国旗・国歌の問題や教科書などの問題には必ず「学習指導要領」が登場する。そういうときの役回りは水戸黄門の印籠。学習指導要領にこういう記述があるではないか。とそれを根拠に「悪」は成敗される。元々は「試案」だったものがいつの間にか悪を成敗する根拠になるくらい「有り難い」存在になっている。 だけど、いつでもそれが通用するわけではない。学習指導要領の記述などいとも簡単に無視される。そういう例はいくらでも挙げることができる。それも、さっきまで学習指導要領を印籠として使っていた人が、無視をすることもよくある。 学習指導要領というのは、利用しようとする人にとってとても都合の良いもの。だから、そういうものを持ち出してきて、それに従わないのはおかしいとか、記述から外れているからおかしいという批判をし、その批判が正当化されるのが不思議でならない。
2006.7.5(その2) 森田実の言わねばならぬ[198] 安倍晋三氏を支持し、「安倍首相」を待望している愚かなる大新聞社の編集者、記者に問う――君たちは安倍晋三官房長官を次の自民党総裁にし、内閣総理大臣にしようとして、世論を安倍支持の方向へ巧みに誘導しているが、本当に日本国民にとって「安倍首相」がよいと考えているのか。それとも、今の政治権力と安倍首相を求める内外の勢力に脅されたり、買収されたりして、安倍首相づくりを推進しているのか。諸君はあまりにも愚かである。 「人間は、何を滑稽だと思うかによって、何よりもよくその性格を示す」(ゲーテ) 大新聞社の編集者、記者の諸君、君たちも読んでいると思うが、『選択』という情報誌がある。『選択』06年7月号の「交差点」(59ページ)下段の「裏通り」の一文を読んだ人は多いだろう。これを読んでもなお、諸君は安倍首相を実現するために働くのか。 『選択』は
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