1953年に、北原怜子さとこの『蟻の街の子供たち』と松居桃楼とうるの『蟻の街の奇蹟』という2冊の本が、あいついで刊行された。 そして1958年、北原の死の直後に、あらためて松居の『蟻の街のマリア』という伝記が出版され、松竹で五所平之助監督によって映画化される。『自由学校』の映画は、たしか吉村公三郎監督の大映版を中学生のころに見たと思うが、こちらは見ていない。北原や松居の本も読んでいない。なのに「蟻の街」のことは、それなりにしっかりおぼえている。新聞や週刊誌(ただし1953年はまだ『週刊朝日』と『サンデー毎日』と『週刊サンケイ』しかなかった)が、よっぽどハデに報じていたのだろう。 ――ほほう、では須賀さんは? もちろん知ってたんじゃないの。須賀敦子は北原とおなじ1929年生まれで、松山巖の『須賀敦子の方へ』によると、聖心女子学院高等専門学校在校中の1947年(翌年、同校は聖心女子大学に切り替