読谷村は現在、村面積の36%を米軍基地が占める。終戦直後には村高志保のごく一部を除き、約95%もの土地が米軍に接収されていた。米軍演習に対する住民挙げての抗議行動や、米軍基地の再編・統合のうねりを経て相次いで基地が返還された。こうした返還跡地を利用してダムや農地などの社会基盤整備を進めてきたことが、村の発展を支えてきたといえる。 これまでに残波岬周辺のボーローポイント射撃場、楚辺通信所(通称・象のオリ)、波平陸軍補助施設などの施設が住民に返されてきた。世界遺産に登録された座喜味城跡も、1974年までは米軍のレーダー基地として使われていた。多くの陶工が集まる「やちむんの里」も不発弾処理場の跡地だ。 読谷補助飛行場跡地に建つ村役場や福祉センター、伝統工芸センターなどの施設は、日米地位協定に基づく「共同使用」という形で2006年の全面返還より前に整備が進められた珍しい例だ。同地区では今後も農商工