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2008年12月24日のブックマーク (6件)

  • 「日中戦争なら核報復を」発言公開の背景と田母神問題 - Apeman’s diary

    12月22日の朝日新聞は一面で、1965年に訪米した当時の佐藤栄作首相がマクナマラ国防長官(当時)に対して「(日中で)戦争になれば、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と発言したことを示す外交文書を外務省が公開したことを伝えていた(第1ページ、第2ページ)。新聞を読んだ時の第一印象は、「外務省は反核世論なんてもはや大して気にする必要はない、と踏んだのか?」というものだった。都合の悪いものはあくまで隠す(参考)ところが公開したんだから。この報道によって、改めて日が米軍の「核の傘」の下にいることの是非が国民的な議論の対象になる、と予測したならば公開しなかっただろう。そして外務省のこうした判断は、客観的には間違っていないのだろう。来なら、もはや日が全面核戦争に巻き込まれる脅威など存在しないと言ってよい時代にこそ、米軍の「核の傘」の下にいることの是非がきちんと問われてよいはずな

    「日中戦争なら核報復を」発言公開の背景と田母神問題 - Apeman’s diary
  • Spike's Military Affair Review

    military.comによると、イギリス、スコットランドの科学者は戦闘と兵士の知能の関係を研究し、高い知性は戦闘での生き残りに大きなアドバンテージを及ぼさないと結論しました。 エジンバラ大学で歴史と心理学の専門家によって行われた研究は、第2時世界大戦中に戦闘で死亡したスコットランド兵の知能は、生き残った兵士の知能よりも高いことを見出しました。11歳に知能テストを受け、戦死した491人のスコットランド兵の内、96%にあたる470人の平均知能指数は100.8で、同じテストを受けた数千人の生存者の平均値脳指数は97.4でした。研究を主導した精神衛星の専門家、イアン・ディアリー教授(Professor Ian Deary)は、この現象が過去の戦いに比較して、筋力よりも頭脳で戦われた第2時世界大戦の性質に起因するかも知れないと述べています。戦争がより専門的になった結果、多くの専門家が前線で必要にな

  • いろいろクドい話 » 塹壕戦を終わらせた航空戦ドクトリン2

    地上攻撃の進歩と並んで塹壕陣地の突破を容易にしたもうひとつの要因として砲戦観測の改良も見逃せません。1917年はドイツ軍観測機が無線による砲戦観測を標準化した年でもあります。観測機に搭載できる小型で信頼性の高い航空無線機が量産に移された結果、どの観測機もその情報を短縮した符丁を使いながらモールス信号で打ち出すことができるようになります。飛行機による砲戦観測というものはその連絡手段として手旗を使おうが、機体側面に並べたホルダーから信号弾を取り出して撃ち上げようが、たとえ戻ってから報告しようが、それだけで十分に画期的なものでしたが、無線機を装備した観測機がその場で大量の情報を友軍の重砲陣地へ送り返せるシステムが完成したことでドイツ軍の砲戦能力は格段に強化されます。 精密な情報が即時に入るために試射から効力射までの手順が大きく合理化されるからです。少ない砲弾でよく当たるようになった、ということで

  • 2008-12-23

    えーと天皇が公開中止とかなんとか(言葉使いがまちがっているみたいだが)ニュースを聞いて、天皇誕生日は4月なのにいやに早くからニュースをするんだな、と思った私は昭和生まれ(なだけでなく、「平成」にどうもなじめないまま生きてきた)の老人です。ていうかきょうはただの休日ではなく天皇誕生日だから休日なわけか。天下国家の行く末に思い致し行動しなければならないのだった! 天皇が病気で皇太子が代理を嫌がっているらしいというニュースがあり、*1あらためてわたしたち一人一人の天皇観が問われていると思います。 天皇を あがめてみせるのは ひきょーだ。だって、天皇制っていうのは ドレイ制度じゃないか。天皇制の主体は、いったい どこにあるのだ。 http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20081224/1230008037 天皇制というものがドレイ制度であるのかどうかは一旦保留し考

    2008-12-23
    D_Amon
    D_Amon 2008/12/24
    ↓こんなところにガンダム00ネタが…。タグで言わんとするところが何となく分かるのが…。思想的には相容れない(かもしれない)けど、こういうセンスは好きだな。
  • 分裂した「われわれ」の戦争責任、あるいは天皇制廃止論- 過ぎ去ろうとしない過去

    3週間ほど前、ネトウヨの気が限りなく強いと個人的には思っている、ミスター・イースト元門下生としておなじみの某F氏とチャットで一晩話したのだが、彼は自分はネトウヨだと思っていないという。なぜかと問うと、「自分は日を憎んでいる」という。「アイヌを虐殺した*1日が憎い。(北海道出身である自分は)そう(日を憎めと)教育された」と。ぼくも北海道出身ではあるのだが、もちろんそんな教育は受けていないし、そんな教育をする教師など聞いたことがない。まあともあれ、彼の言っていることが事実であるとして、「アイヌを虐殺した日を憎む」ことを、すんなりと受け入れることができる彼の心性がぼくは不思議でならなかったのだった。 つまり、ぼくも恐らく彼も「血統的には」3代続いた日人の家系であるし、いやそれ以前にわれわれが今この時点で「日国民」であるのだから、いやおうなしに(それはパスポートを見るだけでわかる)「日

    分裂した「われわれ」の戦争責任、あるいは天皇制廃止論- 過ぎ去ろうとしない過去
  • きまぐれな日々 関岡英之を持ち上げて佐藤優批判を封じる不思議な「論壇」

    コイズミ率いる自民党が2005年の総選挙で圧勝したあと、コイズミ・竹中平蔵の新自由主義を批判する人たちが注目したのは、右派の関岡英之が著した『拒否できない日』(文春新書、2004年)だった。 森田実が、このは書店で入手が難しいと書いた。Amazonでは買えず、古価格が3300円もするという話も聞いた。しかし、高松市中心部の百貨店の8階にある書店に行ってみたら、現物が普通に積まれていた。なんだ、ネット情報なんてあてにならないなと思って読み始めたが、の中に当時話題になっていた耐震偽装事件の問題点を先取りして指摘しているような記述があり、興味深く読んだ。 アメリカ政府が毎年作成する「年次改革要望書」に書かれたプログラムに沿って日の政策が決定される、という関岡の仮説は面白かったが、これはあくまで一個の仮説に過ぎず、この仮説を金科玉条にすべきでないことは言うまでもない。だが、思考が硬直した