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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (15)

  • 会田誠の作品について(5/1トークより抜書き) - ohnosakiko’s blog

    去る5月1日、大阪で行われた合宿勉強会「集まるのが大事vol.2」(テーマ=反抗)の二日目に登壇し、以下のような内容で90分ほどのトークをした。 「反抗 vs 反抗 」の外へ―性的表現と性差別批判の弁証法― 【概要】 美術に現れる女性の裸体表現は、かつては神話の文脈と宗教の縛りの間にあったが、次第にその制約を離れ、個としての性表現へと変化・多様化してきた。一方フェミニズム批評による美術史の読み直しにより、作品中の男性視点や性規範が指摘されるようにもなった。近年は強い反発と撤去要請が起こるような事案も散見される。 議論を呼んだ主な女性ヌード表現及び批判の文脈を辿り、「反抗 vs 反抗」の隘路から「外」に出る視点について考える。 【内容】 ① 「女を見る」をめぐる男/女の非対称性 ② 西洋美術における女性ヌードの位相 ③ 近代日の西洋美術、性道徳の受容 ④ 「性差別」という批判の始まり ⑤

    会田誠の作品について(5/1トークより抜書き) - ohnosakiko’s blog
    DG-Law
    DG-Law 2021/07/16
    注1,驚いて調べてみたらすぐに出てきたわ。https://twitter.com/tsuda/status/1415028055546888193 /なんだよ,自分らで表現の不自由を生み出していたら世話はないわ。それはダメでしょ。
  • 私生活の記述が入試問題になる - ohnosakiko’s blog

    昨年度の北海道大学に続いて、今年は中央大学の入試で拙文が問題文に採用されたらしく、日著作権教育研究会というところから「著作物利用許諾のお願い」が来た。 昨年春に出た共著『高学歴女子の貧困』(光文社新書)の中の、私の書いた章「「アート系高学歴女子」の成れの果てとして、半生を顧みる」の一部である。ちなみに私自身は特別「高学歴」ではないし「貧困」(だった)とも言えないのだが、「一人くらい毛色の変わったのも」ということで一番最後に執筆依頼が来、話の内容上、かなり個人的なことも含めて書いた。 引用されたところは、その中でも特にプライベートな結婚生活についての箇所だった。設問を読んでいて、どんどん落ち着かない気持ちになった。 以下、引用箇所。**で括ったところは、実際には傍線が引かれ番号が振ってある。 あるとき、他分野の予備校非常勤講師で *同学年の人と知り合い、つきあって* (傍線部1) 四ヶ月

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    DG-Law
    DG-Law 2015/04/22
    mahal殿下,私の専門は世界史なのでご勘弁をw。/問題は平易だと思う。問7の答えはやっぱりDかな。
  • 自分の文章が入試問題に使われること - ohnosakiko’s blog

    センター試験の国語に「クソリプ」「パクツイ」問題 著者「俺が正解できるのか」 - ねとらぼ 上のタイトルだけ読んで一瞬「センター試験の問題に、クソリプとかパクツイという単語を散りばめたテキストが採用されたのか、すごいな」と思ったらそうではなく、佐々木敦氏の『未知との遭遇』(筑摩書房)の中のツイッターについて論じられている箇所からの引用で、そこにツイッター・ジャーゴンである「クソリプ」や「パクツイ」に相当する事例が出されているということだった。 ↓問題文 大学入試センター試験 | 解答速報2015 | 予備校の東進 問2で思わず笑ってしまった。『教えて君』と『教えてあげる君』の関係を記述した5つの文から正解を選ぶのだが、「これを作った人、それぞれ具体的な例を思い浮かべていたでしょ」と思えて仕方ない。いや絶対そうだ。試験会場で笑いをかみ殺した受験生もいたのでは。 著者の佐々木氏は自身の文章が掲

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    DG-Law
    DG-Law 2015/01/18
    おめでとうございます?/去年の北大か。
  • 「公募展」をめぐって - ohnosakiko’s blog

    茂木健一郎による「国立新美術館」と「公募展」批判 - Togetter 公募展をめぐるツイートあれこれ - Togetter 会田誠とパルコキノシタの公募団体に対するやりとり - Togetter 脳科学者の茂木健一郎氏が国立新美術館で開催されていた『アメリカン・ポップアート展』に感動しつつ、その会場の隣で開催されていた公募団体展*1 を「ポリシーなし、キュレーションなし、単なる愛好者の団体」「「国立新美術館」でやる「公募展」が「アレ」なんてことは、まともなアート関係者はみなわかっているのに、誰もそれを言わない」「現代のアートにつながる文脈や批評性は、ないから」「あるのは年功序列と新陳代謝のない停滞」とコキおろしていたのに対し、Twitterでさまざまな反応が出ていた。 面白かったので、「公募展」で検索して出てきたtweetの中から、個人的に目に止まったものをピックアップし、勝手な補足や自

