ブックマーク / tonmanaangler.hatenablog.com (33)

  • 「二本手に入る」は「日本手に入る」なのか?(その2) - 国家鮟鱇

    tonmanaangler.hatenablog.com 「二手に入る今日の悦び」は「日手に入る」だとすると誰が手に入れたというのだろうか?もちろん織田信長が手に入れたということだ。しかし、それはおかしいではないか。 いや以前の織田信長観だったらおかしいと思わなかったのかもしれない。信長は天下取りを当初から狙っており、足利義昭はそのための道具に過ぎないのだと。だが、最近は信長の目的は室町幕府の再興だったという説が主流になっている。この説に従えば「日手に入る」はおかしい。 いやこれは小瀬甫庵の『信長記』や遠山信春の『織田軍記』等に書いてあることであり、同時代の一級史料ではない。後の時代に創作されたものであって、そこでの信長は最初から天下取りを目指していたのだからおかしくはない、と考えることも可能かもしれない。 しかしながら、これが史実ではないとしても、一度疑いの目を向けてみると、 (1

    「二本手に入る」は「日本手に入る」なのか?(その2) - 国家鮟鱇
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    zu2 2022/11/10
  • 「二本手に入る」は「日本手に入る」なのか?(その1) - 国家鮟鱇

    「二手に入る今日の悦び」という有名な歌がある 紹巴、末広がりの扇二、台にすゑて直に捧げらる。いかにと見る所に、御前につい居て、上下をも取あへず、 二手に入る今日の悦び と申されければ、信長卿、 舞ひ遊ぶ千世万代の扇にて (『小瀬甫庵選 信長記』現代思潮社) 永禄11(1568)年に織田信長が足利義昭を奉じて上洛。9月28日東福寺を訪問したときに、連歌師里村紹巴らがお礼を申し上げた際の出来事。 なお『織田軍記』では 中にも連歌師の紹巴法師は、末廣の扇子二臺にのせて献上申し、御禮申上げゝれば、信長公御覧じて、 二手に入る今日のよろこび と御出吟あり、是につけられ候へと仰せられたりければ、紹巴は取りあへず、坐もさらで申上ぐるには、 舞ひるゝる千世萬代の扇にて と付け申上ぐれば、 (『通俗日全史』) とあり、信長と紹巴の詠んだ歌が逆になっている。 この「二手に入る今日の悦び」について

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    zu2 2022/11/10
  • 昨日の『豊臣秀吉は「日本」を「にほう」と書いたのか?』は取り消します - 国家鮟鱇

    久々に書いた記事だったけど… 秀吉書状の「にほうの大いり」=「日の内裏」は、(1)いくら何でも「日」を「にほう」と書くだろうか?そして(2)「内裏」とだけ書けば良いのであって「日の」は不必要という点において、非常に不自然な印象を受ける。 よって、「にほう」は「日」ではなく別の意味があるのではないか?と考え「二房(にぼう)」ではないかと思い付いた。「にほうの大いりゑしゆし」で「二房(側室)の内裏への出仕」を求めているのではないかと。 しかしながら、別の文書を参照すると、秀吉は朝鮮国王の参内を求めている。よって「にほう」=「二房」は成り立たない。「にほう」=「国王」なら成り立つが、それに当てはまる文字が全く思い付かない。 ただし、これでまた不自然な点が一つ増えた。というのも他の文書には「高麗帝王」「高麗国之帝王」「高麗国王」「国王」とことごとく誰が出仕すべきかが書いてあるのに、この文書

    昨日の『豊臣秀吉は「日本」を「にほう」と書いたのか?』は取り消します - 国家鮟鱇
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    zu2 2022/10/22
  • 豊臣秀吉は「日本」を「にほう」と書いたのか? - 国家鮟鱇

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    zu2 2022/10/21
  • 呉座勇一氏について(6) - 国家鮟鱇

