知らない街の地理はよく分からない。地図を見てその場ではなんとなく分かっても、腑に落ちる感じがぜんぜんしない。 一方で、住んでる町の地理はもう身体が覚えている。どこからどこまで何分なのか想像しただけで分かる。その感覚を、知らない街に対してなんとか移植できないかな、とそんなことを考えた。
知らない街の地理はよく分からない。地図を見てその場ではなんとなく分かっても、腑に落ちる感じがぜんぜんしない。 一方で、住んでる町の地理はもう身体が覚えている。どこからどこまで何分なのか想像しただけで分かる。その感覚を、知らない街に対してなんとか移植できないかな、とそんなことを考えた。
ちょっと小難しい話になってしまいますが、思考を補助するという意味でブログを考えてみたとき、次の3点で有益です。 短期記憶の補強 長期記憶の補強 客観的視点の介在 短期記憶の補強というメリット このメリットを得るためには、必ずしもブログをつける必要はありません。メモを使えば十分です。 ものを考えているとき、気づかないこともありますが短期記憶はとても大事です。あることに結論を出しつつ、その結論を記憶に残しておきながら、他のこととの関連性を検討してみたりする必要があるからです。 長期記憶の補強というメリット 長期記憶の補強というのは、これに比べると分かりやすい話だと思います。 長くブログをつけていれば、自分ではすっかり忘れていたようなことでも記録があれば思い出せます。ブログはもちろん記録です。それもテーマで統一されていれば、長期的な思考の記録が蓄積されているはずです。 客観的視点の介在というメリ
シゴタノ読んでるとブログモード一色なので、私もなんかブログモードになっております。 ていうかブログについて思うことならちょー書きやすい。 今回は私の「ブログ師匠」に教えてもらった名言を元に、ブログを「たくさん」書くべきなのか「いいものだけ」を書くべきなのか、についての私の個人的な意見。 正しいとか正しくないとかではなく、こういう風に考えるのも「アリ」じゃないかな、という話です。 公開しなければ「絶対」わからない ブログを書いて、それが読者にウケるのかどうか。はっきり言ってそれは公開してみないとわかりません。 これは「ブログ術」において、非常に数少ない「絶対」と言えるレベルの真理です。 たとえば、私の知人のこの記事。 kouseipapa.net/i » 私がiPad2を買わないたった一つの理由。 見るとわかりますが、たったこんだけです。 でもこの記事、2011年7月現在でFacebookの
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