■連絡船の生き字引 後世に歴史語り継ぐ 函館駅から歩いて約5分。青と白のツートンの船体が目に入る。青函連絡船記念館摩周丸だ。連絡船とかかわりが深かった函館の旧駅舎は2003年、近代的に生まれ変わった。だが、摩周丸だけは時が止まったように岸壁に留(とど)まる。 □ □ 8月初め、「連絡船の生き字引」と仲間から評される山口恒久さん(85)は摩周丸のサロンにいた。元摩周丸船長の山内弘さん(76)と、夏休みの子どもたちに船の模型作りを教えて6年ほどになる。 人生の多くを連絡船と過ごしてきた。生まれは愛媛県の小島。商船学校を経て2等航海士の資格を得た。敗戦1年前の1944年、連絡船に乗った。 「石炭を本州に運ぶため、岸壁がどんどん増設されていた」。当時は連絡船の隆盛時だった。しかし、憧れの船乗り生活はわずかだった。病魔に侵され、船を下りた。療養後に復職したが、新たな職はさん橋助役。陸から
印刷 船の科学館の別館として展示されている青函連絡船・羊蹄丸=東京都品川区、同館提供 9月末で閉館する「船の科学館」(東京都品川区)が、展示している青函連絡船の羊蹄丸(8311トン)の引き取り手を探している。閉館で維持費の捻出が難しくなるためで、無償で譲渡する。同館は「貴重な文化遺産。ゆかりのある自治体や法人にぜひ」と呼びかける。 羊蹄丸は、函館―青森を結んだ最後の連絡船で、青函トンネルの開通に伴い、1988年3月に引退した。船の科学館を運営する財団が引き取り、同館の別館として96年から一般公開していた。これまでに360万人が訪れたという。 船の科学館は建物の老朽化のため9月30日で閉館が決定。再開をめざしているが、時期は決まっていない。電気や水道代など年3千万円の維持費がかかる羊蹄丸の管理も難しくなったため、希望者に無償で譲ることを決めた。エンジンは外されているが、海に浮かべること
「次世代型路面電車」とも呼ばれ、都市の再活性化の切り札として期待されるLRT(Light Rail Transit=軽量軌道交通)。高齢社会や環境問題、市街地の空洞化などに取り組む地方都市でも導入が進む。市民生活に大きな役割を果たしている中四国地区のLRTを4回に分けて紹介する。初回は広島電鉄の「グリーンムーバーマックス」。 ◇ 洗練されたデザインの5両編成の超低床車両(LRV)が、始発駅の広島駅から軌道上を滑るように走り出す。従来形の路面電車に比べ、騒音や車体の揺れは少ない。日本の路面電車の中でも最長級の全長30メートルながらカーブもなめらかに曲がり、広島市の市街地を走り抜けていく。 グリーンムーバーマックスは、広島電鉄のLRVの2代目として平成17年3月に導入された。初代の「グリーンムーバー」がドイツ・シーメンス社製だったのに対し、グリーンムーバーマックス
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