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for entryに関するDrunkarのブックマーク (38)

  • UIの改悪がUXを改善させる場合 - A Successful Failure

    2013年01月20日 UIの改悪がUXを改善させる場合 Tweet Good UIGood UX UIUXについてはその理解について多くの議論がなされてきた。たとえば、Googleの及川氏は「写真が語るUXUIの違い」というエントリにおいてコーンフレークの例を元にUIUXについて説明したが、その後、ERATOの渡邊氏が「1分でわかるUIUXをわかりやすく説明する写真とお話」というエントリにおいて、ATMを例によりわかりやすい説明を挙げている(次の写真は当該エントリからの引用)。 この例ではたとえUIが素晴らしくても、そのATMは時間がかかるため、長い待ち時間ができ、結果としてUXが損なわれる場合を示している。 しかしながら、実際にはATMの劣悪なUIが悪いUXの原因となっている可能性があり、当にこのATMUIは素晴らしいのかという疑問が残る。つまり「Good UIGo

  • 「再配分連盟」と「合理的な無関心」: 極東ブログ

    古い話題だとばかり思っていたが、「再配分連盟」と「合理的な無関心」は意外と今後の日政治に重要な視点かもしれないと思い直したので、少し補足的に書いてみよう。話の元はピーター・タスカ『JAPAN2020 不機嫌な時代』(参照)である。 「再配分連盟」とはなにか 「再配分連盟」は、ごく簡単に言えば、利権集団と言ってもよいだろう。ただし、ややこしくなるが、学術概念でもあるので、もう少し丁寧に見てみたい。 「再配分連盟」は"redistributional coalition"の訳語だが、訳語としてこなれているとも思えない。定訳語なのかもしれないが、この概念を提出したマンサー・オルソン(Mancur Olson, Jr.)の、邦訳書『国家興亡論―「集合行為論」からみた盛衰の科学』(参照)のオリジナル"The Rise and Decline of Nations"をネット上のリソースで検索すると

    Drunkar
    Drunkar 2013/01/13
    問題解決によって利益が出る筋立てが(幻想でも)いる。経済でない別の利益にシフトできたら良さげ
  • 鈴村智久の研究室 アドルフ・ロースの邸宅シリーズにおける「子宮羨望」――田中純『建築のエロティシズム』読解

    19世紀後半から20世紀初頭のウィーンは、新古典主義に見られた各種のリバイバリズムから世紀末に花咲いたアール・ヌーヴォー様式といった一連の動きが、やがて「装飾」そのものに批判的になっていく「近代建築」へとシフトしていく点で極めて重要である。オットー・ヴァーグナーの『近代建築』が刊行されたのは1895年だが、彼は《郵便貯金局》に見られるようにまだ「機能」と「装飾」の双方を重視していた。しかし、アドロフ・ロースの登場によって「装飾」熱は遂に終わりを遂げることになる。その決定的な作品が、当時センセーションを巻き起こした名高い《ミヒャエル広場》(1909-11)である。ここは通称「ロース・ハウス」とも呼ばれ、「無装飾性」を志向した最初期の建築として重要である。 しかし、ロースは果たして当に「装飾」を棄却し得たのであろうか? 彼にはヴァーグナーのように、やはりどこかに「装飾」への欲望も反動的に働い

    Drunkar
    Drunkar 2012/12/05
    「「最も遠いもの」の本質が「最も近いもの」によって開示される」
  • 鈴村智久の研究室 都市の記号論的システムについて――ヴィドラー、ロッシ、フォーティー、そしてコンパニョンからの考察

    シプリアン・ガイヤール《不信の時代の信仰》 「われわれの建築は身体に関わる平面図ではなく、心理的な平面図を持っている」――コープ・ヒンメルブラウは1968年にこのように述べた。このテクストとすぐに結び付くのは、アルド・ロッシが『都市の建築』の中で述べた、都市の質としての「イメージ」の持つ作用に他ならない。ひとはそれぞれ同じ都市に対して、異なるイメージを持って生きている。これらのイメージは全て「部分」に過ぎないが、いわば集団的なイメージの“約数”に相当する共通の記憶の場を、ロッシは「都市的創成物」と呼んだのだった。都市的創成物は都市そのものを象徴する場である。そして、ロッシは我々という部分的存在の「集合記憶」を、「都市の意識」とも呼んだのであった。 この段階でまずもって図式化できるのは、「物理的空間」の上に「個人的な空間イメージ」が貼付されているという事実である。この点について、ヴィドラー

