「ほしいものは手に入れるのがおれのやりかたさ。」(1巻) 「いつかえさなかった!?えいきゅうにかりておくだけだぞ。」(8巻) 「うるせぇ。勝ったものの勝ちだ。」(12巻) 「とったんじゃない。かりたんだぞ。いつ返すかきめてないだけだっ。ドロボーみたいにいうなっ。」(28巻) 「その顔が気にくわねぇんだ!!」(35巻) など多数。 男気ジャイアンの活躍は以下などで読める。
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3周年のニッコースタイル名古屋 スタイルキッチンでかき氷 ニッコースタイル名古屋のスタイルキッチン ニッコースタイル名古屋のスタイルキッチンへ。初めて利用しましたが、とってもオシャレ。 平日の仕事帰りに行きましたので、ゆったりしていました。 ネットで見て気になっていたかき氷をone harmonyネットから予約をしていきました。 ルフラン ルフラン 2023年夏のルフラン。 色合いもかわいいし、いろんな食感が楽しめる。 氷の中には山椒を加えたプレミアソフトクリームがかくれています。 そしてパチパチ食感もする~ ルフラン マンゴ-などのパッションフルーツにわらび餅も隠れています。 どれも美味!1…
瀬戸内 だけど、埴谷さんが亡くなる前、もう亡くなるとわかった頃にうかがったことがあるんです。そのときには元気で、起きあがってきてハラハラするほど話すんですけど、あの世へいく話ばかりするんですよ。だから私、「先生、あの世へいったら百合子さんがいるじゃないですか」って言ったんですよ。百合子さんはもう亡くなってたから。そしたら、「おう、そうだ。百合子さんがいる」って(笑)。急に、えらい元気になっちゃった。「あの世であったら、ぱっと抱きしめて離さないぞ」って。 武田百合子という人は非常に魅力のある人だったらしい。本人も泰淳の死後、『富士日記』(上・中・下)三部作を代表として、非常にいい文章を残している。そして、私のお気に入りは、村松友視の『百合子さんは何色』。(ちくま文庫からも出ているが、両方とも絶版か?)村松は、雑誌「海」の編集者として、『富士』執筆中の泰淳を担当したところからの縁なのである。
闇のなかにいくらかほの明るい場所が見える。魔が小躍りする時刻私はいつもの墓地に行き死霊の声に耳を傾ける。地底の奥深くそれはまるでつぶやく1999匹の地虫のように不快な声を届かせてくるのだ。 さてその声はこう聴こえる。「愚劣」そう、たしかにそいつは愚劣とつぶやいているのだ。われわれの歴史は過誤の歴史である。埴谷は軽い政治嫌いであったが、その政治思想は久遠の未来に視線を置くことにより今でもわれわれの現在を激しく否認し続けている。なぜそのようなことが可能なのかを・・・ このノートは地下に生息する私のつぶやきを納めたものだ。ここには孤独な精神と不遜な心がある。時には赤裸々に何者かを暴くかもしれない。心配するには及ばない。行く先は決まっているのだから。だから進もうと思う。 『あっは』と『ぷふい』是だけ言えば事足りる筈だ。 埴谷はわれわれの風土における小説に新たな景色を付加する。観念はただに観
HOME 埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず』注解 by Maro 01 -賓辞の魔力について苦しみ悩んだあげく、私は、或る不思議へ近づいてゆく自身を仄かに感じた。 祝祭だ-秘かな魂の奥に囁かれたと思った。影のようなものの祝杯が私へあげられたような気がした。 すべて主張は偽りである。或るものをその同一のものとしてなにか他のものから表白するのは正しいことではない。 ゴルギアスもまた忌まわしく思惟する網の裡に棲みながら彼自身の悪徳を味わっていた-そんな想念が、生き生きした姿をとった。属性の魔力について知りぬいていたばかりでなく、そこに眩暈せしめるもののひそやかな悪徳の裡に、私も耽っていたのである。 あるものをある属性に関連させること、すなわち「-は-だ」と述べること、これは本来不可能なわざだ、と本節のゴルギアスは言いたいのだろう。「もの」と「属性」は種が違うのだから。それを無理矢理むすびつけてしまえ
