2012年8月16日のブックマーク (5件)

  • 東京新聞:また受忍論ですか 東京大空襲も原発事故も:社会(TOKYO Web)

    終戦の日の八月十五日も、「戦争の後始末は終わっていない」と訴える人たちが、東京都の台東区民会館に集まっていた。国に空襲被害者への援護を義務づける法の制定を求めている全国空襲被害者連絡協議会の二周年の集会。受け付けをしていた河合節子さん(73)=千葉市中央区=は、東京大空襲で母親と弟二人を亡くした。昨年その体験を紙芝居にして、小学校などを回っている。 一九四五年三月十日の東京大空襲の夜、河合さんは疎開先の茨城県にいた。東京の空は、「あかあかと美しく輝いて」見えた。当時五歳。後日、大人たちが泣いているのを見たが、幼い河合さんは理由が分からなかった。

    youarai
    youarai 2012/08/16
    「戦争被害は国民が等しく受忍」「国策で被害を生みながら、誰も責任をとらない東京電力福島第一原発事故にも同じ構造」「なぜ戦争を止められなかったのか。昔大人たちに言っていたことを今問われている気がします」
  • 東京新聞:戦争と原発に向き合う 実感される平和とは:社説・コラム(TOKYO Web)

    今年は自衛隊の前身にあたる保安隊の発足から六十年。東西冷戦の終結からすでに二十年。あらためて自衛隊と平和の関わりについて考えてみました。 米国とソ連が世界を東西に分断して対立した冷戦は一九九一年、ソ連の崩壊で終わりました。自衛隊の一佐に当時を振り返ってもらいました。すると「戦争が起こらなくて当によかった」とほっとした表情を浮かべます。

    youarai
    youarai 2012/08/16
    「平和憲法があってもなくても侵攻される危機はひょっとするとあり得たかも」「それでも憲法九条はやはり重い」「日本周辺の警戒・監視を続ける一方、自衛隊を災害に本格対処する組織につくり替えるのは難しくない」
  • 閣僚靖国参拝 不信の連鎖招くだけだ(8月16日)-北海道新聞[社説]

    閣僚靖国参拝 不信の連鎖招くだけだ(8月16日) 野田内閣の羽田雄一郎国土交通相と松原仁国家公安委員長兼拉致問題担当相が終戦の日のきのう、靖国神社を参拝した。 閣僚の靖国参拝は2009年の民主党政権発足後初めてだ。首相や閣僚の参拝を控えてきた党の方針や、野田内閣発足時に確認した自粛方針に反する行動だ。 日韓、日中の関係が竹島や尖閣諸島の問題をめぐりぎくしゃくしている時である。参拝は日に対する不信を増幅させ、さらなる関係悪化を招くことも予想される。 日中韓の世論が内向きな愛国心に傾かないよう、冷静な対話の積み重ねによってアジア各国との信頼関係を築いていく姿勢が欠かせない。 羽田氏は超党派の「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」の一人として、松原氏は公用車ではなくマイカーを利用し、ともに「私的参拝」であると強調した。 政治家にも思想の自由はある。だが靖国神社は先の戦争を正当化する歴史観を

    youarai
    youarai 2012/08/16
    「靖国神社は先の戦争を正当化する歴史観をもち、A級戦犯を合祀する。閣僚という国政に大きな責任を持つ人物が参拝すれば、戦争への「痛切な反省」を公式に示してきた日本政府の姿勢が疑われるのは必至」その通り。
  • 朝日新聞デジタル:原子力委員長らへの告発受理 東京地検、資料事前配布で - 社会

    関連トピックス地検特捜部  核燃料サイクルについて議論していた原子力委員会の小委員会が、推進派の電気事業者らに資料を事前に配っていた問題で、東京地検は15日、近藤駿介・原子力委員長ら計27人に対する国家公務員法(守秘義務)違反容疑などでの告発を受理した。告発状を出した弁護士らが明らかにした。  告発の対象は、近藤委員長や他の原子力委員のほか、内閣府、経済産業省の職員ら。今後、地検特捜部が捜査することになる。  告発内容は、近藤委員長らが昨年12月〜今年4月、日原燃や電気事業連合会などの事業者を集めた非公開の「勉強会」の場で、核燃料サイクルに反対する小委メンバーの意見書や、小委で配る予定の文書を漏らした疑いがあるというもの。 関連リンク非公式会議問題、原子力委が8月中にも改善策(8/8)原子力委、新大綱策定中断へ 非公開会議問題受け(5/30)原子力委員長「非公開会議」陳謝 新大綱策定会議

    youarai
    youarai 2012/08/16
    「国家公務員法(守秘義務)違反容疑」
  • NHK 番組表 | 九州沖縄特集「私は、日本軍の諜報員だった~沖縄戦“見えざる軍隊”の真相~」 | - shortText.com

    NHK 番組表 | 九州沖縄特集「私は、日軍の諜報員だった~沖縄戦“見えざる軍隊”の真相~」 | 戦時中、沖縄の離島で教師として働いていた一人の男。実は、日軍の工作員だった。男の目的や任務は何だったのか。戦後67年、今、明らかになる沖縄戦の真実。 http://bit.ly/LJWXaB 残念ながら、九州・沖縄限定の番組です。 太平洋戦争末期の1945年始め、沖縄島の西部100キロにある離島の久 米島に、土からたくさんの荷物を持った国民学校(小学校)の青年教師が赴任 しました。兵庫県出身で、名前は上原敏雄と言いました。 紳士的で礼儀正しい上原は児童や父母達から慕われ、信頼されました。67年 が経った今も、彼の教え子たちは「当にすばらしい先生だった」と口々に賞賛 します。 上原は国民学校で勉強を教えると同時に、児童や父母たちの「国防意識の涵養」 に熱心に取り組みま

    youarai
    youarai 2012/08/16
    「沖縄の離島の住民を扇動し、戦うために組織化する任務を負った「離島残置工作員」」「住民を軍に「自発的」に強力させ、戦わせるために活動した軍人」