  • 鈴村智久の研究室 文化の多面体、松浦寿輝の主著『平面論――1880年代西欧』の世界ーーイメージの分裂、記号の錯乱

    Keira Knightley by Mert Marcus 松浦寿輝の評論活動における代表作の一つであり、最近新たに復刊されて注目を浴び始めている『平面論』(1994)を読了したので、その記録を残す。書を読解する上でのメリットには極めて大きなものがある。まず一つ目は、表象文化論の見地から「近代」がいったいどの時点から開始されたのかを明確化した点。二つ目は、今後のWeb社会において、我々は間違いなく松浦のいう「像」の概念について様々なかたちで触れ合う機会が増すと予測できるが、書はそうした「Web社会における視覚性の優越」をテーマにした議論において、常に一つの巨大な参照軸を用意してくれている点である。第一版が刊行された1994年から、既に二十年ほど経過している現在、『平面論』はいかに読まれるべきなのだろうか? 例えばWeb社会を牽引するGoogleの新しいサービスの提供、AppleのMa

  • 見栄の力について - レジデント初期研修用資料

    同じ領域で仕事を続ければ、たいていの人はその分野に熟達していく。このときに、単に仕事がこなせるレベルに留まる人と、その分野の話題を深く理解して、ひとつの世界のように語れるレベルに到達する人とがいるのだ、という文章が話題になっていた。 両者を隔てる要因はいくつもあるのだろうけれど、「見栄」の有無という要因は、案外大きいのではないかと思う。 その分野を面白く思う人は、物事を深く理解するかもしれないけれど、学んだ知識を系統だって語れる人は案外少ない。見栄という動機で得られるのは上っ面の理解でしかないかもしれないけれど、見栄を張り続け、知ったかぶりをあらゆる角度から極めたその人もまた専門家と呼ばれ、実際問題としてその領域を一番詳しく、系統だって語れる場所に到達してしまう。 面白くあり続けるのは難しい 特別な経験は誰もが持っていて、ネット上で日記を始めた最初の数カ月、話題は多く面白く、それほど大きな

    Drunkar
    Drunkar 2012/11/24
    「「好き」は観客を意識しないから、理解の粒度は案外大きい。「見栄」はその点、観客から賞賛されないと、努力が成果に結びつかない」
  • 1分じゃわからないUXをめぐる議論 | インタラクションとデザイン

    注)個人的にはもう少し整理して書きたいのですが、夜の勢いで書きました。 前回「1分でわかるUIUXをわかりやすく説明する写真とお話 」を書きました。 そして先日ごんざれふ の大坪さん(研究者の仲間)にブログで突っ込まれました。せっかくですのでブログの私もfacebookのコメントのところ(ブログトップページからでないと見られませんが)に書き込んだ内容をこちらのブログにも書いておくことにします。 透明なインタフェースという幻想 まあそれも一つの割り切り方と思うけど、なんだか変な気がする。「当の問題」は何かを見極めるのが大切だ、と説いているけど、「当の問題」か否かを決めるのはユーザの主観でしかないと思うんだけどね。 ATMで並ぶことを解決するには、、と問題を始めているがこれは「ユーザにとってATMは並ばず、素早く使いたいに違いない」という前提がある。これはどこから来たんだろうね? ユーザ

    Drunkar
    Drunkar 2012/11/10
    「ストーリー」の提供者が必ず個人なり集団なりマスメディアなりで存在していることが重要だと思います。それと個人の記憶や経験とのリンクが、特定のツール(UI)によって行われると。
  • UXデザインと工学的方法の限界

    山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye @100kw 「主観は扱えない」というのは、あくまでも科学や工学の方法では、という気がします。例えば芸術には主観を扱うための繊細な方法も勉強のしかたも、あえて言えば主観で稼ぐ方法も存在する。UXデザインを何故工学の方法に縛り付けなければならないのでしょうか。 2012-11-08 23:23:10 渡邊 恵太 / Keita Watanabe @100kw @Yam_eye はい。縛り付ける必要はまったくないと思います。自身(企業)のスタンスだと思っています。それと僕は主観をうまく使いたいとも思っています。どう自分なり他者の主観を取り出すのかにも興味があります。それを方法論化ていきたいと思っているのですが、(続きます 2012-11-08 23:39:48 渡邊 恵太 / Keita Watanabe @100kw @Yam_ey

    UXデザインと工学的方法の限界
  • 輪るピングドラム おまけ3 時系列の整理を試みる ~やはり生じる1年のズレ~  ひそかにささやかにアニメ等を応援している日記

