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人生に関するAmrakのブックマーク (481)

  • オタクがオタクでなくなるとき | 文春オンライン

    ネットの時代になって、そういう希少な趣味でも同好の士を見つけることが簡単になったこともあり、国内や海外の情報サイトを漁って最新のゲーム事情、新たなゲームトレンドを追いかけたり、逆にボードゲームの過去の名作がオンラインサポートされるようになったと言われたら、海外の大学の面々と何週間もかけて「ディプロマシー」という古い古いゲームでネット対戦したりするのです。 子供のころは時間がたくさんあって、使い切れないほどの時間と足りない小遣いの間で創意工夫しながら好きを極めてきました。好きでやっているから、熱中しているあいだはどれだけ無茶苦茶をやっても疲れない無敵の自分を経験します。他人から見れば物好きでしかないのだけれど、自分にとってはそれが価値だし、やり遂げなければならないと決めた以上は「信長の野望」が描き出す戦国の世界を飛騨・姉小路家で統一したり、「シヴィライゼーション」はエジプトで遺産という遺産を

    オタクがオタクでなくなるとき | 文春オンライン
  • 厄年なのに据え膳がマブい

    結婚8年目。 こどもは男女一人ずつ。 ここまで大きな喧嘩も不貞行為もなく順風満帆。 ただひとつ、4年のセックスレスを除いては。 途中で話し合いをしなかったわけではないが、理由をはぐらかされては「あなたがもっとがんばって」とか言われる始末。 育児にも積極的に参加して、へのプレゼントも欠かさず送っている。 なのにはいつもそっけなく、ありがとうと言われることも稀だ。 日常生活で何かがすれ違っているのだろうか。 あれこれ試してみても響くものはなく、話し合いを試みようにも疲れているからと取り付く島もない。 その辺りは過去に増田でもらした時に多くの同情をもらえたので、それほど的はずれなことをしてはいないはずだ。 しかし残念ながら皆から頂いた温かいアドバイスはどれも虚しく空を切るばかりだった。 題。 今年が厄ということが最近わかり、出来る限り慎重に生活をしている。 もともと火遊びどころか非モテ

    厄年なのに据え膳がマブい
  • 俺ら就職氷河期世代ってもう忘れ去られたのかな (追記あり

    最近はてぶ見てても就職氷河期を扱ったネタをほとんど見なくなった。たまに見かけるとしたら俺らより若い世代の就職関連の記事のブコメに就職氷河期世代の恨み節とか、切り込み隊長とかが書いてる高齢者介護ネタで「あと10年、20年もしたら非正規の就職氷河期も加わるぞー!!もう日は終わりだー!!」なんてネタだけ。もう就職氷河期世代をどうやって安定させた仕事につかせるかみたいな話はめっきり見なくなった。 さじ投げられちゃったんだろうね、俺たち。政府のおエラさんにも学者さんにもブロガーさんにも。いろいろ議論して考えたけど、こいつらを救済する妙案も資金もないわって。この前若い頃に見た「トレインスポッティング」って映画の続編がやってたから見たんだけど、若い頃にまともな職につかずドラッグばっかやってた連中が40代になっても相変わらずまともな職つけずにプラプラダラダラしてるって話だった。なんだドラッグしてないだけ

    俺ら就職氷河期世代ってもう忘れ去られたのかな (追記あり
  • 人質にひたすら食事を作り続けた4カ月間【在ペルー日本大使公邸人質事件】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    事件当時を振り返る深澤宗昭さん かつて南米のペルーで左翼ゲリラが日大使公邸を襲撃、人質を取って4カ月あまりにわたって立てこもるという事件があった。在ペルー日大使公邸人質事件である。 1996年12月17日の午後8時20分、左翼ゲリラ組織MRTA(トゥパク・アマル革命運動)のメンバー14人が、ナショナルデーのレセプション会場となっていた日大使公邸を襲撃、会場にいた621人を人質にした。 人質は順次解放されたが、事態は次第に膠着(こうちゃく)。翌97年4月22日にペルー軍の特殊部隊が武力突入するまでの間、72人(同年1月末以降)が邸内での人質生活を余儀なくされた。 突入時、ペルー人の人質が1人、部隊の隊員2人が死亡。しかし、それ以外の人質71人(うち日人は24人)は全員無事であった。 当時、事件解決に向けてはペルー政府だけではなく、当地に在住していた日人の民間人も深く関わっている。リ

