終戦直後、日本を占領する連合国軍総司令部(GHQ)が接収していた阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)の状況が、米国立公文書館所蔵の資料でわかった。阪神電鉄の資料などでは「宿営やスポーツ用に接収されていた」とだけ表現されていたが、野球など米兵の娯楽用に使われ、1946年の全国中等学校優勝野球大会が西宮球場で再開した時も、米軍が野球などに使っていた。 阪神電鉄社史「輸送奉仕の五十年」によると、甲子園は45年10月3日に接収された。スタンドとグラウンドの解除は47年だが、スタンド下を含めた全面的な解除は朝鮮戦争が休戦した翌年、54年3月末だった。 利用記録があったのは、米公文書館所蔵の46年1月から始まる米陸軍神戸基地の月例報告書で、球場は基地管内で娯楽やスポーツを担当する「特別事業部」が管理していた。 1月の報告書には「1月中に甲… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけま