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2020年の3月11日で、東日本大震災から9年です。 甚大な被害が出た宮城県石巻市の中で、当初は『復興のトップランナー』と言われた海辺の街・雄勝。 再起をかけて復興事業が進められていますが、いま町に住む人はほとんどいません。
前回は、東日本大震災発生時の3月11日から18日までの模様を公開しました。 www.itjigoku.com 今回は19日以降の模様を公開します。 今回は写真メインの記事になります。 ショッキングな写真が多いのでご注意ください。 3月24日 電気水道が復旧した18日以降はスーパーやコンビニは営業再開してる店舗も出てきました。 私の住んでいる地域は、どんどん復旧し始めてきて生活も安定してきました。 毎朝給水しに小学校に行く必要も無ければ、スーパーに並ぶ必要もなくなったので時間だけが余りました。 国道45号線へ向かいました。 3月14日に来たときには車が散乱していたのですが、脇にどけられ、復興以前と変わらないくらいの交通量に戻ってました。 私有地は車がそのまま散乱したままでした。 道路沿いのステーキ屋は津波で流された車が山積みになってます。 45号線より海側の市道は、歩道に車が避けられていて、
今日で東日本大震災から7年になりますね。 当時、私は大学生で宮城県に住んでいました。 当然、東日本大震災の被害を受けることになりました。 自宅が海から離れていたため津波は来ませんでしたが、地震により電気ガス水道、そして日用品と言った物資が1週間から1か月ほど寸断されるとう被害に遭いました。 今回は、3月11日から時系列で被災の実体験とその時に撮った写真を公開します。 写真の量が結構あるので2部構成にします。 ショッキングな写真がたくさんあるのでご注意ください。 流石に死体の写真とかはありませんが。 そもそも撮ってないし見てもいません。 3月11日 当時大学生だった私は、長い春休み真っ最中で暇を持て余して実家に引きこもってました。 ペンタブで絵を描いていた時です。 ズドドドドドという地鳴りともにちょっと強い地震が来ました。 その時が、数年に一回来るちょっと大きな地震くらいにしか思ってませんで
今年も3月11日がやって来ました。 あの日の私はたわむ家から飛び出して、赤子と抱き合って蹲っていました。 7年経っても未だに生々しくて、あまり詳細な話は書けないのですが、ほんの少しだけ、私があの日から学んだことを書いていきたいと思います。 最近都心部に住む人から電車が止まって帰宅するのに苦労した話、その後の計画停電の大変さを聞きました。 会津の山あいに住む私の震災は、身に迫ったものではないけれどそこはかとなく怖い、という難しいものでした。 私の家は無事で、停電も無く、流通が一時期不便になったというくらいの浅い被害でしたが、あの頃散々語られていた『目には見えないもの』が怖かったのです。 震災直後、福島県は様々なうわさで覆われました。 雨にあたることは厳禁だと言われていましたし、保育所や学校ではしばらくの間、外遊びや換気を控えていました。 比較的安全だと言われていた会津地方でも、幼い子供を連れ
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