ブックマーク / sivad.hatenablog.com (12)

  • 菊池誠氏の危険なトンデモ医療記事について - 赤の女王とお茶を

    原発事故時には『メルトダウンじゃないだす』と大嘘を流布し、 豊洲市場の”俺の安全宣言”から思い出す、菊池誠(キクマコ)の「メルトダウンじゃないだす」発言と危険度矮小化作戦 - Togetter 先日は最低賃金に関するトンデモ見解で話題になった阪大教授、物理学者の菊池誠氏。 [B! キクマコ] kikumaco(7/17神戸8/6,9大阪) on Twitter: "最低賃金っていうのはアルバイトの高校生を搾取しないように定められてる金額ですよ。ほんとに景気がよかったら、最低賃金は殆ど問題にならない。景気をよくする反緊縮の経済政策を提案できない政党が最低賃金1500とか言うわけですよ。これは末転倒でしょう" オルテガのいうところの、専門外について的外れな自信を持つ大衆としての科学者そのもので、ある意味感動的ですらあります。 ただし、阪大教授としての権威をもってデタラメを流布することは単なる

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    zu2 2019/07/01
  • ドラッカーはネオリベでもサヨクでもないですよ - 赤の女王とお茶を

    ドラッカーをあまりにあがめ奉るのもどうかと思うのですが、私も一ファンとしてそれなりに読んできたし、いくつかのエントリで言及もしてますんで書いときます。 まず、私なりのドラッカー理解をまとめておきます。 ・ドラッカーのいうところの「経営=マネジメント」とは、人を手段ではなく目的と置いた上で、社会や組織をどう組み立て、動かしていくか、という方法論である。 ・また氏の言うところの「自らの責任」とは、日流の自己責任論ではなく、人を目的とした時に社会や組織の中で自分がどういう役割を担うべきか自ら任じて動くべし、ということであって、むしろ「自己使命論」というべきものである。氏自身も強みを活かして稼いでいた証券の仕事をやめ、自らの使命と信じる文筆業に身を投じた。 ・いわゆるネオリベやリバタリと異なる点は、社会や組織、共同体の機能を重視することにある。ドラッカーは人の幸福にはそれらが不可欠だと考える。従

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    zu2 2008/08/08
    コメント欄が...
  • マネジメント、トリアージとドラッカー - 赤の女王とお茶を

    ケーキ 「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か 別に誰を批判というわけではなく、これらを読んでふと思いついたことですが。 fuku33さんのエントリにhokusyuさんがナチズムを持ち出してきて、確かにいきなりの飛躍のように思えるのですが、考えてみるとそもそもfuku33さんの教えておられる経営学、創始者はかのピーター・ドラッカー。 そしてドラッカーのキャリアはナチズムへの批判と分析から始まっていたりするのです。 ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり 作者: P・F・ドラッカー,上田惇生出版社/メーカー: ダイヤモンド社発売日: 2007/11/16メディア: 単行購入: 2人 クリック: 58回この商品を含むブログ (30件) を見るナチズムを体験したドラッカーはアメリカへ渡ってこの書を出版し、二度とあのような事態を引き起こさないための組織・社会運営の方法について考え始めます。

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    zu2 2008/05/29
  • 嫌中的なアプローチはチベットの利益にならない - 赤の女王とお茶を

    んじゃないでしょうか。単純に。 例えばこちらも最近話題のオーストラリアの反捕鯨運動を見るとよく分かるんですが、あからさまに日を嫌っている人達の言葉やパフォーマンスは、反発を招けど決して正しい効果は持ち得ません。 日や日人の態度を硬化させるだけで、捕鯨抑制に理解を示そうとする人にすら反感を抱かせるし、たとえ正しい理屈を言っても届かなくしてしまうわけです。 チベット問題に関して重要なのは中国当局が合理的判断によってチベットへの暴力行使を止め、自治の方向へ向かい始めるような流れを作ること。 面子を重視する中国のこと、嫌中的なアプローチでは多様な中国内の親チベット派にすら反感を抱かせかねません。 それでも悪いのは中国だ?もちろんその通り。 しかし今この場合最優先なのはチベットの利益であって、中国の不利益ではない。 とかく社会運動で重要なのは、目的を見失わないこと。ドラッカーもいうように、ビジ

