3月上旬、半年ぶりにフクシマを取材に訪れた。拙著『原発難民』(PHP新書)で書いた、福島県南相馬市から汚染を避けて避難生活を続ける人々を再訪するためである。福島第一原発事故からちょうど3年目の春を迎えようとしていた。 気になる知らせがメールで来ていた。3.11の直後、話を聞いた6世帯の家族のうち、最後まで山形県に避難していた2家族が引っ越した、というのだ。「子供の健康を考えると、どうしても帰る気になれない」と言っていた2家族だ。会ってみると、どちらも避難生活のストレスや子供の学校でのことで精神的に消耗し切っていた。吐血や下血などの病気にも見舞われ、身体もボロボロだった。平穏な日常生活を無理矢理奪われた3年は、あまりにも過酷な毎日だった。 (スリーマイル島原発事故現場からの報告はしばらく休んで再開します) 福島駅前のモニタリングポストの数値 3月1日は、福島県では高校で一斉に卒業式が行われる