Published 2024/07/06 08:03 (JST) Updated 2024/07/06 15:03 (JST) ソウル郊外にある百済の王城跡に近い遺跡から、5世紀前半に倭の技術者が製作したとみられる円筒埴輪(はにわ)の破片が見つかった。倭王権から百済中枢に派遣された高官が現地で死後、日本式の古墳に埋葬されていた可能性がある。専門家は、同盟を結んでいた百済と倭の「密接な関係を裏付ける発見だ」と評価。埴輪のかけらが古代の日韓交流に光を照らした。(共同通信=渡辺夏目) 大韓文化財研究院が2022年までにソウル南方の城南福井洞遺跡の発掘調査を行い、今年4月に報告書にまとめた。 百済王朝は4世紀、最初の都を漢城(ソウル)に置いた。日本列島での中心勢力は、大和(奈良県)を拠点に成立した倭王権。百済から取り入れた文化知識で発展し、朝鮮半島有事の際は軍事支援にも乗り出した。文献には緊密な関
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