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後悔に関するyuyaiwskのブックマーク (15)

  • 嫁さんと俺のことについて語る。 : まめ速

    4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/03(水) 01:08:35.49ID:gkaRplmy0 今ってことは前は働いてたのか 9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/03(水) 01:13:56.03ID:L2YpeNoN0 草はやすのめんどくせえ。 スペック 俺29歳 無職 嫁ちゃん31歳 超ハイパー企業戦士 ちなみに子供はいない まず馴れ初め。 東北のド田舎から一発上げたいと何も考えずに上京www ちなみに専w門ww生www したら都会の生活マジつれええwwww 家賃何コレwwww物価wwwすげwwえwえwwww お隣さんテラ冷たすwwww 困ったら実家にいた頃みたいに、 お魚釣れば良いやくらいに考えてたのに、うに困った(´・ω・`) 親の反対を押し切った手前、仕送りも頼めないまま 学校とバイトじゃやっていけず気がつけば野草

    嫁さんと俺のことについて語る。 : まめ速
  • SIはやめておけ

    20代の数年間SIで働いた。1年以上前に退職して今は別業界にいる。 今日、Evernoteを整理していたら「退職理由、SIの嫌な点」というメモが発掘された。退職直前のかなりストレスがたまっていた時期に書き殴った文章だった。学生の頃の私は絵を書いたりしていて、ものづくりで暮らしたいな〜などと思って始めたプログラミングが楽しかったので安易に受託開発業を選んでしまったが、その後悔が如実に表れていた。 一部自分でも覚えていない話もあったがコンテンツとしては面白かったし、今でもシステムインテグレーター業界で消耗する若者を減らしたいとは思うので公開してみる。 以下、同メモに加筆・修正したものなのでファンタジーだと思って読んでくれ。 工数至上主義受注した時点で売上がおよそ確定するので、後はその予定工数に収めて納品できれば御の字という考え方。よくある話だが、見積がおかしくても顧客と対等な関係が築けていない

    SIはやめておけ
  • ニコニコ動画をやめた

    一気書き怪文書こゎぃ というわけで、ネット特有のスラングやネタ等が含まれるため、そういったものが苦手な方は ブラウザバックか注意して読まれることをおすすめします。某手書き劇場じゃないけども。 24歳、学生です(大嘘) え~、ネット歴が10年で、ニコ厨歴が8年(SP1)です。 そんなこんなで人生を歩んできたわけだが、一種の詰みという状態になっているわけだ。 具体的にどんな詰みなのかは、ここでは言及を避けておく。避けておくが、借金で首が回らない等の絶望的な感じではない。 感じではない、が、それだけに、ぬるま湯から少しづつ熱湯へと変わる水に気づかないで茹でられてしまうカエルのような、そんな最悪な気分であり状況であることは言及しておく。 そんな状況になったのも、色々な問題から逃げてきたせいだと思う。世の中すべてが自己責任なのだ。全ては自分のせいであり、他に原因を求めても仕方ないのだ。 思い返すに、

    ニコニコ動画をやめた
  • 後悔ができない

    「あとで後悔するぞ!」とか「やらない後悔より、やる後悔」なんて良く言うけど、言っていることが良くわからない。 「あの時こうしておけば…」などの後悔の念に駆られることもない。 そういう感情が、この世にあり、多くの人が経験していて共通認識をもっているということは理解できるが、共感ができない。 これは、無理に前向きに考えようとしているわけではなく、単純に「後悔」の感じ方が分からないのだ。 頭では理解できるが、体で感じることが出来ないのだ。 自分の内的世界では、現在や過去に起きたことが、ただその地点にあるだけで、そこに感情が一切入らない感じ。 一言で言えば「無」。 子供の頃からずっと、ただ川の流れに乗っているような感覚がある。生きているのか死んでいるのか良く分からない。もしかしたら、もう死んでいるんじゃないかってたまに思う。 決して自暴自棄になって、人生を投げているわけではなく、ただ単純に感情が湧

    後悔ができない
  • 残念な夫。

    昨年子供が生まれた。長男だ。 愛するとの間に出来た子供。 その小ささとは相反する大きい産声から、命の力強さと父になった喜びを実感した。 「守るべき者が増えた。子の為にもしっかり働いて幸せに暮らせるよう頑張らねば。」 そう心に決め、仕事の忙しい時期ではあったが毎日帰りに病院に通い、帰宅後にまた仕事を続けるという日々を何とかこなして乗り切った。 子供が出来た。嬉しい。早く3人で暮らしたい。その想いが働く原動力だった。 ちょっと長めな入院と実家療養を経て子が帰ってきた。初めての3人暮らし。 「仕事も家庭も両立するぞ!!」張り切っていた。ただ、張り切り過ぎていたのかもしれない。 夜泣きが続く、泣き止まない。 育児をしっかり理解していると、あまりよくわかってない夫。 育児のことは任せろとは言ったものの明日も仕事がある。少しは寝ないと。 ストレスフルな生活の中で幾度となくと衝突した。 そして

