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2014年4月23日のブックマーク (6件)

  • 専門メディアが掘り当てた、ネットの"金脈"

    毎月のページビュー(PV、サイトが閲覧された回数)は約1億。専門メディアながら新聞社のサイト並みのPVを誇るアイティメディア。同社の歴史は、ソフトバンクによるジフ・デービス(コンピュータ関連の出版社)買収にさかのぼる。ジフ・デービスのITニュースサイト「ZDNet」の日語版がそのルーツだ。以来、15年に渡り、ネットメディアに特化して事業を展開してきた。近年、新興メディアが次々と立ち上がる中では老舗の存在と言えるだろう。 孫社長の「先見の明」 ――そもそも、ソフトバンクがネットメディアを立ち上げた経緯は? 1995年、ソフトバンクは米ヤフーに出資し、インターネットに大きく舵を切るポイントがあった。当時、僕は出版部門でコンピュータやインターネットの雑誌のビジネスを手掛けていたが、ヤフージャパンの立ち上げ時に、広告の販売や商品作りの責任者としてかかわった。孫社長に、「ヤフーはネット広告でべて

    専門メディアが掘り当てた、ネットの"金脈"
  • “読み捨てされる作家”が個人で電子雑誌を創刊したら何が起こったか 漫画家・青木光恵に聞く

    紙のが売れなくなったといわれてはや数年。出版社が電子書籍への取り組みを続ける中、漫画家や作家も電子書籍の自主出版など、さまざまな可能性を試行している。 自らを「読み捨てされる作家」と称する漫画家・青木光恵さんもその1人。夫の小形克宏さんと二人三脚で2013年11月から個人電子雑誌『スマホで光恵ちゃん』(以下、『すまみつ』)を、ブクログの電子書籍出版プラットフォーム「パブー」やAmazonKindleストアで定期的に発行している。 2人の活動をサポートするブクログの大西隆幸さんを交えて、その取り組みで得られたものや、作家として直接ファンに作品を届けることで見えた可能性などを聞いた。 単行の売れない作家=商品価値がない? ―― 最初にすまみつの発行を決めた経緯から伺っていきたいと思います。青木さんや小形さんが個人で電子雑誌を発行するに至った背景にはどういったものがありましたか。 青木 私

    “読み捨てされる作家”が個人で電子雑誌を創刊したら何が起こったか 漫画家・青木光恵に聞く
  • 異世界召喚・転移・転生ファンタジーライトノベル年表 | ブックオフ公式オンラインストア

    異世界召喚・転移・転生ファンタジー小説歴史の異世界(異界)へ行く物語の歴史は、1820年以前よりもさかのぼれます。平田篤胤ののこした『仙境異聞』は仙界で暮らした少年の話をまとめ、宮地水位が記した『異境備忘録』は神界や魔界への旅の記録をのこしています。これらはファンタジーというよりオカルト的要素が強く出ています。 異世界召喚ファンタジーといえば、高千穂遙さんが1979年に書いた『異世界の勇士』が有名です。高校生の主人公リュージが異世界へ招かれて災厄を救う物語です。また、半村良さんの『亜空間要塞』(1974年)も異世界転移作品といえるかもしれません。 1991年ころから、不安定な社会情勢を背景に、異世界へ行く物語が増えはじめます。しかし以降、現代世界から異世界へ行く召喚・転移ものはなりをひそめ、異世界を舞台にした異世界の物語、異世界ファンタジーが隆盛しました。 そして2011年。ネット

    AKIYOSHI
    AKIYOSHI 2014/04/23
    すばらしいまとめ。惜しむらくはここで買うと古本だということだ。
  • 萌特化書店員 : 2014年春アニメの人気を書店の売場から考察

    2014年04月22日17:48 2014年春アニメの人気を書店の売場から考察 カテゴリ屋の売場から さーて、今回からちょっとデータ化するにあたってイロイロと簡略化してます。 2014年4月始まりのアニメの売れ行きを私の職場で見るとどうなるかっていうものです。相変わらず2期ものは省いていますがこれは「アニメ化」に感化されて原作を手にとって買って行かれたファンの動きを見てみたいと思っているのでそういった形にさせて頂いてますのでよろしくおねがいします。集計した数字は直近1ヶ月のものになりますので放映開始前分も含まれていますが、これは売り場を作るにあたって実際のところ3月の下旬には冬アニメと入れ替えを行っていますので売場の展開と前評判の部分も評価に加えていいんじゃないかなと思ったのでこの算定期間になりました。ここのところはこれまでとはちょっと考え方変えてますね。 で、今までは各々のシーズンごと

    萌特化書店員 : 2014年春アニメの人気を書店の売場から考察
    AKIYOSHI
    AKIYOSHI 2014/04/23
  • 音楽業界それなりに長いけど質問ある? : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ

    音楽業界それなりに長いけど質問ある? Tweet 1: 名無しさん 2014/04/21(月)19:12:52 ID:Eb2QMq3Ky スタジオミュージシャンとして15年 作家として10年やってる。 音楽事務所の丁稚奉公からプロデューサー、ディレクターとひと通りやった 4: 名無しさん 2014/04/21(月)19:13:38 ID:haHHwO6Fm どんなスキルが必要なのん 8: 名無しさん 2014/04/21(月)19:14:32 ID:Eb2QMq3Ky >>4 どんな・・・それは何になりたいかによる でも共通して言えるのは体力と理不尽さに耐える能力 10: 名無しさん 2014/04/21(月)19:15:20 ID:haHHwO6Fm >>8 理不尽ってどんなの?締め切り極端に短いとか? 20: 名無しさん 2014/04/21(月)19:18:44 ID:Eb2QMq3

    音楽業界それなりに長いけど質問ある? : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ
  • ファミコン時代にナムコブランドとして出された他社制作のソフト

    もう二十年以上昔の話になりますが、実はファミコン時代にはサードパーティ、すなわち任天堂及び任天堂直下の会社以外は年間に出すソフトの数に制限が加えられていたというのをご存じでしょうか。これは任天堂の方針で、供給過剰や粗製濫造を起こさせないための対策だったと言われています。 しかし、ファミコンに早期から参入したサードパーティは、その初期ライセンス企業の優遇処置として数制限なし、自社ラインで生産可能等といったメリットがあったようです。その対象企業はハドソン、ナムコ、タイトー、コナミ、カプコン、ジャレコの六社。 そのうち、ナムコはその特権で他社の制作したソフトを自社のブランドで出し、ライセンス料をもらうという方法を始めます。 この後、これの問題から優遇処置打ち切り、そして裁判沙汰にまで発展して、任天堂とナムコの関係が悪化していったと言われています。ちなみにこの時のゴタゴタが後を引いて、ナムコを

    ファミコン時代にナムコブランドとして出された他社制作のソフト