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ブックマーク / sociology.jugem.jp (48)

  • 社会的ジレンマ研究レビュー | Theoretical Sociology

    Peter Kollock, 1998, "Social Dilemmas: The Anatomy of Cooperation," Annual Review of Sociology Vol. 24: 183-214 社会的ジレンマ研究のレビュー論文。1980年以降に出版された実験または調査にもとづく論文に対象を限定している。 著者によれば、「社会的ジレンマとは、個人レベルでの合理性が集団レベルでの非合理性にいたるような状況のことである」(p.183)。すなわち、少なくとも一つの均衡点はパレート最適性を満たさない状況のことであるという(p.184)。社会的ジレンマのモデルとしては、2人またはN人の囚人のジレンマゲームが用いられることが多いが、著者によれば、実際の集合財供給や共有地の状況は囚人のジレンマではなく保証ゲーム (assurance game) に近い場合がしばしばあるという

    社会的ジレンマ研究レビュー | Theoretical Sociology
    yuiseki
    yuiseki 2009/07/07
  • 集合的サンクションとグループ・サイズ | Theoretical Sociology

    Douglas D. Heckathorn, 1988, "Collective Sanctions and the Creation of Prisoner's Dilemma Norms," American Journal of Sociology, Volume 94 Number 3 : 535-562. 集合的サンクションが機能する条件を数理モデルで検討した論文。集合的サンクションとは、江戸時代の五人組や第2次世界大戦中の隣組のように、グループのうち誰かが逸脱すると、そのグループのメンバー全員が連帯責任を問われたり、逆に誰かが成功するとグループのメンバー全員が利益を得られるようなシステムである。著者は罰の場合を想定してモデルを作っている。原題では囚人のジレンマ規範とあるが、用いているモデルは期待効用最大化モデルで、行為者間の戦略的な相互依存は想定されていない。序論で何か書いてあ

    集合的サンクションとグループ・サイズ | Theoretical Sociology
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    yuiseki 2009/07/07
  • 『大学という病』を読む、あるいは歴史社会学の戦略をめぐって | Theoretical Sociology

    大学という病―東大紛擾と教授群像 (中公文庫) この商品の他のレビューをみる» 評価: 竹内 洋 中央公論新社 ¥ 980 (2007-07) 歴史社会学も質的データ分析の一種ということで授業の準備のために読んだ。ストリートコーナーソサエティが退屈で読んでいて何度も眠ってしまったのに対して、こちらは夜更かしして一気に読んでしまった。私の現在の興味に近いし、他人ごとではないのでおもしろく読めた。書は昭和初期の東大経済学部内の派閥争いと思想弾圧の顛末を描いている。具体的には、1928年の大森義太郎の辞職から1939年の河合栄治郎と土方成美の休職までが描かれる。政府の介入に東大は屈し、東大内のパワーポリティクスの中で、左右を問わず多くの経済学部教官が職を辞していくさまが微に入り細にわたって述べられている。著者は、これをもとにすでにこのころ大学は死んでいたのだ、と断ずる。質的データ分析の例とし

    『大学という病』を読む、あるいは歴史社会学の戦略をめぐって | Theoretical Sociology
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    yuiseki 2009/07/07
  • 『ストリート・コーナー・ソサエティ』を読む | Theoretical Sociology

    ストリート・コーナーソサエティ この商品の他のレビューをみる» 評価: ウィリアム・フット ホワイト 有斐閣 ¥ 3,990 (2000-05) 都市エスノグラフィの古典として、質的研究のテキストでもしばしば参照される有名な書は、3部構成からなる。最初は、著者の研究の発端からフィールドワークの終了までを描いた、いわば裏話に近い「はじめに」の部分。これが90ページほどある。次は、「一部 小物たち --- 街頭の若者たちと大学の若者たち」。最後が、「二部 大物たち --- やくざと政治家」である。つまり当は二部構成なのだが、かなり長い「はじめに」がついていて、この「はじめに」の部分がこのを古典にした要因であるように思えるのである。現在の私の観点からみれば、論(「小物たち」「大物たち」)に書いてある内容は、他愛もない話が大半で、誰と誰が喧嘩をしたとか、ボーリングに組織構造が反映される

