山本太郎の件だが、衆院選に出馬する選挙区はやはり東京8区だった。政党前に元号を冠した某組と立憲民主党及び共産党との調整が十分にできていたとはおよそ考えられない。東京新聞を自らの宣伝媒体として利用した、悪い意味で「政治的な」動きだったと解する他はない。以下朝日新聞デジタル(会員記事)の無料部分より。 www.asahi.com 以下記事の無料部分を引用する。 山本太郎氏が衆院東京8区から立候補へ 一本化を調整中、野党は困惑 北見英城、神沢和敬 2021年10月8日 20時27分 れいわ新選組の山本太郎代表は8日、次期衆院選に東京8区から出馬すると発表した。同選挙区では立憲民主、共産両党で候補者を一本化する調整が進んでいた。山本氏の「サプライズ」参戦は、「野党共闘」に波紋を広げている。 「東京8区になります。石原家のご子息のおひざ元」。山本氏は同日夜、JR新宿駅前で、自民党の派閥領袖(りょうし
<日本政界の異端児・山本太郎との出会い、その評価、れいわ新選組の政策の出元、命を狙われる危険性、野党共闘の可能性......。山本の「ブレーン」と噂される男が饒舌に語った> 菅直人の衆議院議員初当選(1980年)の選挙を手伝い、以来40年間、数々の選挙に関わってきた市民運動家で選挙ボランティアの齋藤まさし。2009年の民主党による政権交代にも関わり、れいわ新選組代表の山本太郎の初当選をお膳立てしたのも彼だ(2015年の静岡市長選で公職選挙法違反で有罪となり、現在は公民権停止中の立場)。 ネット上では「極左の活動家」と言われ、山本太郎と彼との関係を不安視する声もあるが、6年間、山本を近くで見てきたのが斎藤であることは確かだ。山本本人は、「年に2~3回はお茶を飲んだり、意見交換する。でも選挙に関わる話を具体的に指示してもらうことはない」と言っている。 11月5日号の特集「山本太郎現象」では、山
参院選から3か月が経過し、党名に元号を冠した山本太郎の話題も下火になるとともに各種世論調査による同党の政党支持率も1%を切ることが多くなった。そんなタイミングに、以前から山本太郎のブレーンと目されていた斎藤まさしがインタビューに応じたが、私にはとんでもない「うしろ弾」にしか見えなかった。 www.newsweekjapan.jp インタビューは長い。以下抜粋して引用する。 ――山本太郎さんとの出会いについて。 2012年の10月下旬ぐらいかと思う。野田(佳彦)くんが衆議院を解散するという、ほぼ確実な情報が入ってきた。僕は菅(直人)さんが消費税10%を容認し、TPP(環太平洋経済連携協定)を持ってきた時点で民主党支持はやめていた。 民主党の中にも「民主党じゃダメだ」と言う人はいたし、国民も既存の政党を信用していないから、永田町の外から新党を作ろうという話が出てきた。そこで当時の滋賀県知事で現
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