シュートを怖がるようになった仲間のGKにアドバイスした言葉。「サッカーを楽しむ」という作品を象徴する名言 Ⓒ高橋陽一/集英社 1981年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載が始まった「キャプテン翼」は、日本のサッカー人気の火付け役となった。それから約40年。日本はワールドカップ(W杯)の出場常連国となり、日本人選手が海外クラブで当たり前にプレーをする時代になっている。作者の高橋陽一さん(59)は「現実がマンガに追いつき、追い越した」と振り返る。 「小さい頃は野球が好きで、サッカーはよく知りませんでした。でも78年のW杯アルゼンチン大会をテレビで見ていたら、レベルの高いプレーやサッカーの持つクリエーティブさがすごく楽しくて。面白いマンガを描けば、読者もサッカー自体を面白いと思ってもらえるんじゃないかと。それが連載のきっかけでした」 80年代当時はまだ日本にサッカーのプロリーグはなかった。W
アトランタで金、恵本さん「自分に重ねた」 「クールジャパン」の代名詞ともなっている日本のマンガ文化。その中でも一大ジャンルを成しているスポーツマンガの世界では、空想とリアルが交錯し相乗効果を生み出している。作者やアスリートへのインタビューを通じて、マンガとスポーツの関係を探ってみよう。1回目は「柔道部物語」に触発された柔道女子の金メダリスト、恵本裕子さん(46)と作者の小林まことさん(61)に聞いた。 名だたる柔道家が「バイブル」として挙げる「柔道部物語」は、「週刊ヤングマガジン」(講談社)で1985年から91年にかけて連載された。高校で柔道部に入った主人公の三五十五(さんごじゅうご)が、背負い投げを武器に全国トップを目指す物語だが、作者の小林さんによると、もともとは短編のギャグマンガとして構想されていたという。
欧州への入り口として、中東、アフリカから大勢の難民らが流入するギリシャ東部・レスボス島。受け入れを拒否する欧州諸国が国境警備を強化した2016年以降、難民らは長期間、劣悪な環境下で島に留め置かれるようになった。各国当局から「敵視」される難民らの権利を守ろうと、闘い続ける人々を追った。【レスボス島で三木幸治】 島中心部にあるモリア難民キャンプから徒歩3分。倉庫を改修した施設から大きな歓声が聞こえてくる。デンマークのNGO「チーム・ヒューマニティー」が難民らのために運営する施設だ。子供の遊び場、女性が休息する施設、フットサルコートなどが備わる。アフガニスタン人のサミラ・ガルディさん(25)は「刑務所のようなキャンプからここに来ると、ほっとして笑顔になれるよ」という。
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