  • 輪るピングドラム、遅れてきた考察 - 長文こへだ

    もう昨年末のこととなってしまったが、輪るピングドラム全24話が完了した。この半年間、眠い目をこすりながら金曜の深夜に見続けたアニメが終わってしまった。 個人的には、元々のペンギン好き属性をくすぐるような4匹の可愛さに完全にやられて、ストーリーそのものそっちのけで無条件に受け入れていたことは否めない。何だかよくわからないまま終わっても「まあ今日もペンギンは可愛かったからいいか(;´Д`)」と流していた。 でも、当に当に終わってしまった。 ペンギン4匹に萌えることで、結果的に刹那に意味理解をやり過ごして逃げ続けた半年間は終わってしまった。 様々な符号、暗喩、寓話的表現。様々な伏線、謎、フェイク、あるいはこちらの思い込みなだけで伏線でも謎でもなかったもの。何がどのように回収され、解決され、結局どういうストーリーだったのか。根底にあったテーマ、監督が伝えたかったのは何なのか。 解くべき問題は山

  • 【完結】「輪るピングドラム」 #24 考察ネタ色々 生存戦略しましょうか!

    946 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2011/12/23(金) 03:12:11.42 ID:FXvS9HSr0 (過去) 高倉の両親に選ばれたのは冠葉だったが、運命の林檎(=ピングドラム)を晶馬に分けた→晶馬生存 ネグレクトでブロイラー送りになった陽毬に晶馬が(同上)を分けた→陽毬生存 (運命の至る場所) 晶馬、冠葉に林檎を返す 冠葉、陽毬に林檎を渡す→消滅 苹果が乗り換えの呪文を使うが、呪いの炎は晶馬が肩代わり→消滅 (書き換え後の世界) 冠葉が死亡=陽毬は生存 晶馬が焼かれた=乗換の呪文は成功した 乗り換えの犠牲と呪いは確定事項なので、陽毬は一人残される ただし乗り換えが成功しているため、陽毬が受ける筈だった「罰」は消滅。 失われる命は最初失われる筈だった晶馬の分だけ確定、つまりピングドラムは一人分残る 最終的に冠葉と晶馬はそれを分けて、書

  • 「輪るピングドラム」 つまり、こういう事らしい

    【AKB48】 「ウルトラマン」シリーズ初の全員女性の地球防衛隊、AKB48から7人選抜。 (´・ω・`) 164 users

  • すくいぬ 【最終話】輪るピングドラム 考察

    2024 07 ≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫ 2024 09 1 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 22:50:07.16 ID:IA2TX8YR0 きっと何者にもなれない お前たちに告げる 4 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 22:51:13.50 ID:IA2TX8YR0 @質疑応答 Q.これ原作あるの? それともオリジナルアニメ? └A.オリジナルですが、アニメと同時進行で、幾原監督と高橋慶さん共著の小説があります。 Q.主人公って誰なの? └A.公式発表では高倉晶馬ということになっています。 Q.これって1クールで終わらないの? いつまで続くの? └A.2クール(全24話)予定です。最終

  • 『自己犠牲』から見る『魔法少女まどか☆マギカ』と『少女革命ウテナ』

    『まどか☆マギカ』最終話視聴後の私の連投Tweetまとめです。 まどマギ関連まとめ: 堀井とき氏の『まどか☆マギカ』最終話感想Tweet http://togetter.com/li/126631 続きを読む

    『自己犠牲』から見る『魔法少女まどか☆マギカ』と『少女革命ウテナ』
  • 山田正紀氏と笠井潔氏による「輪るピングドラム」考察

    「輪るピングドラム」について、山田正紀氏と笠井潔氏が深夜に考察されていたのでまとめました。 ・6月21日に両氏が考察された分を追加しました。(6/22) ・6月22日に両氏が考察された分を追加しました。(6/23)

    山田正紀氏と笠井潔氏による「輪るピングドラム」考察
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    また作りたいレシピ 2024年5月第3週 「五月病」という言葉を忘れ去っていたことに気が付いた。もうすぐ5月も終わってしまう、なんということだ。ぐったり気味だった1週間の、また作ると確信したレシピです。 ・生ピーマンの肉みそ 去年、グルメ番組で見かけた生ピーマンと肉味噌の取り合わせが気になり…

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    Drunkar
    Drunkar 2012/05/29
    見ている範囲が決定的に違うのに、本人たちは「それが全部」と思ってるからムズい。これってやっぱいろんな分野の退屈な部分を我慢して勉強して乗り越えるって経験がないと気づきにくいことかもしれない。
  • A Nightmare Is A Dream Come True:Anime Expressionist Painting

