これまでほとんど外国人が住むことのなかった旧東ドイツの都市フランクフルト・アン・デア・オーダー。過疎化・高齢化が進む街では難民は地域活性化の重要な担い手だが、外国人ゼロで同質性の高い環境に慣れた住民はなかなか多様性を受け入れられない。 試行錯誤繰り返しながら変化を遂げようとする地方都市の取り組みは、似たような状況で外国人を受け入れはじめた日本にも重要な示唆を与えてくれる。 多様性か、同質性か フランクフルト・アン・デア・オーダーで外国人といえば何十年もの間、濁ったオーデル川の対岸に住むポーランド人だけだった。 ドイツには2つの「フランクフルト」があり、西ドイツのフランクフルト・アム・マインは、住民の大半が移民とその子孫で、世界的な金融の中心地として知られている。かたや、この旧東独の都市フランクフルト・アン・デア・オーダーに暮らしているのはドイツ人ばかりで、大多数がそれを誇りに思っていた。
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