栗原幸夫のホームページ 書き散らしたものへの補遺 喋り散らしたことへの補遺 そしてもちろん、わが人生への補遺の補遺 Blog 「栗原幸夫のホイのホイ」をつくりました。今後、このサイトは古い文書の収蔵庫とし、あたらしいマテリアルは上記のBlogに逐次掲載してまいります。また、このサイトの文書もその一部を再録しております。http://blog.livedoor.jp/kuri77/にご来訪をお待ちしております。 ・惰性化した日常の外へ�モ 池田浩士著『歴史のなかの文学・芸術』(河合ブックレット32号)に付した解説です。 ・空間の解放から体制の解体へ�モ ミシェル・ワルシャウスキーの『イスラエル=パレスチナ 民族共生国家への挑戦』の書評です。 ・嫌なことはいやだ!�モ 運動論的な感想です。 最近のおもな更新....... ・反戦運動は今も昔もデモから始まる�モ 反天連の桜井大子さんと対談したデ
埴谷雄高をめぐって ●夢、そして革命の方へ――埴谷雄高の小説という装置 ●『埴谷雄高独白・「死霊」の世界』 ●戦後思想再読・『幻視のなかの政治』 ●社会運動人物事典「埴谷雄高」 ●「《死霊》了」を考える ●変質の時代の永久革命者変質の時代の永久革命者変質の時代の永久革命者―埴谷雄高・20世紀のヴィジョネール 中野重治をめぐって ●総力戦と中野重治の抵抗――『斎藤茂吉ノート』一つの読み方 ●中野重治の「わが国」「わが国びと」 ●中野重治「再発見」の現在 ●「五勺の酒」問題 ●追悼・中野重治 堀田善衞をめぐって ●堀田善衞の世界 ●『スペイン断章――歴史の感興』 ●同時的体験の時代 文学史 ●「戦後文学」の起源について――“最後の頁”からの出発 ●モラリスト論争前後 ●戦争下の文学的抵抗――田木繁の場合 ●「60年代」論覚え書き 特集・はしがき 編集後記
死んだものはもう帰つてこない。 生きてるものは生きてることしか語らない。 花田清輝よ。この長い歴史のなかには、組織のなかで凄んでみせる革命家もゐるが、また、組織のそとでのんべんだらりとしてゐる革命家もゐるのだ。何処に? 日向ぼつこをしてゐる樽のなかに。蜘蛛の巣のかかつた何処か忘れられた部屋の隅に。そんなものは革命家ではない、と君はいふだらう。まさしく、現在はさうでないらしい。だが、それをきめるのは未来だ。ひとりの人物が革命家であるかないかの判定は、彼が組織の登録票をもつてるか否かでなく、人類の頭蓋のなかで石のやうに硬化してしまつた或る思考法を根こそぎ顛覆してしまふ思考法を打ちだしたか否かにかかつてゐる。一つのきらめきをもつた生産的思考は、ひいては、この自然の、この社会の秩序と制度の変革をやがてもたらす。それは、硬化した思考法を顛覆したひとつの新らしい思考法のもたらした結果、ひとつの強烈な、
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 〈奇人ですよねえ……。だって昭和二十年代から書いているんだよ、一つの小説を(笑)。まるで日本共産党だよね〉 埴谷雄高について問われて、そう語るのは、音楽家の坂本龍一さんだ。 父が河出書房の編集者だった縁で、子供の頃から「はにやさん」の名前は耳にしていた。高校になって、埴谷の小説に出てくる「自同律の不快」とはどういうことか考えたという。 埴谷雄高とは、大長編小説『死靈』は「いくら読んでもわからない」とされ、ベストセラーとは程遠い作品ながらも戦後50年間これを書き続け、ある種神格化された存在でもあった。本書は、その埴谷雄高について、彼と関係のあった27人に話を聞いた、ロングインタビューの集積だ。 27人の内訳は、作家や編集者、評論家が多いものの、
臨時国会の所信表明には、これまで民主党が訴えてきた「市場原理主義が格差を拡大した」といった表現が消え、格差という言葉は一度も出てこない。民主党政権になって格差がなくなったからだろうか。どうもそうではないようだ。 多くの経済学者が指摘するように、所得格差を示すジニ係数で見る限り、日本の格差はOECD(経済協力開発機構)諸国の平均程度で、それほど大きいとは言えない。 また「小泉政権が格差を拡大した」というのも嘘で、2000年代前半に日本の所得格差は縮小した。景気が回復して失業率が下がったからだ。さすがの民主党も、それぐらいは理解したのだろう。 しかし、所得分配の問題がなくなったわけではない。菅直人首相は、所信表明で次のように述べた。 「一般論として、多少の負担をしても安心できる社会を作っていくことを重視するのか、それとも負担はできる限り少なくして、個人の自己責任に多くを任せるのか、大きく2つの