    呉座氏が漢文を読めないという情報がツイッター上にあった。 昨夜は呉座勇一が元寇資料を読めずに真逆の解釈を著書でやってるのをみせてもらった。初歩の漢文であった。そして、日語訳もすでに出ているものだった。資料読めないならだれでも数百円で買える和訳も参照していないことがわかった。呉座の資料読みはほんと適当だな、信頼するに足らん、と思った。 — カワイ韓愈 (@kawai_kanyu) 2021年3月20日 具体的には『戦争の日中世史: 「下剋上」は当にあったのか (新潮選書) 』(2014/1/24)「第一章 蒙古襲来と鎌倉武士」において『元史』の記述を 「(至元十一年)冬十月、其国に入り、これに敗れる。官軍(モンゴル軍・高麗軍)整わず、また矢尽く」 と和訳しているところ。だとすれば、文永の役(1274)においてモンゴル軍が敗れたことが「正史」に明記してあることになる。しかしながら原文は

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    zu2 2022/02/21
  • 陰謀論批判批判 - 国家鮟鱇

    呉座勇一氏が陰謀論批判をしている。 ⇒「この国に陰謀論が蔓延する理由」歴史学者・呉座勇一に訊く(現代ビジネス編集部) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) 陰謀論を批判するのは良いのだけど、この批判は妥当なのだろうか? なにか大きな事件が起こると、すぐに陰謀論、ファクトに基づかない「憶測」が氾濫する、という流れが定着しています。昔は無視できる程度の影響力にすぎませんでしたが、現在はリツイートやシェアによって急速に拡散し、「陰謀論」がなんだか説得力のあるものとして受け入れられてしまう。これは大問題です。 まず確認したいのは、ここで言う「陰謀論」は日史に関する陰謀論のことではなくて、政治事件・事故等に関する陰謀論も含まれているということ。確かにインターネットの普及により陰謀論は増えた。というか大きな事件どころか、そこそこニュースで取り上げられるような事象には必ず陰謀論が伴うと言って良いだ

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    zu2 2018/06/05
  • ドローン事件容疑者のブログについて - 国家鮟鱇

    官邸ドローン犯人のブログ、僕が見た時点でカウンターはたったの1159…自分で見たってカウントは増えるんだから、ほとんど誰も見てないんだろうな。一部始終を公表してたのに、自分で出頭するまで気付かれなかったテロリスト… http://t.co/9Vf4QHfUYt— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2015, 4月 24 ⇒はてなブックマーク 容疑者のブログがなぜ今まで注目されなかったのか?ってことですよね。 こんなに明確に書いているのに今まで誰も見つけられなかった、なぜか?それは 出頭直前まで非公開だったからじゃないですかね? ブログにこう書いてあるじゃないですか 計画 4/8 官邸にドローン墜落・・・マスコミ報道 4/9 ブログ公開、警察に出頭・・・ここが選挙3日前 4/12 混乱の中で選挙を迎える ⇒ゲリラブログ参 反省会 これが4月10日付の記事。実行は4/8日。ところが

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    zu2 2015/05/15
  • 日本の若者はビートルズを聞いてなかったという話は本当か?(3) - 国家鮟鱇

    俺が何でこの問題に関心があるかといえば、もちろん「日の若者はビートルズを聞いてなかった」ということに関心があるだけでなく、日史全般の問題としてこのようなことは起こりうると思うから。特に今は「創られた伝統」論が流行しているからこの手の話は受け入れられやすい。それによって新たな歴史の視点が与えられることもあるけれど、歴史が歪められてしまう危険性もあるだろう。 さて「当時の若者はビートルズを聴いていなかったのか」というのが論点ならば、俺はそんなことはない、聴いていただろうと思う。 ただ「聴いていた」というのはどういうことか?というのが曲者だろう。定義によってずいぶんと幅が広いように思われる。 たとえば俺の世代は都はるみの「北の宿から」や千昌夫の「北国の春」を「聴いていた」。まあ全員が聴いていたとは言えないかもしれないけれど、テレビやラジオの歌番組で流れるので自然に耳に入ってくる。だからといっ

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    zu2 2015/05/03
    “今はそもそも興味のないジャンルの音楽を聴く機会が乏しい”
  • 一人一石説(その3) - 国家鮟鱇