    残念な夫。
  • 僕はもうプログラミングしなくていいんだ

    大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。 パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、

    僕はもうプログラミングしなくていいんだ
  • 就活失敗して良かった

    今年で35歳。超就職氷河期で、就活を失敗してから 10年が経った。新卒当時、出したエントリーシートは50社以上、 面接へ行ったのは30社以上。しかし俺に内定をくれる 企業は1社もなかった。 落ちまくった当時は毎日、死ぬことばかり考えていた。 でも、あの時、死ななくてよかった。 そして、就職活動で失敗して良かった。 就活失敗から得られた事が、今の自分を支えてると 言っても過言ではない。参考になるかは解らないが、 決して就活失敗はデメリットじゃないという事を 書いてみたいと思う。 ■とにかく手に職をつけるという意識ができた。 自分はコミュニケーションが苦手な部類の人間だ。 面接で上手いことやって内定を決めていく友人を横目に 落ち続けた俺は、とにかく手に職を持たないと、 どこも採用してくれないと考えるようになった。 そしてこの時、気付けたことは非常に正しかった。 「自分の技術」と「仕事の結果」だ

    就活失敗して良かった
  • キャバクラ嬢だけど、ママ友と格差有りすぎて辛いwwwww BIPブログ

    ママ友自体はとてもいい人。 私は外見的に保育園の保護者の中で浮いてて 話しかけてくれる人なんていなかったけど、ママ友は友達になってくれた。 しかも、私の子供がママ友の子供をケガさせてしまったのきっかけに。

    キャバクラ嬢だけど、ママ友と格差有りすぎて辛いwwwww BIPブログ
  • 日本の半導体やエレクトロニクスが何故負けたか。皆がやっているから始める、皆が止めたから止める。こんなことの繰り返しでは勝ってこない。事業も人生も逆張りでなきゃ。 - 竹内研究室の日記

    東芝をやめて大学に移ってから7年が経ちました。大学に移った当初は全く研究資金が無くて金策に走る毎日。そうしているうちに助けて下さる方いて、何とか研究室を立ち上げることができました。 当時はまだ日の半導体はそれなり頑張っていたので、半導体産業への期待という意味で国家プロジェクトが立ち上がり、その恩恵も受けました。 おかげさまで研究室が立ち上がり、研究スタッフも集まり、多くの方のご支援のおかげで、自分では思ってみないほどの成果をあげられました。 まさか毎年ISSCCで発表できるなんて、思ってもみませんでした。 研究はとても好調ですが、実は今、予想外の逆風にさらされています。 自分の研究は順調だし、古巣の東芝のフラッシュメモリ事業も絶好調、ビッグデータを蓄えるストレージ産業も絶好調。自分の周辺だけは何の問題もありません。むしろ、状況は良くなる一方。 ところが、気付くと、周囲の他の日の半導体や

  • 幸せな人とそうじゃない人の見分け方

    「UFO見たことある?」と聞いてみる。 「あるよ、昔⚪︎⚪︎行った時に・・・」 と、エピソードまで併せて語り出したら幸せな人。 「なにいってんの?そんなの信じてるの?」 と、バカにした感じで存在を否定したら不幸せな人。 UFOじゃ無くて幽霊でもOK。 根拠は分からないけど、俺の周りはこういう傾向がある人が多かった。 まあ、あくまで幸せな人、なので 頭のいい人、仕事ができる人とは違うので悪しからず。 ・追記 幸せな人とそうじゃない人の基準はなに?と聞かれたので答えてみる。 俺は「世界が自分の仲間かどうか」ということだと思っている。 幸せな人は誰でも割といきなり仲良くできるし、他人の目を気にしない。 不幸せな人は敵味方の区別が激しくて人見知り。他人の目をひどく気にする。 あと「うーん、ないかな」って答えた人はよくわからない。

    幸せな人とそうじゃない人の見分け方
  • 独身37歳男性がこの週末を振り返りたい : ゴールデンタイムズ

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/11/24(日) 23:02:01.00 ID:eyV7SxgIi 金曜 22:00 仕事が終わった。職場の仲良くもない男連中と飲みにいく。 酒は嫌いじゃないが、ここ数年内臓がベストコンディションって日がない。 わざと、汚らしい店に行く。チューハイは舌がしびれる(グルメ的な意味ではなく)ので ビールをちびちび飲む。揚げ物や鍋など思い切った物を頼まずにダラダラ時間だけが過ぎて終わる。 いつのまにか増えた後輩が勝手に楽しんでいる様を見て楽しむ。 時々喋るとみんな聞いてくれるが、明らかに気を使わせてしまっていることを感じる。 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/11/24(日) 23:02:51.72 ID:9VXwwafj0 見てるから続けてよ 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします

