タグ

バルト三国とKGBに関するEreniのブックマーク (2)

  • 迫るロシアの脅威、バルト3国の悲劇再来を防げ

    今年6月中旬に、NATOは「ボトニア」という架空の国がスバルキ・ギャップを占領したというシナリオの下に、軍事演習を行った。ボトニアがロシアを想定していることは、言うまでもない。この演習では、米国、英国、ポーランドの混成部隊がヘリコプターでスバルキ・ギャップに送り込まれ、ボトニア軍を攻撃。その後、南方から米軍の戦車部隊が進入して、スバルキ・ギャップを制圧した。 演習はNATO軍の勝利に終わったが、現実は厳しい。筆者は今回バルト3国を訪れて、この地域に山がほとんどなく、平原が多いために、戦車部隊による「電撃戦」を展開するのに適していることに気が付いた。ロシア軍の戦車部隊は、いったん国境線を突破したら、平原や、交通量が少ない高速道路を利用して、あっという間にビリニュス、リガ、タリンなどの主要都市に到達してしまうだろう。米シンクタンクのランド研究所は、2016年に発表した報告書の中で、「ロシア軍は

    迫るロシアの脅威、バルト3国の悲劇再来を防げ
    Ereni
    Ereni 2017/07/26
    『リガ市内には、ソ連の秘密警察NKWDとKGBが使用した建物〜市民に対する尋問、拷問、処刑が行われた。多くのラトビア人が、扉から中に入ったが最後、生きて帰ることは〜市民たちが露に対してなぜ強い猜疑心を抱くのか
  • 迫るロシアの脅威、バルト3国の悲劇再来を防げ

    独ソに翻弄されたバルト3国 バルト3国の歴史は、大国に挟まれた小国がしばしば味わう苦難の道程だった。彼らの運命はドイツロシアによって弄ばれ、多くの人命が失われた。バルト3国とポーランドは、列強の版図拡張によって、欧州の地図の上から何度も消されるという辛酸をなめてきた。 18世紀以来ロシア帝国に占領されていたバルト3国は、ロシア革命によって帝政が崩壊したのを機に、1918年に独立した。だが1939年にヒトラーとスターリンは、独ソ不可侵条約を締結。条約の秘密議定書は、ナチスドイツがポーランドの西半分を占領し、ソ連がバルト3国とポーランドの東半分を領土に編入することを取り決めていた。ヒトラーとスターリンという2人の独裁者は、東欧諸国の政府と国民が知らぬまに、これらの地域を勝手に分割したのだ。 ナチスドイツがポーランドに侵攻した翌年の1940年に、ソ連はバルト3国に攻め込み、強制併合した。バルト

    迫るロシアの脅威、バルト3国の悲劇再来を防げ
    Ereni
    Ereni 2017/07/26
    ソ連はバルト3国に攻め込み、強制併合した。バルト3国の閣僚や知識階層は次々に逮捕され、家畜を運搬する貨物列車に押し込まれて、シベリアの労働収容所に移送された。彼らの大半は、酷寒のシベリアで凍死したり病死
  • 1