    人質にひたすら食事を作り続けた4カ月間【在ペルー日本大使公邸人質事件】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
  • お前らに貧困女子大生のリアルを教えてやる。(4.21追記)

    東北の田舎から東京の大学に進学した女子大生です。もう私の生活は限界です。 親は父親だけ、DV野郎でパチンカス、年収300万以外。 勉強ができたし田舎が大嫌いだったから東京の大学に進学した。当は私立の大学に行きたい学部があったけど学費が桁違いだったので諦めて国公立を受験した。 まず大学受験にかかる交通費や入学金や新居の敷金礼金は銀行から200万円借りて乗り切った。残ったお金は生活費の足しにする予定だったのに父親の昔やってた事業の借金返済に使われた。 学費の安い大学に受かった。引越し業者を使うお金も無いからスーツケースに少ない服と毛布だけ詰めて東京にきた。しばらくは服を床に敷いて毛布に包まって寝た。カーテンを買えるお金ができるまではシャッターを閉めて生活した。 大学生活一年目は、おっさんと月20万円の愛人契約を結んだ。おっさんに飽きて捨てられるまで一年間続いた。 進級して二年生になれた。おっ

    お前らに貧困女子大生のリアルを教えてやる。(4.21追記)
  • 野糞を続けて43年 「奥さんよりもウンコを選んだ」伊沢正名の信念

    「仙人になりたい」と高校を中退 「一番つらかったのは、カミさんに逃げられたこと」 「ウンコはごちそう」 そのココロは… 野糞を続けて43年。通算1万3千回以上も野糞を繰り返してきた伊沢正名さん(67)。「糞土師」を自称し、新著『「糞土思想」が地球を救う 葉っぱのぐそをはじめよう』(山と渓谷社)を出した伊沢さんに、野糞の神髄を聞きました。 スズメバチに刺され、ヒルに血を吸われても ――これまでにどれぐらい、野糞をしてきましたか。 1万3760回です(4月13日現在)。1974年からなので、野糞歴は43年になります。完全に野糞だけで過ごした最長記録は、2000年6月1日から2013年の7月15日までの13年間。最後は都内でお腹を壊して駅のトイレを使い、連続記録が途絶えてしまいました。 21世紀に入ってからトイレを使ったのは、その時も含めて3回だけだったんですが、2015年に舌ガンで入院して病室

    野糞を続けて43年 「奥さんよりもウンコを選んだ」伊沢正名の信念
  • 43代大統領ジョージ・W・ブッシュの意外な引退生活 『Portraits of Courage 』

    著者:George W. Bush ハードカバー: 192ページ 出版社: Crown ISBN-10: 0804189765 発売日: 2017/2/28 難易度:中級(半分は絵で、あとは人物の紹介文) ジャンル:アート(ポートレート) キーワード:ジョージ・W・ブッシュ、アフガニスタン紛争、イラク戦争、退役軍人、油絵、ポートレート 私が住んでいるマサチューセッツ州は「アメリカで最もリベラルな州」として知られている。それゆえ、高所得者優遇の減税で国民の収入格差を広げ、同時テロ後の国民感情を利用してネオコン(新右翼)のアジェンダを推し進め、アフガニスタン紛争とイラク戦争を始め、クリントン政権が黒字にした財政を大幅赤字にし、経済成長を遅らせ、金融危機を招いた43代ブッシュ大統領に対する反感は強い。 ところが、最近になって、ブッシュ大統領を毛嫌いしていた人たちが、「ブッシュがそう悪人には思え

    43代大統領ジョージ・W・ブッシュの意外な引退生活 『Portraits of Courage 』
  • 倒れた自分を誰かが起こしてくれる保証はない。やまもといちろう特別寄稿 | WORK SWITCH