    第二ラウンドが始まる 2010年5月号の「美術手帖」の綴じ込み冊子において、デビュー直前のカオス*ラウンジ(*1)を取り上げ、勝手に座談会を行った。今回はその続編である。何の続編か。〈日オタクと現代美術のフュージョンのジャンルを創造するプロジェクト〉、その続編なのだ。 前回の対話では、SNS(*2)を盾にデビューを控えたネット世代の、ヘタウマおたく絵集団とのコミュニケーション・ギャップを埋めるところから始めた。当時入手したばかりのアンリ・サラの新作ビデオを、一緒に鑑賞し感想を聞き、双方が生きている場の違いと、彼ら若者たちが船出しようとしている現代美術というフロンティアの実景の確認をしたつもりであった、、、が、彼らは己の世代に生まれたミューテーション(突然変異)したアイデアを祝福し、その世界観への没我を軸として揺るがず、そういった己等を認めることが業界の正義であると意気込んでいた。ただ、

    A Nightmare Is A Dream Come True:Anime Expressionist Painting
    Drunkar
    Drunkar 2012/05/27
    オタク世界の中で生まれ育ってきた世代が現実を塗り替えていっている。
  • 善意で始める危険 - novtan別館

    昔ちょっと偉そうなことを書いて炎上しかけたことがあるんだけど、まさかその時怖いなって思っていたことがサービス化されるとは思ってもみなかったなあ。 U2plus | うつ病症状の予防と回復、再発防止をサポート 結構前からやってたのねこれ。これだけでもちょっと微妙なのに、こんどはこれですよ。 弘大配资,股票配资公司赚钱吗,富锦股票配资平台,恒信宝配资 なんと、っぽい人に「お前うつじゃね?」ってメールを送りつけてさらに追い込むというサービス!なんて恐ろしい子… しかもさ、これがStudygiftがらみでお騒がせのlivertyが絡んでいるという… 昔、成功体験では人は救えない - novtan別館でも書いたことだけどさ、個人の知見ってのは実際にはものの役にも立たないようなことがほとんどで、体系化・理論化して実践しないといけないものばかり。果たしてこれは何の知見に基づいて診断されるの?そもそも医

    善意で始める危険 - novtan別館
    Drunkar
    Drunkar 2012/05/25
    「俺ってオタクなんだよなー」と同じ文脈で「欝だわー」という言葉が使われていることにしか着目していないんだよね。
  • 佐々木俊尚×田原総一朗×80年代生まれの若者4人第三回「なぜ普通の企業ではなくNPO、社会的企業なのか」(佐々木 俊尚) @gendai_biz

    佐々木俊尚×田原総一朗×80年代生まれの若者4人 第三回「なぜ普通の企業ではなくNPO、社会的企業なのか」 第二回はこちらをご覧ください。 佐々木: さっき田原さんが質問したように、「なぜ普通の企業ではなくNPOなのか、なぜ社会企業(ボランティアではなく収益事業として社会的課題の解決に取り組む事業体。社会的企業とも。)なのか」という疑問を、けっこう多くの人が抱いているようです。 とくに、2000年頃にネットバブルというのがあって、ちょうど堀江貴文さんやサイバーエージェントの藤田晋さんが出てきたのですが、あの頃に社会に出てきてガーンと今のインターネットの先端をやってきた人たちには、「俺たちが一生懸命ビジネスをやって金儲けをして苦労したことが、今の新しい社会を作っているんだ」という強烈な自負を持っている人が多いわけですね。 「それに比べると、今時の若い奴は金儲けもやらないしビジネスも知らないく

    佐々木俊尚×田原総一朗×80年代生まれの若者4人第三回「なぜ普通の企業ではなくNPO、社会的企業なのか」(佐々木 俊尚) @gendai_biz
  • 作りたいもの: 専門家の考える「よい状態」を実現に近づけるシステム - 西尾泰和のはてなダイアリー

    増井さんの作りたいものリストを作ろうというスライドを見て「確かに『いつかやる』リストに入れてるだけじゃ発展しないから、公開しても問題ないものは公開したらいいなぁ」と思ったのでやってみました。今回は早々に「自分がやることではない」と捨てて、リストに書いてすらいなかったことなのですが、公開するべきだと判断したので公開しておきます。 背景 今日の高木先生の日記(高木浩光@自宅の日記 - 「個人情報」定義の弊害、とうとう地方公共団体にまで) 現行個人情報保護法の「個人情報」の定義に不備があることを、これまでずっと書き続けてきた。「どの個人かが(住所氏名等により)特定されてさえいなければ個人情報ではない」(のだから何をやってもよい)とする考え方がまかり通ってしまいかねないという危機についてだ。 (中略) 私にできることはここまでです。ここから先は私の役割ではないと考えています。必要だと思われる方々で

    作りたいもの: 専門家の考える「よい状態」を実現に近づけるシステム - 西尾泰和のはてなダイアリー