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    DG-Law
    DG-Law 2013/10/20
    確かに「フェルメール・印象派」「現代アート」「公募展」,それぞれで制作側・受容層ともに互いを「違う星の人」と思ってる感はある。私自身,違う星の人だと思っているところはある。
  • 子どもの「美術離れ」と大人の「信仰」 - ohnosakiko’s blog

    くらしナビ・学ぶ:美術離れ、い止めたい 武蔵野美大、公立小中の出張授業 - 毎日jp(毎日新聞)より 子供の「美術離れ」が懸念(けねん)されている。学力低下が指摘される中、昨年度から完全実施された中学の学習指導要領で、美術や音楽の選択教科が廃止され授業時数が減ったためだ。とはいえ、保護者も芸術よりも学習を重視する傾向にある。国内有数の美術大「武蔵野美術大」(武蔵美、東京都小平市)は「美術だからこそできる教育がある」と、学生や卒業生の出張授業に力を入れている。 多摩美もだいぶ前から、こういう出張授業の取り組みをしていたと思う。学校側も、「外注」した方が子どもを刺激できると考えているのかもしれない。 しかし少なくとも中学校においては、受験科目にない美術・音楽にいずれしわ寄せが来ることは、「ゆとり教育」が終わった時目に見えていたのではないかと思う。生徒にとって美術はほとんど息抜き、”癒しの時間

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  • ラッセン・メモ - ラッセン以前の"ラッセンなるもの" - ohnosakiko’s blog

    昨日「線を引く」話を書いたが、早速自分の鼎談発言と響き合いそうな言葉を見つけたのでメモ。 brainparasite art, 書籍 ラッセンの嘘臭い絵、自分の中では少年誌の未来絵図や軍艦断面図、大河原邦男のガンダムアート等の延長に見てるので、割と好きなんだよなー。 2013/07/11 http://b.hatena.ne.jp/brainparasite/20130711#bookmark-153579226 そう、それです。軍艦断面図や大河原邦男には言及していませんが、鼎談で子ども向け雑誌の「未来絵図」と科学雑誌に触れました。一部引用。*1 大野 […] そのスーパーリアリズム風の絵を、ラッセン以前に美術ジャンル以外のどこかで見たことがあったな‥‥と思い出したんです。これは、昔出ていた『クォーク』と『アニマ』という科学雑誌(それぞれ90年代に休刊)です。『アニマ』(一九八七年七月号)

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    DG-Law
    DG-Law 2013/07/16
    C.D.フリードリヒ,ハドソンリヴァー派,アイヴァソフスキー好きとしては,やっぱり別物。なんだけど崇高から感傷に流れ,結局形式や技法だけ残ったのは,海景画によらずロマン派の末路まんまだわ……
  • 「ブログを書くのにこんな不利がある」について書く - ohnosakiko’s blog

    ブログを書くことってそんなに素晴らしいか? - 基ライトノベル 「いやブログってのはさ‥‥」と一言言いたい人を集めるような記事です。「不利」って言葉がいまいちすんなりこないけど、自分にとってマイナス面があるということでいいのかな。私もブクマで釣られてみました。 最後の方に「ブログを書くのが素晴らしいと書く人は、あまりその負の側面について書く人がいないので。ブログを書くのにこんな不利がある、と書くブログがそもそも存在しないし。」とあった(最初の「書く人は」の後には「いても」を補えばいいでしょうか)。 普通、そう思った人は黙ってブログを閉じて(あるいは更新しなくなって)去っていくのであって、わざわざブログで「ブログを書くのにこんな不利がある」なんて記事を書かないのではないか。その人にとって「負の側面」より「正の側面」の方が大きいからブログを書いている、つまり「不利」ではないということ。 ただ

    「ブログを書くのにこんな不利がある」について書く - ohnosakiko’s blog
    DG-Law
    DG-Law 2013/05/10
    全体的にあるある。
  • なぜ誰も「かわいい女の子」ではなく「かわいい子猫」になりたいと言わないのか - ohnosakiko’s blog