    既に書いたように 一石というのは一人の人間が一年(三百六十日)にべる米の量を基準にして定めた単位 という説は事典類で確認することはできなかった。そのようなものを井沢氏は「予備知識」として提示しているのである。 この部分をもう少し長く引用する。 たとえば「唯物史観」の側の学者はよく「江戸時代の農民は自分が作った米を武士階級に取り上げられ、アワやヒエのような雑穀しか口にできなかっった」と主張する。 これ、実は、まったくのデタラメなのである。 そう言われても納得しない人が多いだろう・ このことは「常識」として教えられ、われわれの頭の中に刷り込まれているからだ。 しかし、これがデタラメであることは、論理的にきちんと証明できるのである。 証明したのは残念ながら私ではない。物理学者で理学博士の板倉聖宣氏である。 板倉氏の論証は「歴史の見方考え方」(仮説社)に詳しく述べられているが、それを紹介する前に

    一人一石説(その3) - 国家鮟鱇
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    zu2 2015/04/07
  • 一人一石説(その1) - 国家鮟鱇

    近頃流行りのニセ歴史。今度は ⇒日の女性が男の後ろを歩くのは斬られないため!?ホントか? - Togetterまとめ なんて話もあるそうだ。「日の女性が男の後ろを歩くのは斬られないため」という説があること自体が俺は初耳。 で、俺も便乗して前々から疑問に思っていることを。それが「一人一石説」。 これをはじめて知ったのは週刊ポストに連載されている井沢元彦の『逆説の日史』を読んだとき。 これは偶然の一致だろうか。実は違う。一石というのは一人の人間が一年(三百六十日)にべる米の量を基準にして定めた単位なのだ。もちろん働き盛りの若者はもっとべるだろうが、あくまで子供や大人や老人も含めた平均値ということだ。そして、これが人間中心の単位ということでもある。 『逆説の日史(1)古代黎明編』(小学館) あとでまた触れるけれど、これを井沢氏は「予備知識」として紹介している。「予備知識」というからに

    一人一石説(その1) - 国家鮟鱇
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    zu2 2015/04/07
  • 都議会ヤジについて(その11) - 国家鮟鱇

    塩村都議の過去の問題が掘り起こされて、週刊誌など(それ以前からネットで)あれこれ言われている。しかし、それと今回の問題は関係ない。それは大勢がわかっているだろうことだけれど、ここで言いたいのは「塩村都議の過去は関係ない」というよりも「塩村都議は関係ない」ということだ。少なくとも俺はそうだ。 もちろんこの塩村都議はヤジを浴びせられた当事者である。みんなの党が抗議したことによってこの件はマスコミに注目され記事となって我々の知るところとなった。それがなければそもそもそんなことがあったことを知ることはなかったわけだ。これまでも悪質なヤジはあったのだろうがニュースにならなければ通常は一般人にはわからない。 でも、こうして知るところとなったからには最早塩村都議1人の問題ではない。ゆえに過去のことはもちろん、ありえない話ではあるが彼女が万一「抗議したのは間違いでしたごめんなさい、この話は終わりにしましょ

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    zu2 2014/07/03
  • 「当時の人はよく知っていた」 - 国家鮟鱇

    江戸時代の終りがいつなのかについては複数の説があるようだ。 終期については、徳川慶喜が大政奉還を明治天皇に上奏した1867年11月9日(慶応3年10月14日)とする見方や、王政復古の大号令によって明治政府樹立を宣言した1868年1月3日(慶応3年12月9日)とする見方も存在する。 ⇒江戸時代 - Wikipedia 仮に1867年11月9日説を採用すれば、その前日に生まれた人は江戸時代生まれで、現在生きていれば146歳となるが、そういう方はいらっしゃらない。日最後の江戸時代生まれの人とされているのは「河にわ」という女性で1976年に満113歳で亡くなっている。 ⇒日最後の一覧 - Wikipedia 江戸時代最後の日に生まれた人は1950年1月には82歳であり存命の人は相当いたはずだ。もっとも生まれたばかりだから江戸時代の記憶は残っていなかっただろう。さらに10年前の1940年1月だ