    『ストリート・コーナー・ソサエティ』を読む | Theoretical Sociology
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    yuiseki 2009/07/07
  • 『ライフストーリー - エスノ社会学的パースペクティヴ』 | Theoretical Sociology

    ライフストーリー―エスノ社会学的パースペクティヴ この商品の他のレビューをみる» 評価: ダニエル ベルトー ミネルヴァ書房 --- (2003-02) 授業の準備で読んだ。前回論じた佐藤氏のが、「フィールドワーク」の教科書であったのに対して、このは、「ライフストーリー」の教科書である。データがインタビューして話をしてもらった記録に限定されている点が、佐藤の教科書と異なる。ライフストーリーについて論文などを書いたことのある研究者にとっては有益なのかもしれないが、私が読んでもほとんど役に立たなかった。体よりも付録の論文のほうが具体的でわかりやすかった。 日では主観的な意味世界の記述の重要性が強調されることがあるが、ベルトーの場合はそのような強調はしていない。この点については佐藤も同様である。もちろん、行為の意味を理解するためには、行為者の意図やその行為の文脈などを知る必要があり、ラ

    『ライフストーリー - エスノ社会学的パースペクティヴ』 | Theoretical Sociology
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    yuiseki 2009/07/07
  • フィールドワークの「技法」? あるいは調査法のハウツー化をめぐって | Theoretical Sociology

    フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる この商品の他のレビューをみる» 評価: 佐藤 郁哉 新曜社 ¥ 3,045 (2002-02) 授業の準備で読んでみた。おそらくフィールドワークの経験者、あるいはまさにフィールドワークにとりかかろうとしている人にとっては学ぶところの多いではないだろうか。私のような安楽椅子型の研究者が読んでも得るところはあまりないような気はするが、フィールドノートのとり方や聞き取りについては、なるほどと思わされるところが多くおもしろく読めた。このだったか、前著だったか忘れたが、佐藤氏のフィールドワークのテキストに関する書評を読んだことがあるのだが、その内容がとても印象的であった。その書評者によれば、佐藤氏のフィールドワークはよくできているが、フィールドワークとはそのようなハウツー化を受け付けないようなものであり、あるとき「雷に打たれたような」ひら

    フィールドワークの「技法」? あるいは調査法のハウツー化をめぐって | Theoretical Sociology
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    yuiseki 2009/06/18
  • 読書ノート: アメリカ社会科学における統計学的転回:コロンビア大学1890〜1915 | Theoretical Sociology

    下記論文の読書ノート。 Charles Camic and Yu Xie, 1994, "The Statistical Turn in American Social Science: Columbia University, 1890 to 1905," American Sociological Review 59(5): 773-805. 著者らによれば、新しい学問分野を確立(例えば大学のポストや学会の創立や拡大)しようとする際、その学問分野(の主導者)は "newcomer's dilemma" に直面する。 "newcomer's dilemma" とは、その新しい分野は、科学(ないしは学問)と言えるほど既存の諸科学と類似した科学的方法論を備えているが、しかし、それは既存の学問分野とは独立した分野であるといいうるほどに異なる研究対象や方法論を持っていなければならない、というジレ

    読書ノート: アメリカ社会科学における統計学的転回:コロンビア大学1890〜1915 | Theoretical Sociology
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    yuiseki 2009/05/14
  • 『「社会調査」のウソ』のウソ? | Theoretical Sociology