    Work switch編集部です。これから3回にわたり、「30代はどう生きるべきか」というテーマでの短期集中連載をお届けいたします。第1回となる今回は、投資家・作家やまもといちろう氏の特別寄稿です。 あらゆる局面で衰退が予測される日。たとえば2025年には団塊の世代が後期高齢者に(75歳以上)に達し、介護・医療費など社会保障費負担の急増が懸念されます。2025年に日を支えていくのは、現在の30代・40代です。Work switchの主要な読者層でもあるこの年代は今後、どう生きていくべきなのでしょうか?やまもと氏の見解をご覧ください。 <短期集中連載目次> 第一回:「倒れた自分を誰かが起こしてくれる保証はない」やまもといちろう氏特別寄稿 第二回:「やれ、と言われたことだけやるリスク」は誰も教えてくれない。たられば特別寄稿 第三回:「会社のために頑張るな。自分のことをやれ」田中泰延特別寄稿

    倒れた自分を誰かが起こしてくれる保証はない。やまもといちろう特別寄稿 | WORK SWITCH
  • 「女性は若い時に結婚を」発言→「女性蔑視、人権侵害」→謝罪、撤回という風潮 : やまもといちろう 公式ブログ

    こういう話を読むと、胸が痛むんだわ。 「少子化対策…女性は若い時に結婚を。40歳過ぎると男性と距離あく」発言に、「女性蔑視!人権侵害!」批判→那覇市議、謝罪 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1700858.html 34歳で結婚して、35歳で童貞を捨てた私としては、いま思い返すに結婚なんて出来ないと思っていたんだ。ましてや、自分に子供ができるなんてことも、思いもよらなかった。だから、金ばかりあって、しかもケチなもんだから使い方を知らない。せめて、有効に使ってもらおうと、同じく結婚できない人たちと一緒に児童養護施設に少しばかりの寄付をしていたわけだね。 でもだな、施設に来ている子供たちというのは、親から望まれない存在だったり、愛し方が分からない親を持ってしまったり、さまざまないきさつがあって、そして何らかの助けがあって施設に住んでる。帰る家が

    「女性は若い時に結婚を」発言→「女性蔑視、人権侵害」→謝罪、撤回という風潮 : やまもといちろう 公式ブログ
  • リクルートを辞めてアフリカ移住していたら副社長になった話 : Natsumegblog

    リクルートを辞めてアフリカに行ってました。 そしてこの度アフリカから完全に帰国しました。 アフリカでお世話になったみなさん当にありがとうございました。 帰国後の今は、とある会社の副社長をやっています。 お世話になったみなさまにはちゃんと連絡ができずに申し訳ございません。経緯と今後についてこの場をお借りしてご報告させてください。

    リクルートを辞めてアフリカ移住していたら副社長になった話 : Natsumegblog
  • 子宮を全摘出する手術の立会人に「おっさんレンタル」を頼んだ話

    更新日:3月2日09時31分

    子宮を全摘出する手術の立会人に「おっさんレンタル」を頼んだ話
  • IT会社で働いたら拉致されて風俗のサクラを強要された話 - hirausan

    今から13年前のできごとだから記憶違いもあるかもしれないのは容赦いただきたい。 自分が19歳だったころ知人のツテで小さなIT会社で働いていた。その頃の僕はウェブサイトの企画、顧客との打ち合わせという名の折衝、デザインからコーディング、PHPというサイトに係るほぼすべての業務を行いつつ、新しく入ってきたデザイナーの子(好みだったけど肩幅が広かったから好みじゃなかった)の教育とかをやっていたと記憶している。 週5で実質一日12時間位働いて月12万という単純明快な給与には大して文句はなかった。今思えばめちゃくちゃ文句があるんだけど僕は物欲がなかった上に、自由に好き勝手やれる点で割と楽しんでいた。 社長との距離は近かった。というより社長くらいしか話す相手があまり見当たらなかった。技術を信頼されていたのもあるけれど、ものすごい勢いで人が入ってきて且つものすごい勢いで人が辞めていく職場だったからでもあ

