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「二本手に入る」は「日本手に入る」なのか?(その2) - 国家鮟鱇
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「二本手に入る」は「日本手に入る」なのか?(その2) - 国家鮟鱇
tonmanaangler.hatenablog.com 「二本手に入る今日の悦び」は「日本手に入る」だとすると誰が手に入れた... tonmanaangler.hatenablog.com 「二本手に入る今日の悦び」は「日本手に入る」だとすると誰が手に入れたというのだろうか?もちろん織田信長が手に入れたということだ。しかし、それはおかしいではないか。 いや以前の織田信長観だったらおかしいと思わなかったのかもしれない。信長は天下取りを当初から狙っており、足利義昭はそのための道具に過ぎないのだと。だが、最近は信長の目的は室町幕府の再興だったという説が主流になっている。この説に従えば「日本手に入る」はおかしい。 いやこれは小瀬甫庵の『信長記』や遠山信春の『織田軍記』等に書いてあることであり、同時代の一級史料ではない。後の時代に創作されたものであって、そこでの信長は最初から天下取りを目指していたのだからおかしくはない、と考えることも可能かもしれない。 しかしながら、これが史実ではないとしても、一度疑いの目を向けてみると、 (1