文学フリマ東京38に行ってきました bunfree.net文学フリマに遊びに行ってたくさんお買い物をし、大変刺激を貰ったのち、そういえば最近ブログの更新ができてないなと思ったら最終更新が2月で止まっていることに愕然としました。ので、熱い気持ちのうちに更新しておきます。もちろんまだほぼ読んでいない…
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「他人と同じような幸せを信じていたのに。」と草野正宗氏が歌っていましたが、これは「のに」であるところがいいなと、ふと思いました。んま、それだけなんですけど。「けど」より「のに」の方がなんだか切なさがでるような気がします。「けど」だと言い訳がましいかんじがしなくもない。ましてや「〜いたのだが」や「〜いたというのに」ではもはや切なくもなければ、なんかおっさんくさくなってしまい台無しです。悲しさを増長したい時には「のに」を付ける。するとたちどころに涙が溢れ出すことでしょう。言い過ぎました。まあ、なんとなく悲しさが出るんじゃね?といったところでしょうか。 「私、ずっと一人で待ってたのに。」 「せっかく買ってきたのに。」 「ここにいるだけなのに。」 「今やろうと思ってたのに!」 「また!すぐそんなこと言って!あんたは片付けないでしょ!!」 「うるさいなーー!だからやろうと思ってたって言ってんジャン!
帰路の機中、「銀蝶渡り鳥」を見る。このところすっかり梶芽衣子のファンになってしまった。私もいちどくらい梶芽衣子にドスのきいた東京弁で「いいかげんにしなよ!」とか「待ちな!」とかいわれてみたいものである。 それにしてもあー、疲れた。ヒトリゴトをつぶやきながら洗濯機を回しつつ自宅でひさしぶりに緑茶なぞ啜る。というわけで以下茶のみ話。 世の中にはブスと美人がいる。で、あちらこちらに存在する美人の姿かたちはどの人も似通っている。比較するとブスの多様性はとても広い。実は顔にかぎれば美人といわれる人が似通っている理由には科学的な根拠がある。人は、すべての人間の顔を平均した造作に近い人を美人である、と判断するのである(これネイチャーの表紙にもなったけど、めんどくさいんで検索はしない)。したがって、美人と一般に判断される人の顔はどことなく似たような感じになる。化粧とはしたがって、顔を平均値に近づけようとす
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