    「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書) この商品の他のレビューをみる» 評価: 谷岡 一郎 文藝春秋 ¥ 725 (2000-06) 授業の準備で読んだ。かねがねマスコミなどで紹介される調査データやジャーナリストのデータ解釈には、デタラメなものがあることに心を痛めていたので、このが出版されたときは、いいが出版されてよかったと思ったものだが、どうせ知っていることしか書いてないだろうと思い、読んでいなかった。今年は調査の報告書を読めるようにするという趣旨の授業を担当することになったので、読んでみたのだが、期待が高すぎたせいか、あまりいいだとは思わなかった。読んでてイヤーな気分になるのである。確かに著者の主張は基的には正しいと思うのだが、「この調査もゴミ!! あの調査もゴミ!! ゴミ! ゴミ!! ゴミ!!! 」といった人の調査の批判が延々と続くのである。これを読

    『「社会調査」のウソ』のウソ? | Theoretical Sociology
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    yuiseki 2009/04/19
  • 「フリーターとニートイメージに関する一考察」 | Theoretical Sociology

    今年の調査実習(学部)の準備で読んだ論文。 伊藤嘉奈子, 2008, 「フリーターとニートのイメージに関する一考察」『鎌倉女子大学紀要』15: 43-50. 「千葉県の国立大学と神奈川県の私立女子大学の1〜4年生の学生278名(男性197名、女性81名)。所属学部は、工学部、理学部、法学部、文学部、教育学部、園芸学部、医学部、看護学部、児童学部であった」(p.45)そうである。 谷岡 一郎先生ならば、ゴミ調査と切って捨てるのだろうか? 著者は、フリーターとニートに関するイメージをそれぞれ別々に自由記述(複数回答)で得て、それをアフターコードしている。二人のコーダーで「一致度90%をカテゴリー化した」そうだが、何をやっているのかいまいちよくわからない。その結果、30人が未記入であったが、残りの248名(89%)からは、有効回答を得ている。結果として、フリーターよりもニートのほうがイメージが悪

    「フリーターとニートイメージに関する一考察」 | Theoretical Sociology
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    yuiseki 2009/04/17
  • 前職が非正社員だった離職者の正社員への移行について | Theoretical Sociology

    欝な気分だが、気を取り直してお勉強。 玄田有史 「前職が非正社員だった離職者の正社員への移行について」 『日労働研究雑誌』No.580, 2008年11月号, pp.61-77. 非正規から正規への移行確率(以下「移行率」と省略)を推定しているのだが、いくつか興味深い結果が得られている。第一に、学歴などをコントロールすると、年齢の移行率への影響は俗説とは異なる。すなわち、50歳未満ならば、10歳代でも40歳代でも大差ない。50歳以上になると明らかに移行率が下がるが、当然と言えよう。また、契約・嘱託と「アルバイト」で移行率が高く、「パート」と派遣で低い。もちろん性別や配偶者の有無などはコントロールしてあるので、この結果も興味深い。論文のポイントである前職(この論文では非正規雇用)の継続就業年数の効果を見ると、2年以上5年未満で正規雇用への移行が起きやすいという結果である。石の上にも3年とい

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    yuiseki 2008/12/19
  • エスノグラファーのジレンマ: 現代のナロードニキたち | Theoretical Sociology

    昨日、関西社会学会のシンポの打ち合わせで話をしていて、面白い問題に行き当たったので、考えてみよう。私は、若年非正規雇用に関係のある論文ならエスノグラフィーであろうと、統計的な分析であろうと、しらみつぶしに読むような勢いで読んでいる。それでは、私はどの程度、非正規雇用の若者にインタビューする必要があるだろうか。幾人かの先生から、エスノグラフィーを読むだけでなく、もっと実際に会って話を聞くべきだと示唆されたのだが、これは少し意外というか、「なるほど」というか、複雑な思いを味わった。 つまりいくらエスノグラフィーを読んでも「現実」はわからないから、当事者に会うべきだ、というのはひとつの方法論的立場としてありうる。しかし、それならばエスノグラフィーは何の役に立つのだろうか。私は、良質なエスノグラフィーは、実際に当事者に会うよりも「真実」を伝えるものだと信じてきた。実際、十分なスキルを持たない社会学

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    yuiseki 2008/12/16
  • Theoretical Sociology | アーティスト症候群―アートと職人、クリエイターと芸能人

