終戦を告げる玉音放送が焦土に流れて70年。「父祖たちの戦争」は歴史の一コマになりつつある。当時を知らない世代はどう向き合っているのか。東京裁判でA級戦犯とされた軍人の子孫や、戦没者の慰霊に訪れた人たちに聞いた。 土肥原賢二・関東軍奉天特務機関長の孫、佐伯裕子さん 《祖父(おおちち)の処刑のあした酔いしれて柘榴(ざくろ)のごとく父はありたり》 歌人の佐伯裕子さん(68)は三十数年前、祖父の死に酔いつぶれた父の姿を詠んだ。祖父の土肥原賢二は関東軍の諜報(ちょうほう)を担う奉天特務機関長として満州国の建国などに携わった。A級戦犯として絞首刑となった。 一家は「戦犯の家族は黙して耐えるべし」という祖父の教えを守り、「いつも下を向いて歩いた」。人目を避け、笑わなくなった父。いつも黒っぽい着物の母。「両親を通して見た戦争は、ただ悲しみとしか言いようのないもの。善悪では語り切れなかった」 29歳で短歌を
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