東海道中膝栗毛の舞台となった華やかな一面とはうらはらに、三条大橋には数々の悲話が伝わります。 豊臣秀次の妻・側室侍女とその幼児たちが秀吉によって首うちにされたり、橋のすぐ近くの池田屋に潜伏していた尊王攘夷派志士が新撰組に襲撃されたりした、やりきれない痛ましさを感じる場所でもあったのです。 300年の間 変わらぬ石柱 京都三大橋と呼ばれる鴨川に架かる橋は、三条大橋・四条大橋・五条大橋の三つですが、古くからの鎌倉との往来にあたって、三条通りに架かる橋は京都側の中枢的な出入口でした。 初めて本格的な三条大橋を架けたのは豊臣秀吉で、それまでは洪水が起こるたびに簡単に流されていたのです。 天正18(1590)年、秀吉から工事奉行に任命された増田長盛が、川床に石柱63本を立て、全長100メートル、幅7メートルの強固な大橋を完成させます。 欄干を豪華な紫銅の擬宝珠(ぎぼし)で飾りつけた、都の玄関口にふさ