    アーティスト症候群―アートと職人、クリエイターと芸能人 この商品をレビューしたブログ一覧» 評価: 大野 左紀子 明治書院 ¥ 1,575 (2008-02) 「元アーティストが、似非アーティストをこき下ろした」というと誤解を生むだろうか。私自身は、「社会学者はアーティスト(芸術家や文学者)であるべきなのか?」という疑問からこのを手に取ったのだが、いわゆるアーティストと、ある種の社会学者の感性はすこぶる似ている。例えば、 アートの重要な意味とは、新しいものの見方を知って目から鱗が落ち、違う角度から世界を眺められるようになることだとよく言われる。近代以降のアートは、そのような「視線の更新」を不断に追い求めてきた。作品は、「あなたが見ていたのは、実は、"それ" だったんだよ」と伝えていた。 (中略) 私たちは一人ひとりが自分の視点でものを見ているように思っているが、実はそこには幾重もの社会

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    yuiseki 2008/11/01
  • 『ルポ正社員になりたい―娘・息子の悲惨な職場』、キャノン不買運動を!! | Theoretical Sociology

    ルポ正社員になりたい―娘・息子の悲惨な職場 この商品をレビューしたブログ一覧» 評価: 小林 美希 影書房 ¥ 1,680 (2007-05) 書いてあることはすでに「知っていた」ことばかりなのだが、何なのだろう、この迫力は。星五つです。派遣や請負労働の実態がいかに悲惨かを、これでもか、これでもか、とたたみかけてくる。著者の怒りに共感を覚えずにはいられない。経済記者の経歴の持ち主だけあって、数字もきちんと読めてて、そのことが主張の説得力を増している。特にキャノンの悪逆非道ぶりが強調されていて、うわさには聞いていたけれども、やっぱりひどいという実感を禁じえない。もちろんキャノンよりもひどい企業はあるのだろうが、まずはキャノンだ。御手洗富士夫たちの役員賞与金(2005年で2億2千万円!!)を増やす金があるのならば、非正社員の待遇改善に使え!! 非正社員もキャノンの成功に貢献しているのだ。役員や

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    yuiseki 2008/11/01
  • 当事者性とアカデミズム、あるいは『ルポ最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書 673)』 | Theoretical Sociology

    ルポ最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書 673) この商品をレビューしたブログ一覧» 評価: 生田 武志 筑摩書房 ¥ 777 (2007-08) 著者は同志社大学在学中から釜ヶ崎の日雇労働運動・野宿者支援活動に携わってきた人で、日雇労働と野宿者生活のディーテールについて書かれている。著者自身も日雇労働をやってきたそうで、いわゆる「参与観察」とは一味違う味わいがある。著者によれば、女性や若者の野宿者が最近増えているそうで、いわゆるフリーターも野宿者予備軍である可能性が高いという。かつては日雇い労働は寄せ場に限定されていたが、現在では日全域に広がっており、日全体が寄せ場化しているというフレーズは印象的だった。基的な議論そのものに新しいものがあるとは思わないが、率直に現場のディーテールを語る語り口には好感が持てるし、勉強になる。 いつも思うのだが、大学教員の中には「一般民衆の声なき声

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    yuiseki 2008/09/17
  • フランスジュネスの反乱―主張し行動する若者たち | Theoretical Sociology

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    yuiseki 2008/07/29
  • Proletarianization with polarization: Industrialization, globalization and social Class in Turkey, 1980-2005 | Theoretical Sociology

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    yuiseki 2008/07/01
  • イントロダクション、言語ゲーム、アイロニスト | Theoretical Sociology

