ひとは時代のなかで生きている。 「大正の歌麿」と呼ばれた夢二が、 「白衣の骸骨」の絵を描いている。 竹久夢二「白衣の骸骨」 夢二(1884ー1934)は早稲田実業学校に籍 (明治35年ー38年)をおき、人力車の車夫、 新聞配達をし、アルバイトで自活していた。 当時彼が私淑していた安部磯雄(早稲田大学 教授)は、夢二の生涯に関係深いキリスト教、 社会主義、野球(部長)の三つを有していた。 夢二は神戸中学時代から野球ファンで、安部 は、明治34(1901)年日本初の社会民主党 を片山潜、幸徳秋水、木下尚江らと結成する。 当時の夢二について荒畑寒村の「寒村自伝」 によると、夢二は「往年の社会主義者であっ た」というと人は驚くが、彼は「平民社の常 連のひとり」で、一緒に自炊する学友三人は 「水とパンだけで過ご」し、社会主義実現の 議論を戦わしていたという。 夢二は、当時白馬会の洋画研究に通い、ハガ
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