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ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (8)

  • 砧狸 - Living, Loving, Thinking, Again

    世田谷美術館*1のツィート; 【6月2日、小さな訪問客】 美術館に入りたがる小さな訪問客と困る警備員。どこかで見たような光景ですが、砧(きぬた)の森の世田谷美術館の場合、訪れたのはタヌキの赤ちゃんでした。https://t.co/kAM6qMo0U0 pic.twitter.com/GrKpzeZc5A— 世田谷美術館 (@setabi_official) 2021年6月3日 砧公園*2に狸が棲息しているなんて知らなかった! See also 「6月2日、小さな訪問客」https://www.setagayaartmuseum.or.jp/blog/entry.php?id=blg00210 *1:https://www.setagayaartmuseum.or.jp/ See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090118/123

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    F-name 2021/06/04
  • 何故いまいちなのか - Living, Loving, Thinking, Again

    中村修也「『今昔物語集』と平安京の人々」『鴨東通信』(思文閣出版)55、p.5、2004 『今昔物語集』*1は何故「歴史学ではなかなか取り上げられ」ず、国文学でもあまり重視されないのか。 大きな理由の一つに、『今昔物語集』が説話集であるという形式の問題があろう。私は歴史学が専門なので、古典文学の立場からの評かは不案内であるが、強いて推測すると、文の用語の使用法が原則的ではないというのが、一つ問題になっているのではないかと思う。 たとえば「とても・たいへん」の意味の「いと」という副詞が平気で「糸」という漢字を当て字に使われていたりする。また、変則的な漢文が文中に登場したりする。これらはとても美文とはいえない。古典を正統に学ぶ人たちにとっては、とても模範的な文書とはいえないであろう。そんなところに『今昔物語集』が二番手か三番手の古典として位置づけをされる理由があるのかもしれない、と勝手に思う

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    F-name 2021/05/30
  • さわる・ふれる・歌舞伎町 - Living, Loving, Thinking, Again

    手塚マキ「話題の」『毎日新聞』2021年4月24日 手塚さんは「歌舞伎町商店街振興組合常任理事」で、「新宿・歌舞伎町*1で、ホストクラブをはじめ20軒ほどの店を経営」しているという。 「『手の倫理』(伊藤亜紗*2著・講談社選書メチエ・一七六〇円)は、「さわること=一方的で、物的な関わり」、「ふれること=相互的で、人間的な関わり」という差異から、コミュニケーションの在り方を問う名著だ」。 「歌舞伎町はさわりに来て、ふれて帰る街だ」という。 (前略)歌舞伎町で働く人は一方的に何かを提供し、さわるわけでもなく、まして「さわられる対象物」でもない。抽象的で一般化できる道徳に対し、具体的で個別のものが倫理だいう書の説明を踏まえれば「手の倫理」とはまさに、人と人の組み合わせの数だけ存在するコミュニケーションのことだといえる。 しかし、それは共依存に陥る危険性も孕む。お金が介在することでトラブルにな

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    F-name 2021/05/30
  • 如何に混合したのか? - Living, Loving, Thinking, Again

    共同通信の記事; ベトナムで新たな変異株 印英混合型、感染力強く 2021/5/29 23:02 (JST) 【ハノイ共同】ベトナムのグエン・タン・ロン保健相は29日、国内で新型コロナウイルスの新たな変異株の感染例を確認したと明らかにした。インド株と英国株の混合型で「(既存株より)空気中での感染力がかなり強い」としている。地元メディアが報じた。 ロン氏は新たな変異株は「インド型に、英国型に元々含まれていた変異が加わったものだ」と説明した。新たな変異株がどの程度広がっているかなど、詳細は伝えられていない。 ベトナムはコロナ対策の優等生とされてきたが、4月下旬からインド株や英国株の流入により北部を中心に感染者が急増。29日昼までの累計感染者は6713人。 https://this.kiji.is/771357430431727616 ところで、ウィルスがどのようにして「混合」するのかというメカ