    ローティを読みつつ、学会で若者の発表を聞いていて改めて思うのだが、論文を書くときに一番難しいのは、しばしばイントロダクションの部分である。特に経験の浅い研究者はどう書いたらいいのか良くわからないようである。今回の学会では、いろいろな現象がべき乗則に従うという趣旨の報告が何件かあったが、彼らの世界の中では、ある現象がべき乗則に従うかどうかが非常に重要な問題であるのだが、その世界の外部にいる私やその他の聴衆にとっては、彼らがなぜそれほどまでにべき乗則にこだわり、べき乗則に従うことさえ確認すれば、その背後にあるマイクロなメカニズムに興味を示さないのかわからないのである。 ローティの用語では、世界とはすなわち言語ゲームのことである(言語ゲームという言葉も今ではすっかり流行遅れになってしまった。無常を感じずにはいられない)。ローティによれば、異なる言語ゲームの優劣を超越的な(ローティの用語に従えば形

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    yuiseki 2008/06/01
  • scientific sociology としての数理社会学: 日米数理社会学会議日記 | Theoretical Sociology

    昨日からロサンゼルスで第4回目の日米数理社会学会議に参加している。 第1回目の日米会議がハワイで開かれたとき(1997年だったか?)は、発表を聞いてもさっぱりわからなかったが、今回はだいたいわかる。特に英語の勉強をしたわけではないが、不真面目ながらも毎年国際会議に出ていれば、多少はリスニングも改善されるらしい。もちろんこの10年間で社会学に関する知識が増えたこともあるだろう。 さきほど banquet (懇親会と訳すべきか)に出ていて、「scientific sociology をさらに発展させていこう」といったくだりがスピーチの中にあって、いささか考えさせられた。北米では統計のトレーニングは社会学者の基礎的素養として必須であるが、その他の報告者の発言と考え合わせると、単に統計的なデータ分析をするだけでは、十分に scientific とはいえないと彼らは考えているように思える。 アメリカ

    scientific sociology としての数理社会学: 日米数理社会学会議日記 | Theoretical Sociology
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    yuiseki 2008/06/01
  • 社会学というディシプリンを語ることの困難 | Theoretical Sociology

    社会学評論が届いたので、拾い読みしてみた。特集は「社会学教育の現代的変容」だったが、 野村一夫, 2008, 「社会学を伝えるメディアの刷新」『社会学評論』58(4):506-523. が興味深かった。私は最近、「社会学とは何か」といった問題を深く考えていなかったし、深く考える必要もないと思っていたのだが、やはり教育する上では重要だということを再確認させてもらった。話が難しいのは、「社会学とは何か」を語るためには、社会学が経済学や心理学や哲学や歴史学や文学とはどう違うのかを語らなければならない、という点である。そのためには、当然、経済学、心理学, etc. について正しい知識を持たなければならない。これには膨大な知識を必要とする。こんなことに力を費やすぐらいなら、自分の研究を分かりやすく紹介したいというのが人情であろう。 野村が言うように、近年、社会学の周辺諸分野は社会学化している。カルチ

    社会学というディシプリンを語ることの困難 | Theoretical Sociology
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    yuiseki 2008/04/07
  • 『世界制作の方法』、あるいは根源的相対主義とヴァージョンの正しさ | Theoretical Sociology

    世界制作の方法 (ちくま学芸文庫 ク 15-1) この商品をレビューしたブログ一覧» ネルソン・グッドマン 筑摩書房 ¥ 1,365 (2008-02-06) われわれは複数の世界観、あるいはモノの見方を持っている。グッドマンはこれをヴァージョンと呼ぶ。例えば、量子力学とかニュートン力学とか、ドストエフスキーの世界とか、ゴッホ的世界といったものがヴァージョンということになる。ヴァージョンの外部に世界が実在しているのではなく、ヴァージョンの制作を通して世界もまた制作される。複数の競合するヴァージョンが同程度に「真理/真実」らしいということがありうるので、絶対的な「真理」を捜し求めることは無意味である。というよりもむしろ、ヴァージョンの外部に世界が存在すると考えない以上、素朴に「真理」を語ることは無意味だといったほうがいいかもしれない。 訳者の菅野盾樹は、巻末の解説で、この相対主義ばかりを強調

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    yuiseki 2008/04/07