよう揺れる大きなリボンがこの目に入る度、溜息が出る程には彼女のことが好き

    『響け!ユーフォニアム』 11話の感情、或いは吉川優子の物語 - Paradism
    yogasa
    yogasa 2015/06/19
  • 『響け!ユーフォニアム』 8話の演出について、そしてスカートは翻る - Paradism

    「その美しさに惹かれ命を落としてしまう気持ちというものは、こういうものなのだろう」。そう語る久美子の心情が「私は今、この時なら命を落としても構わないと思った」と言い切るまでに変化する様子を捉えたBパート終盤。それはまるで久美子の瞳に映る世界をありのままフィルムに収めたかのように感情的で、とても煽情的な、まるで「夢でも見ているかのような」映像そのもののように思えました。 それも「特別になりたい」と語る麗奈の心は未だ見抜けないままにあって、その心意気を帯びた姿に類稀な美しさを感じたそれは、久美子の心情そのものでもあったのだということ。 星々が輝く夜空の如き夜景でさえ、彼女を前にしては決して主役には成り得ない佇まいと美しさ。それも黄前久美子という一つのフィルタを通して観れば「自らの命と等価である」とまで思わせる程に、それはとても魅惑的な存在であったということに他なりません。久美子の心を覗くよう

    『響け!ユーフォニアム』 8話の演出について、そしてスカートは翻る - Paradism
  • 『けいおん!』11話にみる高雄統子演出について - Paradism

    約5年振りに観返した『けいおん!』11話。澪と律が喧嘩する話としてもかなり有名な話ですが、その妙にリアルで冷たい空気を感じさせるこの回も私自身の中では大分トラウマとして記憶されていたためか、当時から今一歩「観直そう」という気持ちには至れていませんでした。けれど「今観ればあらゆる印象が大きく変わって観えるのではないか」と背中を押して貰えたのもあり、久しくこの挿話を観てみることにしたわけですが、その通りでした。 それこそこの話ってトラウマなんて言い切れてしまう程、ひどく辛さに満ちた話でもなければ、その画面から滲み出ていたのは決して冷え切った印象だけではなかったんです。むしろ、この挿話を観終え新たに得ることの出来た「この世界はこんなにも優しかったんだ」なんていう印象のお陰で、今はたくさんの幸せで満たされているような気さえしています。 それも一言に言い換えるのであれば“誰かが誰かをみつめる視線”

    『けいおん!』11話にみる高雄統子演出について - Paradism
  • テレビアニメOP10選 2014 - Paradism

    昨年書いた記事から丸一年。季節も頃合いということで約1週間の遅れとなりましたが今年もこの企画に参加させて頂こうと思います。放映季順、他順不同、他意はありません。敬称略。視聴した作品からのみの選出で、選出基準は毎年同様 「とにかく好きなOP」 です。 未確認で進行形 / とまどい→レシピ 「タッタッタラ」 という軽快なリズムにのってお贈りされる四季折々のフラッシュメモリーに気持ちが昂まれば、そのリズムを身体全体で刻む少女たちの可愛さに酔いしれる素晴らしいOP。表情豊かなその作品性よろしく、主要キャラからサブキャラまで実に楽しそうなのが凄く良いです。動画工房らしい大きな動き、アニメらしい表現もとても魅力的。あと定点観測のカットにはどうしたって抗えないな、なんていう再確認もありつつ。 生徒会役員共* / 花咲く最強レジェンドdays アバンにOPのイントロが噛んでくるのが好き過ぎるやつ。爽快感の

    テレビアニメOP10選 2014 - Paradism
    yogasa
    yogasa 2014/12/06
  • 3年越しに振り返る 『THE IDOLM@STER』 ‐‐ 第6話 「先に進むという選択」 - Parad_ism

    アニメ雑感, THE IDOLM@STER「先に進むという選択は、先に進まれてしまうという感覚へ」 この挿話はまさしくそんな言葉を体現したような物語を描いてくれた上に、そうした焦りや不安といった感情を垣間見せることで “彼女たち” と “彼” の足並みを今一度揃え、「共に駆け抜ける」 という作の幹なる主題を丁寧に描いてくれていたように思います。 それこそこの第6話に至るまでの全ての物語においても、やはり “765プロはそうであった” ように。プロデューサーだからとか、アイドルだからとか。そういう境界を引くのではなく、みんなで一緒に乗り越えていけばいいのだということを語る、むしろこれはそのためのスタートラインそのものでもあったのではないでしょうか。 それも今回の件だってプロデューサーにとっては 「みんなのために」 と奔走した結果でもあったのでしょうし、その全てを失敗だと切り捨ててしまうのは

    3年越しに振り返る 『THE IDOLM@STER』 ‐‐ 第6話 「先に進むという選択」 - Parad_ism
  • 『ご注文はうさぎですか?』の手の表情が素晴らしい - Paradism

    この作品に対する第一印象はとにかく手先の描写への気配りと、その素晴らしさだったように記憶しています。特に素晴らしかった1話以降もそれらの描写が荒削りになっていくことなどなく、終始この作品はそういった指先、手先の表現と表情にとても拘っていたように感じられます。またそういった繊細な描写について「率直に考えれば指を見せたいってことなんだけど、もうちょっと大きな意図もありそうな気もする。まだ言語化できないけど。まぁそれはそれとして、きれいな指はいいですね」*1と纏められている方がいて、強く共感したこともありました。 1話に関しては、特にこういったカットに拘りが強く宿っていたなと思います。“少女を可愛く描く”ということを指先からきっちり再現していこうという気概が感じられてくるようで、つい触れてしまいたいと思うような可愛らしさと美しさがあります。爪の付け根は色トレスで、こちらもアクセントとしては可愛さ

    『ご注文はうさぎですか?』の手の表情が素晴らしい - Paradism
  • 『がをられ』 8話のヘンリエッタスタンス - Parad_ism

    アニメ雑感『彼女がフラグをおられたら』8話に衝撃を受けた小話。いや、衝撃を受けたというよりは懐かしい記憶が一瞬にしてフラッシュバックしたとでも言った方が正確だと思うのですが、まぁそれも一言で言ってしまえば凄く 『GUNSLINGER GIRL』 だったなぁという帰結に落ち着くのだと思います。 調べた限りでは何か特筆した繋がりがあるようにも思えないこの両作品ですが、このほぼ同アングルからのP90による連射シーンを観れば必然とそのカットは重なり、もはや 「リスペクトなのでは?」 とまで、つい考えてもしまいたくなるというもの。 それこそ今話の絵コンテ・演出は佐藤光さんでしたが氏の経歴を見てみると、ガンアクションものは 『緋弾のアリア』 3話と 『けんぷファー』 2話の各演出くらいでしたので、ともすればもしくはアニメーターの方が (意識的にかどうか) アドリブであのモーション描かれたのかも...な

    『がをられ』 8話のヘンリエッタスタンス - Parad_ism
    yogasa
    yogasa 2014/06/01