    IT会社で働いたら拉致されて風俗のサクラを強要された話 - hirausan
  • 蟄居 - phaの日記

    冬で調子が悪いせいかちょっとしたことにいらいらしやすくなっている。 「自分は寛容でいろんな人を受け入れられる」みたいに思ってた時期があるけど、よく考えたら嫌いな人間はいっぱいいるし別に寛容じゃない。普通くらいか。寛容でいなければならないと義務感みたいなのを持ってたせいだろうか。 「人と人を繋げなければいけない」とか「この人にもこの人を紹介しなきゃ」みたいなことに、何か義務感のようなのが昔からあって、いつも妙に焦ってしまう。よく考えたら別にやらなくてもいいことなのかもしれないけど。まあ、やってよいことになる場合もあるだろうけど。 今よりも付き合う人の幅を狭めて自分が面白いと思う人間だけ相手にするようにしてもいいのかもしれない。世の中にはつまんない人間はいっぱいいる。人間の性格なんて赤ちゃんの頃に大体決まってるし合わない奴は合わないから合わせるだけ無駄とも思う。 でも、自分より器の大きい人間を

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  • 株やってる人のええ意見、過疎化と戦う投資一般板より再び : 市況かぶ全力2階建

    国産H3ロケット4号機の打ち上げ成功、スカパーJSATが保守運用の軍事衛星きらめき3号が秘密裏に軌道投入される 大谷翔平さんの6.7億円「50-50」ボールを諦めたジェイドグループ(旧ロコンド)の田中裕輔さん、会社の経費で0.6億円「51-51」ボールをゲットしてはしゃぐ

    株やってる人のええ意見、過疎化と戦う投資一般板より再び : 市況かぶ全力2階建
  • 56歳からコードを書き始めて食べていく方法

    私は56歳、最近プログラミングを始めたんだ。 なぜかって?やりたいからに決まっているじゃないか。ようやく最近コツをつかめてきてね。でもコツをつかめたからといって簡単にはいかない。正直なかなか手こずっている。でもいいんだ。 アルゴリズムに挑戦して我を忘れるのは楽しいし、まだテストしたい事があって「あと数分だけ」と繰り返し自分に言い聞かせるのもいい。「今度こそ上手くいったかも、、」とドキドキしてから「やったぞ!ついに動いた。」となる瞬間も大好きだ。 でもこんな私には今まで趣味と呼べるものが何ひとつなかった。自分に見返りがない事に時間を費やすのは嫌だったんだ。ただ楽しみのためだけに何かをするのが好きじゃなかったのさ。休みの日にやる事といったら、ちょっとした小遣い稼ぎになるような事ばかりだった。 オーケー。もちろんコーディングだって小遣い稼ぎさ。上手くやればかなり稼げる。これだってあなたから見れば

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  • 「いろいろいたほうが面白い」と言うDMM亀山会長が始める「高卒者向けアカデミー」(湯浅誠) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    会長の「不満」DMM.comの亀山敬司取締役会長は、最近不満に思っていることがある。 若手社員たちがお利口さんすぎて、面白くない。「良い子すぎて、ガツガツ感がない」。 会社はアダルトビジネスでの安定的な収益を原資に、次々と新規事業を始めている。 FX(外国為替証拠金取引)、オンライン英会話、3Dプリンタ事業などで成功も収め、IT分野では5の指に入る人気企業となった。一流と言われる大学からの就職希望者が増えた。 大学卒はもちろん優秀だ。利口でソツなく仕事をこなす。ただ失敗や恥をかくことをおそれる。会社内がそういう種類の人間にばかりになることに不安を感じる。 そこで考えついたのが、高卒者向け「DMMアカデミー」の創設。 亀山会長が目指すものは何なのか。ご人に聞いた。 きっかけはトランプ――高卒者向け「DMMアカデミー」は、アメリカ大統領選がきっかけと聞きましたが トランプが勝ったのは、アメ

