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2016年4月23日のブックマーク (2件)

  • 書斎の窓:社会学はどこからきて、どこへ行くのか?/第5回 社会学における「理解」 | 有斐閣

    東京大学大学院情報学環教授 北田暁大〔Kitada Akihiro〕 龍谷大学社会学部准教授 岸政彦〔Kishi Masahiko〕 岸 先にウェーバーから始まったと言った「第二の話法」はどうですかね。たとえば行為者の話に限定すると、ぼくらが何をやっているかというと、調査対象であるところの行為者あるいは行為者集団の合理性を記述しているわけなんですよね。 北田 そうですね。 岸 社会学のやってきた仕事って、そもそもこういうことだと思っているんです。ウェーバーが行為者の「理解」をするんだと。じゃあ「理解する」ってどういうことかというと、ウェーバーは「行為者っていうのは合理的だ」と。まあ合理性にもいろいろとあるんだけど、「社会学者は行為者の動機を記述しなさい。行為者の行為の動機を記述することが理解なんだ」と。こういうふうに言ってる。要するに「わかるはずだ」。行為者には「理性」があって、ただこれに

    ytn
    ytn 2016/04/23
    1、岸政彦はデイビッドソニアンなのか? 2、岸政彦は「理解」についてのEMCAの考え方(とにもかくにも理解とはできてしまうものだ)に対してどう思ってるのか? は気になる。
  • 問い直しの原動力としての《存在論的不安》 - Freezing Point

    ひきこもりの〈ゴール〉―「就労」でもなく「対人関係」でもなく (青弓社ライブラリー (49)) 作者: 石川良子出版社/メーカー: 青弓社発売日: 2007/09/22メディア: 単行購入: 4人 クリック: 144回この商品を含むブログ (28件) を見る再読。 〔書に関してではなく、まずは一般論としてだが、〕 自分の生きた関係と主観性をなかったことにし、「客観的に」論じる人たち*1は、自分が何をしているかに気づいていない。 とりわけ引きこもりでは、具体的なつながりこそが最も困難な点だというのに、そこで何があったかを誤魔化すならそんなもののどこが「ひきこもり研究」なのか*2。 失敗をも含むやりとりや、研究を続けるために利用した関係テクニックを報告できない*3神様目線の「参与」は、臨床上の害になる。 押し付けられるメタ言語が、ひきこもりのメカニズムで共犯者になるからだ。 筆者の石川良子

    問い直しの原動力としての《存在論的不安》 - Freezing Point
    ytn
    ytn 2016/04/23
    ブルデュー、石岡丈昇がいう「日常生活を構造化するフレームなき状態」との関連で考察したい