こんな無茶苦茶(むちゃくちゃ)な時代が、ほんの五〇年前にあったのだ。一九六九年、金沢での第六六回精神神経学会の異常な状況を、著者は克明に描写する。学術発表はすべてキャンセルとなり、四日間の全日程が評議員会と総会での議論に費やされた。医療制度や大学医学部のあり方に批判的な一派が、ヤジと怒号で議事の進行を妨害し、学会の理事たちを吊(つる)し上げたのである。 以後数十年間にわたって、日本の精神医療は停滞した。関連学会の多くは混乱し、東京大学の病棟の一部は長期間占拠された。その結果、精神疾患患者を病院に隔離入院させるのではなく地域で支える「脱施設化」が、日本では大きく遅れてしまった。精神科医である著者は、そう批判する。 造反側にも一分の理はあったかもしれない。しかし、日本の「極左・急進派」は、しばしば教条主義的に机上の空論を弄(もてあそ)び、暴力的運動を肯定する。その典型的な事例のひとつだと、ぼく