    「いろいろいたほうが面白い」と言うDMM亀山会長が始める「高卒者向けアカデミー」(湯浅誠) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • ひきこもり新聞 創刊|NHK NEWS WEB

    「親が亡くなれば私もどうしようもなく死ぬでしょう」 「働くことは“不可能なこと”としてある」 ひきこもりの人や、ひきこもり経験のある人たちが、11月、新聞を創刊しました。長らく社会との関わりを断ってきた人たちが、なぜ外に向けて発信を始めたのか? 今、ひきこもりの人たちをめぐる課題に向き合おうとする当事者たちの姿を取材しました。(ネット報道部・蔵重龍) 「年末年始は、エネミー(敵)がやってくる」 「甥っ子、姪っ子にお年玉を上げるのを、うまく逃れる方法はないか」 先月創刊した、ひきこもり新聞の編集会議での話し合いの様子です。 なんだか軽い話をしているようですが、編集に関わる人たち全員が、ひきこもりの当事者か経験者です。 編集長の自宅を兼ねたアパートの一室が新聞の編集部。この日開かれた会議には16人が集まっていました。年齢は20代から50代まで、女性も数人いました。関東一円から、さらには仙台から

    ひきこもり新聞 創刊|NHK NEWS WEB
  • 朝鮮植民地支配の「不都合な真実」を暴く注目の一冊(堀川 惠子) @gendai_biz

    少女だった母の100年物語 自分の親の生涯を正確に知る子どもは、どのくらいいるだろう。 私がまだ小学生の頃、家の書斎の棚に、結婚前の父が母に贈った『智恵子抄』を見つけたことがある。赤茶けた古には短い手紙が挟まれていて、それと分かった。以来、二人の馴れ初めを尋ねるも、はぐらかされっぱなし。親戚のおじさんたちに探りを入れ、ようやく事情が掴めたのは大人になってからだった。 船曳由美著『一〇〇年前の女の子』が文庫になった。編集者としても名高い著者が、母親の人生を丹念に聴き取った、文字通り100年の物語。前半は、明治42年生まれの母が幼少期を過ごした北関東の田舎町が舞台。べ物に着る物、茶摘みに祭りと“百姓”の素の暮らしぶりを伝える記述は、民俗学的な記録になりそうなほど豊かだ。 そんな母がやがて上京し、苦学しながら新渡戸稲造や吉野作造らの講義を受けつつ知的に成長してゆく。変化の大きさが途轍もない

    朝鮮植民地支配の「不都合な真実」を暴く注目の一冊(堀川 惠子) @gendai_biz
  • 【追記あり】「加藤の乱」の故・加藤紘一氏を池袋のクソやっすい居酒屋のオフ会に呼んだらカルチャーショックを受けていた話

    まとめました。 --------------------------------------- 11/27 続きをまとめました。 続きを読む

    【追記あり】「加藤の乱」の故・加藤紘一氏を池袋のクソやっすい居酒屋のオフ会に呼んだらカルチャーショックを受けていた話
  • 母と歯と私

    28歳OL。やっと歯科治療が終わった。 かかったお金の総額は50万以上。期間は2年。 私と歯との戦いは子供時代にさかのぼる。 私は子供時代から虫歯が多かった。理由は単純で、歯を磨いてなかったからだ。 兄が神童だなどと言われはじめたときから、家庭内の私の存在は希薄になった。 神童の兄を有名校に入れるために、両親はなにかと忙しくなり、私に構う余裕はなくなった。 結果として、私は、お風呂は毎日入るものだとか、顔は毎朝洗うものだとか、歯は磨くものだとか、 そういう生きるために必要な情報が抜け落ちたまま成長してしまったのである。 今でこそ、虫歯はネグレクトのサインと言われているが、当時はそんな価値観はなかった。 歯科検診のときはできるだけ休むようにしていたが、運悪く逃げ切れず上級生にまじって歯科検診を受けさせられることもあった。 しかし、歯科医師は淡々と歯の診断をするだけで、そこから何をどうしろだの

    母と歯と私