個人店舗が多いため、なかなかその実態が知られていない古書店だが、その経営や本の価格の付け方などはどのように行われているのだろうか。ネットと実際の店舗を組み合わせた古書ビジネスを展開している、よみた屋の澄田喜広氏がその内幕を語った。 駅前や商業施設内など、身近な場所に多く存在していた書店。しかし、インターネットの普及や大規模書店の登場などの影響で、2009年の全国の書店数は1万5482店と、2001年の2万939店から5000店以上も減少している(日本著書販促センター調べ)。 そして、一般書店と対をなす存在である個人経営の古書店も、新古書店チェーンの進出やネットオークションの広まりなどで逆風が吹いている。だが、その一方、西東京などでは20~30代の若者が個性的な古書店を開業する例も目立っている。 個人経営の店舗が多いため、なかなかその実態が知られていない古書店。その経営や本の価格の付け方など
週末にユーロスターの営業が停止したというニュースがありましたが,ヴュルツブルクでも常時氷点下の状況で雪が持続的に降っていました.近所のブドウ畑のある山で子供たちがソリをしていました. 集中して書いております. BH にて,世界の最先端の話をします。僕の持論では、カルダーノが伝統的なアリストテレスの4元素理論を批判して星辰の熱を事物の原理としたのは、彼独特なヒポクラテスのテクストの解釈から来ています。という重要な言及が再びなされています. アリストテレスの四元素説というのは,実は(と言うべきか,よく知られた通りと言うべきか,判断できませんが・・・)非常に微妙なものです.第一の理由としてアリストテレス自身が四元素を根源的な物体だと実は考えていなかった(ように読める)ということが挙げられます.というのも,『生成消滅論』の第一巻における「生成消滅の永続性」のマテリアルな原因,及び第二巻の元素の生成
昨夜は七時過ぎからレジデンツ内のホールでスティール氏の講演があり聴きに行きました.質疑も含めて終わったのは八時半過ぎで,そのまま帰宅しました. 昨日のBH で「アヴェロエス主義といえば知性単一論に研究者の関心は集中してきた訳で、その意味でも伝統的な視点に忠実にしたがった教科書的な分析をしているといえます」とコメントされていますが,本当にこれは「知性単一説の呪縛」とでも形容すべきものです・・・.とはいえ,そのおかげで色々できることが残されているとも言えますが・・・.>今朝は,アヴェロエスの『生成消滅論』と『気象論』の両中註解のラテン語への翻訳関連で,近刊の “Latin Averroes Translations of the First Half of the Thirteenth Century” を読んでもよく判らなかった点について,ダッグに尋ねました.すべてが揃っている『霊魂論』の大
1 名前:以下、はてなにかわりまして元増田がお送りします。 投稿日:2010/01/19 12:47:26 http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034 「日本の韓国統治は善政か否か」問題で久しぶりに面白いエントリーを読んだ。正直、日本の韓国統治は悪だ、という議論は感情論ばかりが横行するので辟易していたのだが、こういう数字に基づいたエントリーが出てくるとちゃんと議論になる。実際、コメント欄でも、すれ違いはあるものの真っ当な議論になっているように思う。 でもさ、『ちゃんと学術的に認められた歴史書を読み直されるよう、お勧めいたします。』って書くならさ、もう一歩踏み込んでもいいと思うんだ。学問の主戦場たる英語の論文の数々に。ここ20年間、様々な定性定量分析が積み重ねられてるのに、それを無視するなんて余りにももったいない。 結局、日本も