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    F-name 2021/05/30
  • 新自由主義を支持する人たち - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/kechack/20071022/p1 新自由主義を支持する人々として、「保守主義者」、「都市部の比較的リベラルな中所得層」、それから「企業経営者」と「都市部のエリートビジネスマン層」を挙げている。前2者は最近新自由主義支持から離脱したとされている。新自由主義支持層ということで、もう1つ忘れてはいけないものがある。日のこれまでノーマルとされてきた労使体制の外側での労働をしている人たち、所謂フリーターや派遣社員の人たち。この人たちは新自由主義によっていちばん痛めつけられている層であるとともに、フリーターや派遣の口は新自由主義によって増えているともいえる。だから、既存の労使体制というか会社組織にどっぷりと浸かってきた人たちにとっては、ドラマ『ハケンの品格』を視てもわかるように、この人たちは自らの仕事ばかりか実存的な居場所を奪いかねない脅威である。

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    F-name 2008/09/01
  • 橋下徹、部落差別問題を語る - Living, Loving, Thinking, Again

    『産経』の記事; 橋下知事が同和問題をめぐって激論 2008.3.7 22:37 7日午後1時9分、大阪府議会 大阪府の橋下徹知事は7日、3日目となる府議会会議の代表質問で、同和問題についての認識をめぐって、代表質問に立った共産党府議と激論となった。 代表質問で共産党府議団の黒田昌子政調会長は「同和行政を継続することは、かえって『逆差別意識』を生じさせるなど、同和問題解決にとって有害。同和行政を完全に終結することが必要では」と問いかけた。 これに対し、橋下知事は「差別意識はまだ残されており、同和問題は解決されていないと認識している。一般施策によりその解決に取り組んでいる。解決されていないとういうのは、私の経験でも実体験でもある。いわゆる同和地区というところで育ったが、現在、同和問題は全く解決されていない」と答弁した。 黒田氏が「知事は差別意識がまだあるといわれたが、同和行政と同和教育は終

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    F-name 2008/03/08
  • 「陰謀理論」を信じる人など - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080120/1200800305にて知ったのだが、4つの目を持っているという人が 最近、中堅政治ブログのいくつかで、911のことや、ケムトレイル、気象操作等について、トンデモ話といって誹謗してるサイトが出てきたようです。 とくにうちのブログ名を出してるとこ、名前までは直接出してないとこ、いろいろですが・・ いずれもそういうところを見ると、頭ごなしにトンデモ論と言ってるだけで、米国公式文書はじめ証拠として挙げてることに関して根拠を述べて批判してるところはなさそうですw 以前、某地震掲示板にケムトレイルのことを書き込んだ時の反応と同じようなもんやね! 別の例を挙げれば、植草氏冤罪事件のように、弁護側の証拠・証言や、検察側の言ったことに関する矛盾や疑問点などは一切取り上げず、一方的にまるでデタラメな警察発表だけを取り

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    F-name 2008/01/25
  • 肯定は否定に先立つ? - Living, Loving, Thinking, Again

    自己承認が、最初の他者(多くは親)による承認から生まれてくるのだとすれば、その親は誰に承認されたのか。──そのまた親から、ということになるのかもしれないが、このまま辿っていくならば、無限背進に陥る。最初に1をつくってしまえば、2、3、4を定義するのは簡単だ。しかし、最初に1をつくること。それが問題だ。 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20071128/p1 この「無限背進」を肯定すること。つまり、現在私に聞こえる「承認」は源的な〈承認の一撃〉の倍音の倍音の倍音であることを肯定すること。 別様に考えてみる。どのような辛い瞬間においても、その人の肉体は生きてある。いわば、肉体と肉体の置かれた世界の構造、ありとあらゆる自然界の法則は、そこにそのような存在者がいることを承認している。その場において、我思うゆえに我あり、なのだが、そのように我があることは、その場で可能

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    F-name 2007/12/06
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