王賁は父王翦を超える名将だった 王賁の最期について見る前に、一体王賁がどんな手柄を立てたのかについて、史記白起王翦(しきはくきおうせん)伝と秦始皇本紀魏世家(しんしこうほんきぎせいか)から抜き出してみましょう。 紀元前226年、秦は王翦の子の王賁に命じて楚(そ)を撃たせ楚軍を破った。 翌年、王賁は引き返して魏(ぎ)を撃ち魏王は降伏、遂に魏の地を平定した。 史記白起王翦伝 紀元前225年、魏を攻め黄河の水を魏都の大梁に引いて包囲し魏王假(か)を降伏させ魏を滅ぼした 秦始皇本紀魏世家 紀元前222年、燕の遼東(りょうとう)を攻めて燕王喜(き)を捕らえ燕を滅ぼした。 さらに代(だい)(趙の亡命政権)を攻めて代王嘉(か)を捕らえ代を滅ぼした。 紀元前221年、王賁は、李信(りしん)・蒙恬(もうてん)と共に燕(えん)・斉(せい)を破りその地を平定した。 史記白起王翦伝 こうしてみると、王賁の登場は紀