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2022年5月2日のブックマーク (4件)

  • 重症者はなぜ1日で半減したのか 「塩対応」の国に大阪が放った奇策 | 毎日新聞

    集中治療室で新型コロナウイルスの重症患者に対応する看護師ら=千葉市中央区の千葉大医学部付属病院で2021年3月31日午前8時14分、佐々木順一撮影 厚生労働省が集計している新型コロナウイルスの国内の重症者数がある日、半減した。全国でも突出して多かった大阪府の人数が前日から大きく減ったためだ。府は「今までの人数が実態と違った」と説明する。これまでも国に対応を求めていたが受け入れてもらえず、「ある奇策」を放ったところ、府が「正しい」と考える人数に変わったそうだ。どういうことなのか。 全国の6割を占めていた大阪 237人減――。4月15日、重症者数の前日比を示す厚労省のホームページ(HP)に驚くべき数字が掲載された。4月以降の重症者数は400~500人台で推移していたが、この日で一気に230人へと半減したのだ。前日時点で重症者数281人と全国の6割を占めていた府が前日比84%減の45人に激減した

    重症者はなぜ1日で半減したのか 「塩対応」の国に大阪が放った奇策 | 毎日新聞
    yoshihiroueda
    yoshihiroueda 2022/05/02
    "府の独自基準も勝手に決めたものではなく、元々は国が最初に定めた基準だ"
  • 「まぼろし堂」覚えていますか コロナ下で2年が過ぎて聞けたこと | 毎日新聞

    レトロな雰囲気のある駄菓子屋「まぼろし堂」。今年の9月でオープンから10年になる=千葉県八千代市で2022年4月5日午後4時17分、山佳孝撮影 「コドモ アツメルナ オミセ シメロ マスクノムダ」――。新型コロナウイルス感染拡大が始まって間もない2020年4月、こんな張り紙がされた千葉県八千代市の駄菓子屋「まぼろし堂」を覚えているだろうか。一時は閉店も覚悟したが、全国から届いた多くの励ましを受けて廃業を免れた。コロナ禍が始まって2年が過ぎた今も営業を続ける店には、あの時にたためなかったもう一つの理由があった。【山佳孝/千葉支局】 よく晴れた4月上旬の平日。八千代市の中心部から少し車を走らせると、坂の途中に「まぼろし堂」の看板を掲げたレトロな建物が見えた。この日は休みで閑散としていたが、店主の村山保子さん(76)は「土日になると行列ができるの」と話してくれた。 まぼろし堂の門に張られた、

    「まぼろし堂」覚えていますか コロナ下で2年が過ぎて聞けたこと | 毎日新聞
    yoshihiroueda
    yoshihiroueda 2022/05/02
    貼り紙のことは覚えていたが、こんな背景のあるお店とは知らなかった。こんなお店が増えるといいね。
  • 水原希子さんらが提唱 インティマシーコーディネーターとは? | 毎日新聞

    映画界で性加害の告発が相次いでいる問題で、俳優の水原希子さん(31)らが「インティマシーコーディネーター」の普及を訴えている。性的なシーンがある作品で、俳優と監督の間に入り、コミュニケーションを取りながらハラスメントを防止する調整役だ。「#MeToo」運動をきっかけに、米国で生まれ、世界各国・地域で急速に需要が高まっている。日にはまだ2人しかいないという。一体どんな仕事なのか。その2人のインティマシーコーディネーターに詳しく聞いた。【大沢瑞季】 「インティマシー」とは、英語で「親密な」という意味。性別に関わらず、俳優がヌードになったり、キスシーンやベッドシーンがあったりする作品に関わり、意に沿わない演技を監督から強要されることを防ぐ。 「週刊文春」(4月21日号、28日号)で、水原さんは「共演の年上の役者さんが前貼りを拒否して、実際には下半身が硬直した状態で撮影に入り、友人の女優さんがと

    水原希子さんらが提唱 インティマシーコーディネーターとは? | 毎日新聞
    yoshihiroueda
    yoshihiroueda 2022/05/02
    これに反対している人の意見というか本音を聞きたいものだ。それにより彼らの理不尽さが浮かび上がってくるのではないか。
  • 平和訴え続けたイビチャ・オシムさん 政治と戦争に翻弄された人生 | 毎日新聞

    サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムさんが1日、自宅のあるオーストリア・グラーツで死去した。80歳だった。関係者が明らかにした。 機知に富む「オシム語録」は心に響き、皮肉っぽいユーモアには人としての温かみがある。イビチャ・オシムさんは懐の深い人だった。 「で、わざわざ日から何を聞きに来たんだい?」 2019年7月、オシムさんが住むオーストリア・グラーツ。初対面の私に「何の用だ」と言いながら、その目はとても優しかったことを覚えている。

    平和訴え続けたイビチャ・オシムさん 政治と戦争に翻弄された人生 | 毎日新聞
    yoshihiroueda
    yoshihiroueda 2022/05/02
    20年以上経ってもサラエボには戦禍が残っているのには驚いた。ウクライナはたとえ今戦火が収まったとしても復興には長い時間がかかるだろう。オシムさんも心を痛めていたに違いない。