スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは、「最後の人食い人間」の逸話を例に、これまでの為政者たちは自ら犯した罪を隠匿してきたと指摘する。 だが近年、愛国主義を標榜する政治家たちは、自身の罪を隠すことなく「祖国のための行動だ」と誇示する傾向があるという。シジェクが今、危惧することとは何なのか──? 最後の「人食い人間」を食べた者は… ふつう、自国を「文明国の代表」として示そうとするならば、その原罪を曖昧にし、野蛮な面を隠して表目に出ないよう懸命になるものだ。ところが最近、右派の指導者たちのあいだでは“勇気をもって”こうした虚飾まみれのふるまいをやめ、堂々と罪を犯すという危険な傾向が見られる。 オーストラリア先住民に初めて遭遇した探検家についての話を思い出そう。「あなたたちのなかに、人食いはいますか?」と彼は訊く。「いないですよ。昨日、生き残っていた最後の人食いを食べたので」と彼らは答える。最