存在と本質(esse-essentia) トマスは存在を無条件に認める。つまり、現実がもつ信実性を承認する。存在はただそれ自体として自立的に存在する。これが存在の根本性格であり、質や量といった偶有性は二次的に見出されるに過ぎない。トマスは当時のアリストテレス解釈から新プラトン主義やアラブ的な混入要素を取り除き、純粋なアリストテレスの存在論を求め、そしてその上で彼を乗り越えようとした。つまり、アリストテレスにおいては存在論的基本概念は「形相−質料(forma-materia)」と「現実態−可能態」であったが、それにトマスは「存在−本質(esse-essentia)」を加えた。 トマスによると「形相−質料」は主に自然世界の存在者(質量的事物res materialis)に限られるが、「現実態−可能態」は自然世界のみならず、質量を持たない形相のみの存在者(天使(知性的実体)や神(純粋現実
童貞+彼女いない歴20年選手以上にしか分からないこと 1 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日: 2010/07/19(月) 13:45:58.19 ID:6ODw1b0S0 定期的に彼女がめちゃくちゃほしくなる。 もうSEXとか二の次で、純粋に公園や動物園へデートがしたい。 帰りは素直にバイバイで良い。まぁチュウぐらいはあって良い。 3 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日: 2010/07/19(月) 13:47:37.97 ID:6Hh+KTAc0 恋バナできなくて困る 会話がそれっぽくなったらタバコで逃亡 4 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日: 2010/07/19(月) 13:48:46.23 ID:6ODw1b0S0 カラオケ行っても、恋愛系の歌は歌えなくなる。 7 名前: 以下、名無しにかわりま
ある分析哲学の本の訳者解説を眺めていたらおかしな言葉の使い方を見かけた。論理記号付きの引用は面倒なので、普通の言葉に直してみます。 xが藍トロープを持っているならば、そのxすべては青トロープを持つ これを認めてしまったら、トロープ概念を普遍問題に持ち込む意義が失われてしまう。トロープとは(主に私たちに感じられるような)物の具体的な特性である。赤っぽい色合いとかふわっとした風合いがそうである。これだとクオリアと似ている感じもするがもちろん違う。トロープは存在論的な用語なので、むしろトロープがクオリアの源と考えた方がいいくらいだ(ただし実際にはそういう議論はあまり見ない)。だから誰にも感じられていないトロープも存在する。ここで重要なのはトロープは普遍概念的に分類される以前の物の具体的な特性であることである。だから、色トロープや形トロープなどはまだありえても、藍トロープだの青トロープだのはありえ
フランシスコ会(フランシスコかい、ラテン語: Ordo Fratrum Minorum、英語: Order of Friars Minor)またはフランチェスコ会(フランチェスコかい)は、13世紀のイタリアで、アッシジのフランチェスコによってはじめられたカトリック教会の修道会の総称であり、広義には第一会(男子修道会)、第二会(女子修道会)、第三会(在俗会)を含む。現在、その活動は全世界にわたっている[1]。 狭義には男子修道会、すなわち男子修道士による托鉢修道会である第一会に相当する3つの会のことを指し、特にそのなかの主流派である改革派フランシスコ会のみを指すこともある。この3つの会はいずれも「小さき兄弟会」Ordo Fratrum Minorum (OFM) の名を冠している。また、イングランド国教会系の聖公会でもフランシスコ会が組織されている。 フランシスコ会は、無所有と清貧を主張した
河野與一『哲学講話』から。 カント的には、「1階に感性Sinnlichkeitがあって、2階に悟性Verstandがあって、3階に理性Vernunftがある」というイメージ。感性と悟性の枠内で理性を働かせていれば問題はないのですが、感性と悟性を離れて理性が暴走すると、認識に失敗します。だから理性が形而上学を扱うのは無理。 トマス・アクィナス的には、「1階に感性sensusがあって、2階に悟性intellectus/intelligentiaがあって、その間をつなぐのが理性ratio」というイメージ。天使の悟性intelligentiaは純粋なので、一瞬にして物事を理解します。一方、人間の悟性intellectusは不純なので、物事を理解するのに時間が掛かります。この時間を掛けて推論(reason)していく際に悟性の補助的に働くのが、理性ratioなのだとか。 ドイツ語のVerstehenか