    「かわいい女の子になりたいオタク」話が少し前に盛り上がっていた。その話の肝は(こちらのブコメにも書いたが)おそらく「女の子になりたい」ではなく、「かわいい(者)になりたい」。 「かわいい女の子になりたい」が時々「女の子になりたい」という言い方に短縮されているのを見かけるのは、「性別を超越」云々ではなく、そこで”「女の子」=「かわいい」の最たるもの”という図式が前提とされているからに過ぎない。 かわいい男の子をよく「女の子みたいにかわいい」と言ったりする(逆はない)ことからも、「かわいい」を一番効果的に体現している/させられているのは「女の子」である。 だから、「女の子になりたいオタク」の人のほとんどは、「かわいくなくてもいいから女の子になりたい」とは思っていないと思う。「かわいくない女の子」のリアルでの冷遇され具合は、彼女たちを冷遇しがちな立場の者が一番よく知っている(そこでは「かわいくな

    なぜ誰も「かわいい女の子」ではなく「かわいい子猫」になりたいと言わないのか - ohnosakiko’s blog
    DG-Law
    DG-Law 2013/03/11
    ああ,こういう文脈なら「女の子」より「猫」だと思う。/おそらく,結局なりたいのはイデア的な少女であって,現実の少女ではないので。自信やら羨望は不要かと。
  • 退屈で倒錯した話 - 「森美術館・会田誠展への抗議」問題についての雑感 - ohnosakiko’s blog

    (↓多数のブクマの内容も興味深いので、関連記事のエントリーページを貼っておきます) はてなブックマーク - 森美術館問題|ポルノ被害と性暴力を考える会 はてなブックマーク - 森美術館への団体抗議文|ポルノ被害と性暴力を考える会 はてなブックマーク - PAPSが森美術館「会田誠 天才でごめんなさい」展に抗議 - Togetter はてなブックマーク - 会田誠さんと「ポルノ被害と性暴力を考える会」について はてなブックマーク - 『会田誠 天才でごめんなさい』展への抗議関連の議論 - Togetter 上記以外でもいろいろな論点が出てきているので、ここではなるべくそれらと違うことを書きたいと思うが、重なるかもしれない(この記事はどちらかの立場を支持することを表明するものではありません *1 )。 会田誠個展にはまだ行っていないけれども、「問題」となっている一連の作品は10年以上前にアート

    退屈で倒錯した話 - 「森美術館・会田誠展への抗議」問題についての雑感 - ohnosakiko’s blog
    DG-Law
    DG-Law 2013/01/30
    同感。/「オナニーそのままじゃアレだから緩衝剤入れて計算尽くでアートに仕立てている手つきがかなり優等生っぽいと思ったり。」それもある。村上隆とは別方向で,"あざとい"が近いか。
  • 新刊のご案内 - 『アート・ヒステリー なんでもかんでもアートな国・ニッポン』 - ohnosakiko’s blog

    アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン 作者: 大野左紀子出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2012/09/26メディア: 単行購入: 39人 クリック: 508回この商品を含むブログ (15件) を見る ” その言葉が盛んに叫ばれ、常にプラスの価値が盛り込まれ、同調的空気が形成されている時こそ、そこで信じられているものを疑ってかかるべきです。アートという言葉にいつもくっついてくる「可能性」や「多様性」や「個性」や「自由」といった、既に手垢のついたイメージを信用しないで、それらの言葉によって隠されているものの方を見るべきです。” (「はじめに」より) 2008年の『アーティスト症候群 アートと職人、クリエイターと芸能人』(明治書院)はこれまでたくさんの方に読んで頂きましたが、去年その文庫版が出た河出書房新社から今週、『アート・ヒステリー なんでもかんでもア

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    DG-Law
    DG-Law 2012/10/30
    出てたの知らなかった……/買った。
  • 「書き手だけが読む特殊な形式」と「誰もが読む一般的な形式」の違い - ohnosakiko’s blog

    マクルーハンの説明はこうです。紙に印刷して読むとき──つまり、反射光で文字を読むとき、私たちの受容モードは自動的に、そして脳生理学的に「分析モード」になり、心理的モードは「批判モード」に切り替わる。したがって、ミスプリントを見つけやすい。 [中略] つまり、発光型デバイスであるモニタを見るときには、脳はパタン認識・くつろぎモードになるため、文書を見ても全体を絵柄として捉え細部に注意がいかなくなり、ぼんやりとくつろいで見ることになり間違いに気づきにくくなる。一方、紙にプリントアウトすると、それは反射光となるため、脳は分析・批評モードに切り替わり、文書を細部まで細かくチェックすることが可能となる。そのため、間違いに気づきやすいというわけだ。文章をチェックするときに、一旦紙にプリントアウトして見ることは、理に適った行動なのだ。 プリントアウトした方が間違いに気づきやすいワケ - A Succes

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    DG-Law
    DG-Law 2012/09/27
    これはある。ブログの記事をアップしてから読むと誤字脱字が見つかる,原稿を校正紙にしてから誤字脱字が見つかるetc
  • 図工の時間は楽しかったですか? - ohnosakiko’s blog