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    zu2 2008/04/04
  • 学問に潜む価値判断について - 赤の女王とお茶を

    疑似科学、批判、道徳。 や、 dojinさんへの応答 を読んで感じたんですが。 まず、 「科学は価値判断を含まない」 ということ、これは科学とは「地図」であるでも書いたように、基的には正しいと思います。科学は"How"を明らかにするけれど、"Why"には答えない、というのはつまり、道筋を明らかにはするけれど目的地を決めるわけではない、ということです。 生命や宇宙が「どのように」存在しているのか、存在してきたのかを探る方法ですが、「なぜ」そうでなくてはならないのか、という究極には答えない。 …とはいうものの、主観的な価値判断と科学・学問が無縁かといえばさにあらず。 専攻する分野によって、なんとなく価値観が似てくるというのは経験的にはよくあることですね。 それはやはり、科学といえども単なる分析方法だけではなく、一種の「世界観」、つまり価値判断を予め含んでいるからではないでしょうか。 それが「

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    zu2 2008/01/25
  • 2008-01-07

    というには遅いですが、今年もよろしくお願いいたします。 2008年も例によってごくのんびりとしたペースになりそうです。 年末年始はほとんどはてなは見てなかったのですが、この辺、なんか年末からよく燃えていたようで。すでに焼け跡ですけど。 中心テーマについては地道な論証を重ねておられる方々の文章を読めばよいとして、私はそれこそメタな視点から一筆。 ある問題や構造について考える時、まず頭の中で、あるいは紙の上で論理的に整合性のある「大雑把なモデル」を作ってみるのはとても有用です。 自分でとりあえずの納得を得たいだけなら多くの人はこれで済ませてしまうでしょうし、また「5次元における生命のあり方」とか「集合的無意識の高次構造」だとか、現実的な検証にまで全然たどり着かないレベルの問題であればモデルをひねくり回して遊べば結構結構です。 しかし現実の問題を論じる際には、これではポケットを失くしたドラえもん

    2008-01-07
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    zu2 2008/01/08
  • 「世の中は変えられないから自分が変わる」という人は自分で檻を作って自分で檻に入っている - 赤の女王とお茶を

    といえるのかもしれません。女性に限らずね。 自分で檻を作って自分で檻に入った奇妙な獣 社会システムというものが権力によって構築されるとするならば、その仕組みは当然、権力を利するようになっているはず。 つまり権力を持たないものが単純にシステムに「適応」することは、権力者を直接間接に利することに他ならず、「自分の首を絞めている」と見ることも可能です。 そうはいっても、目の前の権力や強者やシステムに適応・迎合した方が都合がいいという判断は個人・短期のレベルでは十分にありえます。 クラスでは空気に合わせて道化を演じた方が居場所を確保できるし 職場ではサービス残業に励んだ方が上司の心象がいいし アメさんに成果主義といわれれば成果主義、フラット化といわれればフラット化を所与にしておいた方がいいだろう そして 男性がカネや権力を握っているなら、それを男性と奪い合うより共有する立場に立った方がトクだろう

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    zu2 2007/12/26
    適応と過剰適応の差か。システムを変える努力は常に必要だと思う。
  • パンドラの箱がひーらいた - 赤の女王とお茶を

    内田樹氏のこのエントリ『階層化=大衆社会の到来』 http://blog.tatsuru.com/archives/000880.php、僕にはかなり意味不明でした。何を問題にしているのかよく分かりません。 『大衆社会』。 自分以外のいかなる権威にもみずから訴えかける習慣をもたず ありのままで満足している えっと。こんなもの、日はず〜っとそうだったのではないでしょうか。人々が妙な上昇意欲を燻らせ、社会に不満をぶちまけ始めたのはつい最近、バブル崩壊以降のことでしょう。 それまでは何時の時代も、「大衆」は自分なりの満足を設定し、「権威」のことなど大して考えずにやってきました。「階層」だって、実際のところはそう簡単に移動できた時代などなかったのではないでしょうか。ただ単に、高度成長によってパイがでかくなった結果、階層の差が見えにくくなっていただけのような気がします。 じゃあ結局何が問題なのか、

