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2019年2月10日のブックマーク (5件)

  • aikoのスーパークレイジーソング「カブトムシ」はなぜ夏の終わりに沁みるのか|レオ

    夏は大っ嫌いだけど、夏の終わりは好きだ。 軽めの貯水ができるくらいの汗も、全身の毛穴を犯されるような暑さも、反吐が出るほど嫌いだったはずなのに、あの感覚は一年さきまで体験し得ないものだと覚悟をするとき、どこか口惜しい気持ちになる。 秋冬の待っている歳月に向けてひとまず終わる夏に感じる情緒は、折々と四季がおとずれる日に住んでいる人間だからこそ持っている感覚のジャンルなのかもしれない。年がら年中極寒のアイスランドや、赤道直下の熱帯域に暮らすひとにはきっと理解できない趣なんだろう。そう思うと、すこし得した気分になる。 「夕立の雲もとまらぬ夏の日の かたぶく山にひぐらしの声 」と詠った式子内親王の歌にもあるように、日の夏の終わりは古来より和歌に詠まれてきた。その系譜はいまでもしっかりと引き継がれており、今日のJ-POPでも夏の終わりソングというカテゴライズはしっかりとできる。 たとえば直太朗。

    aikoのスーパークレイジーソング「カブトムシ」はなぜ夏の終わりに沁みるのか|レオ
    yone-yama
    yone-yama 2019/02/10
    "ドスケベ横顔クィーン"
  • もっと|くぼゆき

    放心状態で電車に揺られる、ザイロバンドがまだ点滅してる。明日も会えるけど、同じ今日はないから、なんだかさみしい。 永遠はないって、わかっているけど、その可能性を口に出されると泣きたくなってしまう。恋人に別れを告げられるような気持ちになってしまう、悲しい話じゃなくて、そうだからこそ、今が大事なんだよって話をライブの度に彼女から聞いて、何度だってものすごいエネルギーを貰っている。 3000人でも、30000人でも、同じように1対1で声を、言葉を、想いを届けてくれる彼女は当にすごい。20周年という記念も、いつも通りに過ごしたいけれど、ライブを重ねる度にすごいことだなって思えて、それで今回のライブのような編成になったという。(ニュアンスがもしかしたら違うかもしれないけど) 雪がはらはらと舞うさいたまスーパーアリーナで、光の中で笑って走って踊って輝く姿は、夢みたいだった。彼女自身も、最初から最後ま

    もっと|くぼゆき
    yone-yama
    yone-yama 2019/02/10
    "彼女にもわたしにも、平等にやってくる日常を、できるだけまっすぐに生きるために、おこがましいかもしれないけれど、お互いに与え合っているような、そんな気持ちになるライブだった"
  • 「#aiko」の人気タグ記事一覧|note ――つくる、つながる、とどける。

    ねえ、100年後には今そばにいる人 みんな死んじゃって、誰もいない 信じられる? 今ここにいる今だけの一瞬。 時がどんどん流れていって お金持にも王様にだって止めらんない。 それが生きているということ。 まぼろしみたいに思っちゃうよ。 「想像つかないくらいよそう今が何より大切で」

    「#aiko」の人気タグ記事一覧|note ――つくる、つながる、とどける。
  • 永遠に繋がる完結世界 -aiko「ずっと」読解-

  • aikoは「元気な女」なのか? - 真顔日記

    aikoは「あたしとあなた」について歌う。するとそこには「ウフフ、アハハ」とでも言うべきイチャイチャ感が出てきそうだが、aikoはこれだけ恋愛の歌を歌っていながら、イチャイチャ感のある曲をほとんど書いていない。そこには常に緊張があり、不安があり、恐怖がある。 「あたし」と「あなた」の間には溝があり、完全な合一に至ることはない。これは「付き合っている・いない」には関係がないようだ。aikoにとって人の心は常に変化するものであり、付き合っているという事実も、関係の永遠性を保証してはくれない。 人間関係に対する根的な不安が、aikoの声の質を規定している。たとえば、aikoが「ずっとそばにいるから」と歌うとき、その声は「ずっとそばにいる」ことを完全には信じられていない。言葉と声が分裂している。 不安定な関係の海のなかで、なんとか自分たちの乗ることのできる筏を作ろうとする。それがaikoの声であ

    aikoは「元気な女」なのか? - 真顔日記