ひとは時代のなかで生きている。 「大正の歌麿」と呼ばれた夢二が、 「白衣の骸骨」の絵を描いている。 竹久夢二「白衣の骸骨」 夢二(1884ー1934)は早稲田実業学校に籍 (明治35年ー38年)をおき、人力車の車夫、 新聞配達をし、アルバイトで自活していた。 当時彼が私淑していた安部磯雄(早稲田大学 教授)は、夢二の生涯に関係深いキリスト教、 社会主義、野球(部長)の三つを有していた。 夢二は神戸中学時代から野球ファンで、安部 は、明治34(1901)年日本初の社会民主党 を片山潜、幸徳秋水、木下尚江らと結成する。 当時の夢二について荒畑寒村の「寒村自伝」 によると、夢二は「往年の社会主義者であっ た」というと人は驚くが、彼は「平民社の常 連のひとり」で、一緒に自炊する学友三人は 「水とパンだけで過ご」し、社会主義実現の 議論を戦わしていたという。 夢二は、当時白馬会の洋画研究に通い、ハガ
メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 社会的な問題に対して、視覚的に何らかの意思を訴える「社会派アート」。本コラムでは、そんな社会派アートのなかでも、これまで芸術的評価の土俵にすらあげられていない国内の例を紹介する。今回は大日本帝国憲法が発布され、日露戦争が起こった明治時代半ばから終わりに焦点を当て、権力に抵抗した人々の筆跡をたどっていく。 ジョルジュ・ビゴー《西哲夢物語の摘発(秀英舎事件)》1887年 出典:清水勲編『ビゴー『トバエ』全素描集 諷刺画のなかの明治日本』岩波書店、2017年2月、73ページ 愉快な労
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