例えば「ゆたしくうにげーさびら」と言うとネイティブスピーカーに「ゆたしくは間違い、ゆたさるぐとぅうにげーさびらと言いなさい」と直される。 うちなーぐちとしては誤りだけれどもうちなーやまとぐちとしては正解、そういう認識を持たなければただの言葉狩りで方言札と全く同じ構図でヤバいと思います。 うちなーやまとぐちやハワイのピジンなどはこれまで「中途半端な言語、不完全な言語、差別や矯正の対象」とされてきましたが、それはタコライスは沖縄料理じゃないという主張と同じです。 うちなーやまとぐちはうちなーぐちじゃない、タコライスは沖縄料理じゃない、確かにそうです、でもだからなに?ということです、美味しければ食べるし使いたかったら使う、それを誰かが「規制」するとしたらそれは「うちなーぐちをつかうな、標準語をつかえ」といった過去の繰り返しです。 うちなーぐちとうちなーやまとぐちは違うという認識を持つということは