    独身37歳男性がこの週末を振り返りたい : ゴールデンタイムズ
  • 離婚したら、幸せになれると思っているあなたへ - ぼくら社Blog

    今日の書き手:川崎 貴子(ぼくら社取締役) このブログ記事を読みました。 こんな夫もういらない! 共働き既婚女性が離婚を考える時。 | 探偵社アヴァンス『なんでも調査隊!』 年々上昇していく離婚率。そして、離婚率と共に上昇しているのが共働き家庭。そんな共働き女性たちが思わず「これなら独身の方が良かった」と離婚を考える時をまとめてみました。 共働きで経済的に自立した女性ならば離婚のハードルもそれほど高くなく「我慢するくらいなら離婚しよう」と思うことが多いのです。 以前は友人知人のみでしたが、このブログを書き始めてからというもの、ぽつぽつとFBや知り合いからの紹介などで、「離婚相談」を受けることが多くなってきました。 既に離婚の意思を固めている人もいらして、最後私に背中を押してほしいのかな?という印象も受けるので今回はどうしても書いておきたいのですが、私は決して「離婚推進派」ではありません。

    離婚したら、幸せになれると思っているあなたへ - ぼくら社Blog
  • これから人文系大学院へ進む人のために

    これから人文系大学院へ進む人のために かつて私は、ある大学院に所属し、失意の内に中退するという経験をしました。ここに公開する覚え書きはその経験を基にしたものです。現在ではインターネットに大学院のダークサイドについての様々な情報がありますが、その頃は出版物にそのような情報が載ることはまずありませんでした。私も大学院についての様々な情報をあらかじめ知っていたなら、もう少し違う結果が出ていたかと思うと非常に残念です。そういう意味でこれから大学院に進もうという人は恵まれています。大学院という特殊な世界を生き延びる際に、私の時代に比べてより多くの情報を生かすことが可能だからです。私の失敗例をネット上に公開するのは、少しでも得られる情報を増やすことに意義があると考えたからです。またネット上の大学院情報が理科系に偏っているという現状で、文科系の場合を公開することにはいくらかの意義があるとも考えています。

  • 【借金2億円】人生のどん底をみた父から学んだ「人生で大事なお金のこと」 - World Journal

    僕の父はかなり波乱万丈な人生を送ってきた人だった。若くして成功し大金を手に入れるが、事業に失敗して個人で2億円の借金を作り人生のどん底を経験する。今日はそんな父から学んだお金の話。 その前に、父の人生について 高校を卒業した父はすぐに建築系の会社で働き始め、20代後半で建築資材のブローカーとして独立を果たす。父は成功するためなら何でもする人だった。癒着、賄賂、限りなく詐欺に近いこと。 父:「当時はまだビデオデッキが珍しい時代でな、よくビデオデッキ買っていって取引先のお偉いさんに「お土産」を渡したもんやわ(笑)」 勝つためなら手段を選ばない父は成功をつかみ、若くして大金を手に入れる。毎晩のようにクラブやキャバクラに行き、豪遊していたそうだ。この話をする時の父の顔は当にイキイキしている。 そんな人生の絶頂期を謳歌していた父が一気に階段を転げ落ちていく出来事が起こる。バブル崩壊だ。バブル崩壊の

    【借金2億円】人生のどん底をみた父から学んだ「人生で大事なお金のこと」 - World Journal
  • 僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと - ICHIROYAのブログ

    ひとつの会社で、サラリーマンを19年やった。 残念ながら、僕のサラリーマン人生は失敗だった。まだ、課長レベルだったけど、すでに先は見えていた。 自分ではデキるつもりで突っ走っていたのだけど、自分なりに壁を感じていたし、人事の同期から漏れ聞く会社の評価も、中程度のものであった。 僕らの世代(いま50代中盤)のサラリーマン人生も過酷だ。 順調なひとたちは、すでに取締役になっているが、最近のリストラで今更会社を辞めざるを得ないひともいる。 サラリーマンを続ける以上、上位に評価されるようにしなければ、若いころのわずかの差が、20数年後には無残な差となって突きつけられる。 いまでも、ときどき、ああこうすればよかったな、と思い出して後悔することがある。 そして、若くて元気なひとたちを捕まえて、オレみたいになるなよ、と説教したくなってしまう。 でも、僕の話など誰も聞いてはくれないので、こうやってブログで

    僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと - ICHIROYAのブログ
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