ブックマーク / blog.goo.ne.jp/gekkan-io (199)

  • ビール - 日刊イオ

    最近(でもないか)、ノンアルコールビールとかビールテイスト飲料とかという商品が人気らしい。アルコールが1%未満しかはいっておらず、未成年者でも飲めるようだ。いま売れているキリンの「フリー」という商品は、アルコールが0.00%で、どんなに飲んでも酔わない。 「これから運転しなければいけないんだけれどビールが飲みたい」という人や、「医者からアルコールをとめられているけれどビールが飲みたい」という人が飲むのだと、勝手に推測しているのだけれど、どうだろうか。 でも、酔わないビールを飲んで美味しいのだろうか? 運転中などで酔えない状況のときに、ノンアルコールビールを飲みたいという心境になるのだろうか? 個人的にはまったく飲みたいと思わない。 イオ編集部のメンバーは仕事中、各々が好きなときに好きな飲み物を飲んでいる。コーヒーだったり、ジュースだったり、オロナミンCだったり…。アルコールが入っていないの

    ビール - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/11/08
    リンパ液もビールで出来ている私ですが、ノンアルコールビールを飲みたいとは絶対思いません!私もビールはコク派なので、朝鮮のビール「冷やして」飲んでみたいです。日本のビールではアンチ・スーパードライ派です
  • 「コッソンイ」作文コンクール - 日刊イオ

    月刊「イオ」を発行する朝鮮新報社主催の「꽃송이=コッソンイ(花房)」作文コンクール。 朝鮮学校に通う児童・生徒を対象に、1978年から毎年行われているもので、作品はすべてウリマル(朝鮮語)で書かれている。 社内では目下、その審査が行われている。 私は初級部3年生作品の1次審査を担当している。 学校での出来事、家族のこと。 彼ら彼女らの行動範囲はそれほど広くはないが、作品に描かれた精神世界は豊かだ。 初級部3年生という「低学年の最高学年」ということも関係してくるのか、作品のあちこちに「責任感」を持つことの大切もにじみ出ている。 幼い子どもながらに、自分たちよりも年下である1、2年生を慈しむ姿が目に浮かび、微笑ましくなると同時に、こういうところが朝鮮学校のいいところなんだろうな、と感じる。 中には、日学校でいじめに合い編入してきたが、朝鮮学校の友達はみんな優しいという作品もあった。 そして作

    「コッソンイ」作文コンクール - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/11/06
    私も小学校の頃は作文が大好きで、小学校3年生の時に書いた作文が「大阪の子」という大阪市の文集に載りました。えっへん。もちろん日本語なので、ウリマルで書ける子供たちの方がもっとエライと思います。あやおよ
  • 寒い日は感傷的になります・・・ 嗚呼、青春の日々(作詞作曲・北川悠仁) - 日刊イオ

    年下の知人に「始めて買ったCDは何ですか?」と質問されたので、「ゆずの『嗚呼、青春の日々』だよ」と答えた。 「それ、遅くないですか? 先輩の年っていったら、米米クラブの『君がいるだけで』とかじゃないんですか?」と言われたから、「いや、違うよ。違う違う。ゆずの『嗚呼、青春の日々』だよ」と、もう一度嘘をついた。 「当ですか?」としつこく聞いてきたので、「当だよ、当。そんなことで、嘘なんかつかないよ」と、顔を真剣にしながら嘘を嘘で固めた。 初恋のあの人が 一番最初に買ったCDは、後輩の言うとおり、米米クラブの「君がいるだけで」だった。近所の中古CD屋で100円で買った。中学1年生くらいだった気がする。もう10年以上前のことだ。 ゆずの「嗚呼、青春の日々」は買ってないし、持ってないし、借りてもない。 誰かがカラオケで歌っているのを聞いただけ。誰かがカラオケで歌っているのを聞いただけで覚えられ

    寒い日は感傷的になります・・・ 嗚呼、青春の日々(作詞作曲・北川悠仁) - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/11/05
    悪いと思いつつ、笑ってしまいました。私は超ツラいバイト時代、バイト先で有線でヘビロテしていた曲とかを耳にすると、その頃のことを思い出し景色が灰色に変わります。それも、青春の日々やったってことなんやろか
  • 彼女 - 日刊イオ

    先日、結婚した友達の家へとお呼ばれされた。 彼女に会うのは約1年ぶり。私が締め切りでキリキリしているときに、子どもが産まれたと満面の笑みの写メを送ってくれて、心を和ませてくれた彼女だった。 日友人である彼女は、海外留学経験を持ち、そこでアジア人差別を受けたという。「肌の色が違うという理由だけで差別されたのがショックだった」と話していた彼女。「朝鮮人」というだけで差別される私たちのことを、より深く考えられたと語っていた。久しぶりに会ったその日も、苦笑しながら話してくれた。 「あちらの国の報道が出るたび、心配になるんだよ。大丈夫?」 彼女も結婚して新しい生活が始まりいろいろ大変なこともあるという。 それでも彼女の夫と子どもとワンちゃんと共に囲んだ卓は、笑顔の絶えない卓だった。 この日ごちそうになったのは和風チジミとモツ鍋。 身体の奥底にまで温かさが染み渡る1日だった。(愛)

