春はネパール人が結婚式を挙げ、カトマンズに外国人観光客が訪れる季節だ。4月には通常、「アンナプルナ」や「ヤク&イエティ」といったホテルがパーティー参加者と行楽客であふれかえる。 だが、5000人以上の死者を出した4月25日の地震のために、宴会・会議場は空っぽになり、観光客の代わりにテレビ局の取材班が詰めかけることになった。 救助隊員がカトマンズ渓谷の崩壊した建物のがれきの中から遺体を引っ張り出し、壊滅的な被害を受けたヒラマラヤの山裾の村に行こうと奮闘する一方で、ネパール国民は困窮した200億ドル規模の経済がどうやって行く手に待ち受ける復興の課題に対処するのか疑問に思っている。 カトマンズのダルバール広場の建物を含め、歴史的な建造物や観光名所が地震で崩壊したことは、国外で特に大きな関心を呼び、国連教育科学文化機関(ユネスコ)のイリナ・ボコバ事務局長は破壊を「大惨事」と呼んだ。 歴史的な建造物