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    zu2 2007/12/19
  • 労働で好きを実現しろオアダイ - 赤の女王とお茶を

    みたいになってません?なんとなく。 いろいろやるにせよ、何かを選択するにせよね。 好きがどうたらって話は昔いくつか書いたし、誰にいわれなくとも人は好きなことがしたいわけだ。誰がどう生きようと他人の人生は他人のものですしね。 ただ黄昏時とはいえ仮にも21世紀のトップクラスの先進国で、好きだの幸福だのが「労働」の文脈でしか語られないってのはどうなんでしょう。 個々人の生き方がどうこうよりも、私が気になるのはそこですね。 「労働」てのは基、世の中の需要に応えて対価を頂く作業で、まあそれを楽しむ術もいろいろあるとは思います。もし幸運にも「自分の好きなこと」「自分のできること」「世の中の求めること」が全て合致し続ければ一番よいのでしょうが、それでなければ不幸、好きなことができない、というのは人類が何千年も求めて作り上げてきた世の中なんですかね。 例えば労働でない「活動」というものもあります。 アイ

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    zu2 2007/12/12
  • 科学・技術は日本の生命線…のはずだけど - 赤の女王とお茶を

    京大の山中伸弥教授かっこよす - おこじょの日記 いやぁ素晴らしい成果ですね。停滞気味の日生命科学に久しぶりの花火が上がった気分。 応用へのめどがついたという意味でも画期的ですが、幹細胞研究に胚を使わなくて済むということは特に欧米人にとっては大きな「倫理的枷」が外れたわけで、ここから実用に向けて真の研究的「仁義なき戦い」が始まると見ていいでしょう。 それから日の厚生省の気の変わりやすさ。長期研究を短い期間に押し込めたり、十分な資金を与えずに放置したり。問題は、事務官の長が3年ごとに変わることだ。新しい人が来るたびに、科学研究に足跡を残そうと新しい予算を立ち上げるが、科学的な根拠はなく思い付きだけで、すでにある研究プロジェクト(どんなに成功していても)から予算を奪ってしまう。基的に、3年でプロジェクトが完成できなければ、あきらめろということだ。 で、記事にあるような山中先生の嘆きも実に

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    zu2 2007/11/22
  • 私達は一人一人「中国語の部屋」に生きている - 赤の女王とお茶を

    中国語の部屋」というのは哲学者ジョン・サールが提起した思考実験。「意識」を議論する時によく出てきます。 ごく簡単に説明すると、 ある箱に、中国語を全く知らない人が入っている。 外の(中国語を解する)誰かがその箱の中に中国語の会話や質問の書いたカードを差し入れる。 中の人はカードに書いていることは全く分からないが、箱の中には例えば 「$¢£%#」と書いてきたら「☆★○◇▼」と返せ のような「受け答えマニュアル」が用意されていて、何か分からないがとにかくその通りに書いて外に返す。 すると、中の人は意味も内容も全く理解していないに関わらず、外の人は「箱」と完全な対話をしていることになる。 またこの話は人工知能の文脈で語られることも多いようです。完璧なデータベースを備えた人工知能との「会話」は当の「会話」なのか?といった感じでしょうか。 では、私達人間はこの「箱」から当に解放されているのでし

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    zu2 2007/11/19
  • 右翼だから・左翼だから - 赤の女王とお茶を

    marcoさんからTBが来ていたが、ちょっと意図がよく分からない。 個別の問題には関心があるものもありますが、ウヨやサヨといった趣味的な話題には正直あまりついていけません。 ただ一つ気になることはあって、まあ単なる言葉尻の問題かもしれないのですが、 「私は右翼/左翼だから〜である」 という言い方ですね。 これが例えば「医者だから・法曹だから・ピアニストだから・原子力技術者だから、〜である」 ならよく分かるんです。そういう専門的な知識や技能に基づけば、こういう判断になりますよ、ということですから。 でも右翼や左翼ってのは特定の専門知識や技能じゃありませんよね。飽くまでも個別のイシューがあって、ある人のそれらに対する判断を見て、外部がその人をカテゴライズするものでしょう。 もちろん自分の意見を客観的に見て、どちらかというと右だ、左だ、という判断はできると思います。 例えば私は分配・自由・文化

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    zu2 2007/10/30
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