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    zu2 2014/06/19
  • 自由主義の要点?(その4) - 国家鮟鱇

    はてなブックマークに kurokawada ハーバート・サイモンという経済学者が、取引に関する情報量は市場が政府をはるかに上回る、みたいなことを述べているとか 2014/05/01 とある。俺はハーバート・サイモンという人を良く知らないから検索したら ⇒サイモン というページがあった。そこに 人間は,その合理性における限界ゆえに,大きな問題に一挙に対処することはできず,複雑な問題の解決にあたる場合,問題を分解して理解し解決しようとする。組織目的は,複雑で大きな問題であるから,まず,これをいくつかの中間的な目的やより小さな目的に分解し,分解した問題群に担当メンバーを配置していく。目的の階層化が,階層的な組織構造を生むのである。組織は,目的の階層化によって,人間の合理性の限界をある程度克服できる。意思決定の範囲が狭まり,収集すべき情報の量も限定されるから。組織が編成される理由もここにある。 と

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    zu2 2014/05/02
  • 日本人による反重力の発見 - 国家鮟鱇

    1989年、「フィジカル・レビュー・レターズ」という物理学の権威ある雑誌にある論文が掲載された。タイトルは「右回転ジャイロによる重力減衰」というもので、H. Hayasaka, S Takeuchiという二人の日人が執筆したものだった。 ⇒早坂秀雄 - Wikipedia ⇒フィジカル・レビュー - Wikipedia 以下『きわどい科学』(マイケル・W・フリードランダー)より きわどい科学―ウソとマコトの境域を探る 作者: マイケル・W.フリードランダー,Michael W. Friedlander,田中嘉津夫,久保田裕出版社/メーカー: 白揚社発売日: 1997/04メディア: 単行 クリック: 4回この商品を含むブログ (4件) を見る 彼らの論文は査読を通り抜けた。疑問はあったが、明らかな傷はなかったのである。発表後、かなり短い期間で、何人かの科学者がさらに感度を上げ、装置自体

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    zu2 2014/04/12
  • なぜ人は陰謀論を信じるのか - 国家鮟鱇

    ⇒なぜ人は陰謀論を信じるか:安易な俗論を排す - 今日の雑談 まず基的なこととして。世の中に陰謀は現実に存在する。しかしながら確かな証拠が無いのに安易に陰謀があったとみなすことは慎重でなければならない。陰謀以外の理由で説明がつくかもしれないのだから。ということを理解していればそもそも陰謀論に嵌ることはない(はずだ)。 それを理解しなければ専門外だけでなく専門分野においても陰謀論者になってしまう危険性が高いはずだ。逆にそれを理解していれば専門外のことであっても安易に陰謀論を唱えるのは控えようということになるはずだ。 ではなぜ専門分野ではそんなことはないのに専門外では陰謀論を唱えるというような現象が起きるのか。jura03氏は その物理学の専門家がロジカルに科学的にものを考えることができるのは、あくまでも物理学のその分野においてどのように考えれば科学的な判断ができるかという訓練を積んできたか

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    zu2 2014/04/12
  • なぜ人は陰謀論を信じるのか(その2) - 国家鮟鱇

    論理的思考力を持つ人がなぜ陰謀論に嵌るのか? 考えられる要因としてはあと「もし当だったら」という不安があると思う。 たとえば地球温暖化は間違いかもしれない。しかしもし当に起こったら、あるいは確実に起きることが確認された時には、対策を取ろうとしても手遅れかもしれない。だとしたら間違いの可能性があるとしても対策しておくに越したことはない。という考えで現在の対策がとられているのだと思う。 それと同様に、陰謀は無いかもしれない。でもあったとしたら大変なことになる。だとしたら疑わしいことがあれば手遅れになる前にそれに対抗する必要がある。というのはある程度は論理的な考え方ではある。というか論理的思考能力が無ければ思いつかない。 さらに言えば、このような考え方は見につけておくべきことであるようにさえ思われる。陰謀などあるはずがないという考えもまた危ない。 問題は一線を越えてしまうことだろう。その一線