西洋文明における経済の研究は、もっぱらギリシャ人が始めたものだ。特にアリストテレスとクセノフォンが中心で、それ以外の作者もちょっと貢献している。こういう人たちを、ここでは「古代派」と呼ぶことにしよう。「スコラ学派」は、13-14 世紀の神学者たち、特にドミニコ修道会の聖トマス・アクイナスを中心とする一派で、12 世紀のイスラーム学者たちの手によるギリシャ哲学再興を受けて、カソリック教会の教義を確立した。経済学の領域だと、スコラ学派が特に関心を持っていたテーマを4つ指摘できる。財産、経済取引における正義、お金、利息だ。 キリスト教の教義と私有財産の共存は、昔からあまりすわりのいいものじゃなかった。5 世紀には、初期キリスト教教会の父祖たち (the "Patricians", たとえば聖アウグスチヌスなど) が「共産主義的」キリスト教運動を打倒して、教会自身がすさまじい財産を蓄えるようになっ
以前やっていた授業の内容目次(暫定的)と資料です。ここから入る資料は皆、私が今までにどこかで書いたものに基づいています。 内容目次 中世哲学の源流 初期キリスト教の思想形成: イエス以後 / パウロ思想 / ヨハネ思想 / ギリシア哲学との出会い / ユスティノス / テオフィロス etc. / トピック:無からの創造説の成立 --- cf. テルトゥリアヌス 三一論の形成: ラテン語による思索の始まり: アウグスティヌス / ボエティウス 古代末期から中世へ 中世哲学の成長 カロリンガ・ルネサンスとアルクイヌス エリウゲナ Dialectica と Theologia アンセルムス 普遍を巡る問題の登場と文法学 アベラルドゥス / アベラルドゥスの唯名論 中世哲学の展開 12世紀後半-13世紀: 大学の成立 / アラビアからの新資料 / 中世論理学の発展-> suppositio論の発
次は、「トマス・アクイナスの善の哲学」です。ラテン語と日本語の、論文になるでしょう。 これから、自分自身との、斗いです。眠っていても、その内容が、うかぶのですよ。そうして、できた論文が、「トマス・アクイナスの知の哲学」だったのですよ。それ以上の、内容に、なるとおもいます。わたくしの、本を買ってくださったかたがた。二冊めは、もっとすごいです。そうならなければならないとおもうような構想なのです。期待していてください。ただし、わたくしも、歳ですので、体力的に、書けない場合も、あります。でも、ライフ・ワークとして、どんなに短編になろうとも善と、幸福論について書かなければ.という、使命感があります。・・・二冊目。・・・人間は、なんのために、生きているのだろうか.という、高校生のときに、私自身が、悩んでいたことに、答える内容です。・・・人生はすばらしい。人間は他人のために、努力しよう。友愛こそが、すべ
長倉久子『トマス・アクィナスのエッセ研究』(知泉書館、2009)を読み始める。まだ半分ほど。著者の長倉氏は2008年1月に逝去されていて、これは古いものから近年のものまで、トマスに関する論文を編纂した一冊のようだけれど、まさに著者が後の世代に贈った遺書という感じでもある。いやいや単なる遺書という生やさしいものではないかも。これはむしろ挑戦状か。収録論文でおそらく最重要のものは、4章目の「<だ>そのものなる神」。一見するとちょっと変なタイトルに見えてしまうけれど、なんとこれ、西田哲学とトマス思想との対比を試みたもの。著者はトマスにとっての神、あるいは本源としてのesseが、西田幾多郎のいう「絶対無」と同じく、現実を支えながらそれ事態はある絶対的な断絶の向こう側にあるものを、なんとか言葉で捉えようとする思想的な試みであるとし、あえて西田哲学はそこに「無」「場所」のような概念を持ち込んでいるせい
