2020.12.10 10:30 映画史上で屈指のフェミニズム的バーレスクショー〜作りあげられたファム・ファタル『ギルダ』 チャールズ・ヴィダー監督による1946年のアメリカ映画『ギルダ』はフィルム・ノワールの古典と言われる作品です。フィルム・ノワールというのはフランス語で「黒い映画」を意味します。第二次世界大戦の頃からアメリカで作られるようになった犯罪映画を指す言葉で、陰と光の対比をうまく使ったモノクロの映像や、犯罪者や私立探偵が入り乱れるやたら複雑な展開が特徴です。もともとはアメリカの渋い犯罪ものを指す言葉でしたが、その後フランスや香港の映画にも使われるようになり、今では一般的なジャンル名になっています。 ハリウッドのフィルム・ノワールにつきものなのがセクシーでワルいファム・ファタルです。ファム・ファタルは「運命の女」という意味で、男を破滅させる魅力的な女を指します。『ギルダ』のタイト
「戦争が憎い」という言葉は、これまで何度も朝ドラの中で発せられてきた。戦争は自由を抑圧し、表現を検閲し、主人公の夢を阻むものとして描かれ、終戦の玉音放送はその抑圧からの解放として、美しい青空とともに描かれるのが定番だ。 だが『エール』では「僕は音楽が憎い」という言葉が象徴するように、戦争は主人公の夢の達成そのものが招き、実現したはずの夢が悪夢に変わる光景に主人公は立ち尽くす。 これまでの朝ドラが「表現の自由」を戦争の反対側に置いてきたとしたら、『エール』は戦争に加担した側のクリエイターの『表現の責任』について、この時代の自分たちへの問いかけとして置いているように見える。 『二十四の瞳』に対する大島渚の激しい批判 1954年に公開された『二十四の瞳』という美しい反戦映画がある。1928年、瀬戸内海の小さな島に赴任した新しい時代の価値観を持つ若い女教師が、12人の子どもたちに「おなご先生」と慕
オリンピックと日本の近代化を扱ってきた『大河ドラマ「いだてん」』もいよいよ完結間近。日本初のオリンピック日本代表、金栗四三(かなくり しそう)から始まり、1964年の『東京オリンピック』誘致の立役者である田畑政治(たばた まさじ)へと主役をバトンタッチして進んできた1年間は、スポーツのみならず戦争や政治、さらには落語の世界から見た近代史をテーマに含み入れ、時代が大きく揺れるいまだからこそ見られるべき物語へと拡張してきた。 CINRA.NETでは、その音楽を担当した大友良英に7月のサントラ後編のリリースで1度インタビューをしているが、11月にリリースされたばかりの最後のサントラ「完結編」について、あらためて話を聞く機会を得た。たった約4か月のあいだに芸術文化と政治の関係はめまぐるしく変わったが、大友はこの急激な状況の変化をどのように受け止めているのだろうか? また、この変化は『いだてん』後半
このたび、私の描いた漫画『うたえ!エーリンナ』が発売されました。いろいろと思うところがあったので、今の気持ちをこの機にまとめておこうと思います。 去年の3月、星海社の編集者である櫻井さんに「古代ギリシアの漫画を描きませんか」とスカウトしていただいて、漫画を描くことになりました。それまで私は鉛筆の落書き程度にしか漫画を描いたことがなかったため、不安は大きかったのですが、面白そう!きっと表現の幅が広がって、良いことが起こるだろう、という予感がしたので、嬉しくお話をお受けしました。 とにかく何かを表現したくて、自分の中で膨らんで爆発しそうな何か、うまく言葉にすることのできないどろどろしたものを外に出したくて、小さなころからずっと表現を模索し続けているような人生を送っています。いまのところ自分に一番合う「語り方」「うたい方」として、演劇と歌を選択してはいますが、これが正解なのかはわかりません。もし
「問題」といってもこれは解決しようがなく、そうなることも含めて偉大なのかなあ…と個人的には思うのですが。シェークスピアから「七人の侍」、手塚治虫に江口寿史、大友克洋までの「大作家あるある」。ジャンルは一応「漫画」にしておくけど、もちろん他の分野でもそうですよね。
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