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    zu2 2014/04/12
  • 「大石八左衛門」とは何者か? - 国家鮟鱇

    ⇒なぜお相撲さんといえば「どすこい」なのか? | Kousyoublog 全く筋とは関係ない話だが気になってしょうがない。 「滋賀県長浜市鳥羽上町の相撲甚句」 アーヨーエ 昔大石八左衛門は 桔梗の御紋を破るにアードッコイドッコイ アー女で板額門破る 常盤御前は 我が子のために貞女破る 悪七兵衛景清は(中略) 日清戦争のこの時にゃ 原田重吉 平城門を押し破る 下って明治三十七、八年の戦争にゃ 陸軍海軍 旅順港を押し破る 「大石八左衛門」とは何者か?というわけで、ちょっと調べてみた。結論から言えばわからなかった。ただ、謎を解く鍵はあるように思われる。 それは「女で板額門破る」のところ。これは何ぞや?と検索してみたら「板額」というのは女性の名である。 ⇒板額御前 - Wikipedia では「板額門破る」とは何かといえば ⇒《板額門破り》 とは - コトバンク 『和田合戦女舞鶴』(わだかっせん

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    zu2 2014/02/22
  • 信長の天下 - 国家鮟鱇

    ⇒「織田信長 (人物叢書)」池上 裕子 著 | Kousyoublog 彼の事跡や生涯についてはまぁよく知られている通りで、書でも手堅く定説が記述されている。著者のスタンスとしては『信長を英雄視しない』とするもので、その生涯を辿るにあたって、「天下」という言葉の意味するものの変化に注目している。 戦国時代、「天下」は必ずしも日を意味していなかった。信長自身、「天下」を日の意味で使ったことは無いし、信長が掲げた「天下布武」「天下静謐」という言葉における「天下」も日を指していない。中世末期の「天下」の使われ方は、『天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがある』(P57)とされる。 信長の「天下」の意味についてはこのに書かれているような考えが現在の定説だ。でも俺は納得していない。その理

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    zu2 2014/02/20
    天津国の下、なんじゃないかな
  • いただきます - 国家鮟鱇

    ⇒通過儀礼としての - Living, Loving, Thinking 我が家では「いただきます」は全くやらない。いろんなところに住んできたけど周囲でも見たことがない。小学校の給では言ってたと思う。ただし合掌はしない。特に意味があるわけではなくて、給の準備が出来てみんなで同時にべ始めるための合図でしょう。なぜ全員同時にべ始めなきゃならんのだ、全体主義かという大げさなものじゃなくて、そうしなければ腹の空いたガキどもが順番争いをすることになるのは必至なわけで合理的なことだと思う。なぜ「いただきます」なのかというのは、なぜ「おはようございます」なのか、なぜ「さようなら」なのかというのと同じで、そういうことになっているからであって意味などいちいち気にしない。 例外としては他の家で事をするときや店で奢ってもらうときには「いただきます」と言う。当然、相手に対して言うのであって超自然的なもの

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    zu2 2014/01/01
  • 丸山眞男と「保守」 - 国家鮟鱇

    先日の池田信夫氏の記事。 日に伝統と呼べるものがあるとすれば、それは明治憲法や新憲法のような輸入品ではなく、丸山眞男が「古層」と呼んだ古代以来の伝統ではないか。それは近代化によって消えたようにみえるが、驚くほど強く現代社会に根を張っている。この伝統を自覚し、それを保守するのか変えるのかを考えることが、当の日人の問題だと思う。 ⇒池田信夫 blog : 保守すべき「伝統」とは何か 「丸山眞男 古層」で検索するとアゴラの記事が多数見つかるのでアゴラ界隈すなわち池田信夫氏の周辺ではこの思想の影響が大きいのであろう。そしてそれが彼らの「保守」の理解にも関わっているのだろう。しかし、その「保守」理解は俺の理解するところと大きく異なっている(なお池田氏自身は「保守」ではなく「リバタリアン」を自認していると思われ)。 さて、「丸山眞男 古層」で検索していて面白い記事を見つけた。 ⇒松健一による丸

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    zu2 2013/12/27