私も調子に乗って合いの手を入れてしまったので、責任とって神学タンのキャラ設定を 神学タン 三姉妹<オーソドックス(正統派)カトリック(普遍派)プロテスタント(抵抗派)> 三姉妹はつかみ合いの喧嘩をするほど仲が悪かった。(過去形のはず…)今では仲直り計画が進行中(エキュメニズム) 三姉妹がそろって嫌いなのは無神論。 それぞれ誰が年長か?だれが一番出来のよい娘か?で喧嘩する。なお三人とも極度のファザコン。お父さん(父なる神)大好きっ子。 基本的に皆お節介(隣人愛) 以下はカトリックたんの自己紹介と姉妹紹介(他の姉妹から文句出ても知らない) 年齢ですか?他の子達よりお姉さんです(他の哲学っ子と比べて)。 特技ですか?天使を呼び出せるとかそういうことはありませんが、40人の教会博士を召喚できます。組み合わせが悪いと博士同士で喧嘩し始めるので注意が必要です。 他の子達との関係?基本他の哲学っ子は下女
さて、最近もとい、少し前まではてな村では“宗教を語るやつが少ないよね”という話題が注目浴びていたようなのですが・・・私もやはり反応すべきでしょうか、ブクマでid:polynityさんに呼び出されていたようなのですが。 以前のエントリーで神学は三名の読者を想定しなければならないとしましたが、そのカテゴリー分けをあらためて取り上げておきたいと思います。 教導職につくであろう人々(聖務者、教役者志望) 兄弟姉妹の皆様(信徒)つまるところ、信徒使徒職にあたっての教導 その他の人々(未信者)つまるところ、信仰に招くための教導 上記三名の読者を想定しなければならないと規定した上で、私は当然ながら聖務者に必用な神学教育を施すという義務を果すだけの能力を意味するSTLを現時点では持たない以上、私がどのように(それが稚拙であろうとなかろうと)神学的な思弁をするとしても読者1について私は考慮する必要が“現時点
記者会見で来年度以降の学生募集を停止すると発表した聖トマス大の小田武彦学長(中央)=6日午後、兵庫県尼崎市 兵庫県尼崎市の聖トマス大学は6日、入学志願者の減少を受け、来年度以降の学生募集を停止すると発表した。経済不況や外部環境の変化によって「健全な学校運営を維持することが困難な状況となった」としている。聖トマス大学は家族などを亡くした「グリーフ(悲嘆)」を学ぶ公開講座を開設していることで知られ、尼崎JR脱線事故の遺族やJR西日本の社員らが受講している。 大学は同日午後、学生と保護者向けに説明会を開き、在校生が卒業するまでは運営する一方、合併や譲渡についても「検討中」と説明した。出席者によると、大学側は「学生が減っていく中で対応できなかった。経営が成り立たなくなった」と謝罪したという。 大学のホームページなどによると、平成20年度入試では、定員250人に対し合格者は95人にとどまっている。カ
人間学について小論考をしたいと思う。特にパスカル『パンセ』に関連してである。神学はともかくとして諸々の所謂自然科学でない学問は皆その学問の究極的な関心を人間存在の探究としている。個人的には笑止千万な自称にすぎないと思うのであるがお題目と言うのは大事である。 所謂文学、哲学を好む人たち、つまり感傷的に“自分自身”を省察の対象にする人たちのことがこの論考の考察対象である。 人文学の存在意義を問われる場合に半ば開き直りの伴った回答としてなされるのが、人文学の存在価値とは人間存在の探究であり、それは大学、学問それ自体の根幹を成し、かつその基礎づけである。そして、人文学を学ぶ学生はその“課程”で(過程ではない)教養を身につけ、人格形成を行なう・・・云々。 まぁ、腹を抱えて笑えるほどの大言壮語である。まずもって教授に当たる教授の人格が以下rya、そもそも教養がこれまた以下ryaである。なおこのように笑
『存在と無』(ちくま学芸文庫)のなかの第一部第二章では、「自己欺瞞」という心理現象の分析をとおして、人間の意識のあり方に迫る試みが行われている。 この部分がたいへん面白いと思ったので、ここにメモしておきたい。 まず、これはとても重要なことだが、サルトルはここで、嘘や虚構と、自己欺瞞とを明確に分けている。 嘘をつく人の内心の気持ちは、肯定的である。つまりその気持ちは、肯定的判断の対象ともなりうる。嘘をつく人は、だます意図をもっているのであり、この意図を自分に隠そうとはしないし、意識の半透明性をおおい隠そうともしない。(p173) 虚偽は一つの超越的な行為である(p174) この「意識の半透明性」というのがよく分からないのだが、まあいいだろう(「無」が関係してるのだろう。)。 ともかくサルトルがここで問題にするのは自己欺瞞であって、嘘(虚偽)や虚構ではない。自己欺瞞は、「超越的」ではない。私が