    (※追記あり) Togetter - 「「絵の描き方」を習った覚えがないよ」 はてなブックマーク - Togetter - 「「絵の描き方」を習った覚えがないよ」 はてなブックマーク - はてなブックマーク - Togetter - 「「絵の描き方」を習った覚えがないよ」 はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - Togetter - 「「絵の描き方」を習った覚えがないよ」 はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - Togetter - 「「絵の描き方」を習った覚えがないよ」 義務教育の図画工作、美術の時間に絵の描き方を習っていないという話は最初の方だけで、途中から学校教育全体の話になっていたが、ブックマークコメントは「絵の描き方教わったよ」「教わってないよ」話が多く、そのせいかブクマが伸びた。 「絵の描き

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    DG-Law
    DG-Law 2010/11/04
    あえて再び絡むけど,多分id:Midasの人はクアトロチェントって言おうとして14世紀って言っちゃったんだと思います。>id:florentine/いずれにせよ,今の教育があの線的遠近法や人体比例を目標にしてるとは全く思えない。
  • アートの幻想 --- 3. 忘却による反復 - ohnosakiko’s blog

    1. 資主義カルチャーとしてのアート 2. 消費としての芸術体験 3. 忘却による反復 私が現代アートに興味を持ち続けてきた理由の一つは、それが自らを定義付けできないもの、あらゆる事象を受け入れ続けるものという点で、非常に特異だということだった。こんな妙な分野はないと思う。音楽や演劇、映画、文学でもかなり枠組みは広げられたが、現代アートほど「受容力」のあるジャンルは他に見当たらない。 アートの名の下に、絵画、彫刻といった伝統的な表現形式から身体、映像、音による表現まで、あらゆる試みが展開されている。そして芸術、アートというのは、クリエイティブなことだという認識が世の中にある。これを逆に見れば、そこでの営みのすべては、芸術、アートという「名」にあらかじめ保証されているということである。 つまり何をしようが芸術、アートだと言えば、自動的に何らかのクリエイティブなことをしてることになるのだ(そ

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    DG-Law 2010/07/03
    「現代アートは全てを受け入れる。それはとても残酷なことですわ。」/社会制度に支えられている,その通りだと思います。
  • アートの幻想 --- 1. 資本主義カルチャーとしてのアート - ohnosakiko’s blog

    10、デュシャン 現代芸術ってやったもの勝ちであることに早々に気づき、かつそれを自虐的に利用して「やったもの勝ち」の領域に堕すことの無かった奇才。以後の芸術家は、「美術史は第一世界大戦で終了しました」と言って憚らない自分の目から見れば、美術史が第一次世界大戦で終わらないことへの数少ない反証。 ちなみに、ポロックと悩んだ。でもポロックのやったことは、要素的な意味でピカソに吸収されうるな、と。そして、前述したようにそれはセザンヌに内包されて、結局セザンヌが始祖なんじゃないかと。ウォーホル?私はポップアートをアートと認めていないのであしからず。ポロック、ウォーホルへと続く現代芸術評価って、発展史観によって「作られた評価」にしか思えない。 nix in desertis:偉大なる画家十選より 現代アートはやったもの勝ち。美術史は第一次世界大戦で終了。それ以降のアートは発展史観による評価に依存。いや

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    DG-Law
    DG-Law 2010/07/03
    引用されていることに今頃気づいた。あと,そろそろ俺は『アーティスト症候群』を読むべきだと思う→読んだ。/”それをアートであると証明する根拠の不在に直面した。”/id:ohnosakikoさん,お気にならさず。
  • 高橋氏とのブコメ議論まとめ - ohnosakiko’s blog

    例の首都大の学生のやった件で、この数日、id:NaokiTakahashi氏(以下、高橋氏と表記)とのブコメ議論があちこちで長引いた。 個人的には、被害者の受けた苦痛と屈辱の前には、こんなアート論議などどうでもいいものだと思っているし、この事件についてアートや芸術方面から語ること自体が(アートや芸術に対してではなく)被害者の女性達に対して失礼なものになりかねないと思っている。このことはブコメに書けなかったのでここではっきり言っておきたい。 私の基的態度は「これをアートとして語る意味はない」。高橋氏の態度は「アートの俎上に上げてその質を論じよ」。バカ長いばかりで読む人も少ないだろうが、なにがしかあぶり出されている面もあると思うのでここにまとめておく。 それぞれの元記事。私が最初のブコメを書き込んだ順。議論の日時はかなり重なっていて同時進行的にやっていた。 Togetter - まとめ「ドブ

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    DG-Law
    DG-Law 2010/06/23
    なんかもうその通り,だとしか。
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