で、結局、「小説」という装置で、初めっからでっちあげ作戦で、書き出したが結局未完、そら未完やろうよ。それも言葉を使って言葉以前を表しますなんてよ。 わたしは知らんが苦しかったとの話。獄中壁と喋ってみた。けれど、言語はいっつもそこにあった。そらあるよ。 不毛であったと云えなくもないが、でも、小説という方法を選んだ彼は、運動神経が良かったとしか、思えない。 埴谷雄高は誤解されても駄々をこねず、や、時々は奥さんにこねたであろうが、とにかくあんなに粘って偉かった。あんなに粘って粘って、我々言葉を知ってしまう前のことを表現したがった。 多分今も、アンドロメダのちょっと裏で粘りに粘って言葉と結局睦まじくやってるんだと思う。宇宙限めいっぱい。 埴谷が睨んだ「自同律」、在るが在るとゆうことな、自分が自分をわかってしまうことな、それでそうでしかないそれが「不快」なんすよ、というこの衝動、宿命、当たり
この数日間はいろんな取材を受けたり撮影したり〆切を飛び越えもろもろの毎日ではあったけれどなんだかそれとは関係なく半分が怒りとぐらつきで死んでるようで、死ぬといえば、ぬ、といえば、わたしは、ぬ、と打とうとすると必ず一回目は、む、と打ち損じ、例えばぬま、は、むま、になり、逆もまたしかり、むり、は、ぬり、と打ち損じ、そんな人生である。19日は坪内賞の授賞式で、大賞は村上春樹さんということもあり、式にはぎょうさんの人がいらっしゃる模様でパーティーなんて久しぶりなので、ということはお酒を飲むのも久しぶり、そしてもうすぐ久しぶりに一年が終わろうとしておるな。 作品について夜中飛び起きて怒りに震えることがある。何に対する怒りなのかを考えてみても怒りが渦巻いているのでその詳細はきちんと見えず。そしてそれを怒りと表現してみても、こういう場合は実は怒り以外の感情であることが意外に多いのだから、印象が連れてく
ふぬけ共和国・マンガ 新田五郎のHP。主に一般的評価の対象外となった、ぶっとんだマンガ中心の感想サイト。 SFおしかけ女房 ふぬけ別館 鶴岡法斎の『放浪都市』 ライター・鶴岡法斎さんのブログ。 島国大和のド畜生 漫画に関するWebページ「OHP」 もうこれ以上。 石川梨華中心ハロプロ日記 宗教学サークル・埼京震学舎 V林田日記・闘食の荒野へ うろおぼえ選手権! コミック発売一覧 面白漫画倶楽部ブログ おもしろ仲間がおもしろマンガをあざやかに批評!! マンガ感想サイト界隈に投じる巨大なる軽石。 ふぬけ共和国ボイス 新田五郎のボイスブログ。 片瀬捨朗チャンネル8 いろいろとお世話になっている片瀬捨朗さんのブログ。 アンドナウの会 トンデモとは違った面白いイベントをやろうと作られた会 COMIC ZIN 通信販売/TOPページ 同人誌を通信販売させてもらっている本屋さん [amazon] 「セカ
アメリカ現代詩101人集 作者: D.W.ライト,沢崎順之助,江田孝臣,森邦夫出版社/メーカー: 思潮社発売日: 1999/06メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る 会社で僕の仕事のアシスタントをしてくれている文科系女子の機嫌がすこぶる悪い。 GW直後に何の前触れもなくいきなり辞めてしまった女性の仕事を、充分な引継ぎもなしに、やってもらっているのだから当然なのだが。 気持ちは分かる。痛いほどに。 でも、でもね。。。俺だって物理的に胃が痛いんだよ(きりきり)。 もしかしたら、その文科系女子がこのブログを読んでいるかもしれないので(ないか)、僕が精神的に追い詰められたときに読むことにしている、ビート詩人ローレンス・ファーリンゲティの詩の一節を引用しておく。 もし僕がきみだったら 冬用の特大パンツを用意しておくだろう あの楽しい夜に裸で出ていくな パンツを穿いて静かに 温かく
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