    彼女 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/11/05
    私も年に数回しか会わないけれど、同胞の親友が一人います。お互い通名で日本社会を生きているので、多くを語らなくても、話を聞いただけで何が辛いのかよく分かります。同胞でなくても分かり合えるっていいですね。
  • 生き返ったお風呂 - 日刊イオ

    1週間、中四国地方の取材に行ってきました。 日やっと会社に戻ってきて、今から1週間を取り戻すような感じで 仕事をやっつけ(?)なくてはなりません! 結構たまってますので…^^; 出張中の話はまた今度のせたいと思いますが、 昨日家に戻ると一つ変化がありました。 家の風呂がリニューアルされていました♪ 約1ヵ月前からわが家の風呂は調子がおかしく、 排水に異常をきたしているのか、水詰まりを起こし、 しばらく不便な状況を余儀なくされていました。 壊れてしまったみたいです。 そしてもうこれでは駄目だと急きょ、 風呂をすべて取り壊して新しくする工事をしたんです。 実はその工事が先週何日間か行われていて、 私も出張前日にスーパー銭湯に行かなければなりませんでした。 家族も数日間は銭湯通いをしたそうです。 その時にはもう風呂は取り壊され、壁もなく、 いろんな管やコンクリートがむき出しになっていました。

    生き返ったお風呂 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/11/05
    畳となんとかは、と言いますが、新しいって気持ちがいいですね。私も引っ越したばっかりなので、全てがピカピカなのですが、でも妙に落ち着かなかったりします。古さと親しさは、同じものだったのかも知れません。
  • 雨男 - 日刊イオ

    死後の世界や前世は何だったとか、霊感、何とか占い…のような非科学的なものはまったく信じていないので、こういうことを書くのもなんなのだが、自分は「雨男」ではないかと思っている。息子の運動会に3回行ったが、2回も雨に降られた。去年の朝鮮民主主義人民共和国創建60周年の祝典のときには、ずっと「おれが参加したから雨が降ったのか」と心の中で思い続け、いっぱい集まった同胞や日人にもうしわけない気持ちになっていた。その他、いろんな行事に参加した経験上、わたしが行くと雨が降る確率が高いという印象をもっているのだ。 だから、取材で各地で行われる同胞の行事、それも屋外で行われる行事に行くのが、ちょっと気が引けるのである。野外行事は天気が成功の大きな部分を左右するわけで、何ヶ月も前から地域の同胞たちが一所懸命に準備したものが、雨が降ることにより、まさに水が差されてしまう。天気は誰のせいでもないということはわか

    雨男 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/11/02
    私は曇り後晴れ女かなあと感じています。運動オンチなので、小学校の頃は運動会に雨が降らないもんかと願っていましたが、大体晴れてました。雨を降らせるのもまた才能だと思います。雷帝とか、強そでいいと思います
  • 学園祭 - 日刊イオ

    学園祭の季節がやってきました。 今日から武蔵野美術大学の学園祭が始まるそうです。 一応、美術科を出てる身なので気になります。 なので友達と久々にムサビに足を運び、学生さんたちの作品を見て良い刺激になればと思っています。 ムサビは毎年セットや模擬店が凝っていて、朝大の学園祭とはまた違った楽しさがあり、なにより学生たちがやりたいことを自由にやっているのがいいです。こんなことまでやってもいいのか?というくらい、自由です。 しかし規模がすごいので、いまだに全ブースを回りきれたことがないですが。 2、3年くらい前にムサビの学生らしき人が数人、朝大の学園祭にやってきて「焼肉ガーデン」のブースのところで「なんだここは…」という感じで戸惑っていたことがあったんですが、その焼肉ガーデンは今年も健在なのだろうか…。 真っ昼間からお酒を飲んでいるアジョシたちがいたりして、朝大生が立ち寄れない場所だった気がします

    学園祭 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/11/02
    学園祭、心配しましたけど、たくさんの人々が支援に来てくださったおかげで、無事に成功したようでホっとしました。大阪は午前中から雨が降り出して、昨日の四天王寺ワッソは残念でした(行ってませんけど)
  • おおらかな島 - 日刊イオ

    東京都八丈島。 東京であって、東京とは思えないゆっくりと時間が流れる、素敵な島。 その昔は流人の島だった。 羽田から1時間もかからないフライトで着いてしまうその島には、亜熱帯特有のスコールのような雨が降っていた。 そんな島での話。 とある島の人と酒席をともにした。 あしたばのてんぷら、くさや、づけ寿司など、島の料理を堪能し、島酒(焼酎)をあおる。 島のあれこれを聞きながら、また島酒を傾ける。 そんなおいしくも楽しい席も終わり、クライマックスシリーズの楽天の勝利にも酔いしれながら、千鳥足で夜道を歩いていると、私たち一行の横にパトカーが一台止まった。 ただたんに赤信号で停車しただけなのだが、その島の人が、「誰かな」と言いながら、パトカーに近づく。 何をするのかと思っていたら、トントンとたたいて窓を開けてもらい、一言。 「家まで乗っけてくれ」。 そりゃ無理だろうと思ったら、パトカーはすんなりとド

    おおらかな島 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/11/02
    本来、警察はわたしのテキなのですが、この島なら仲良くなれるかも知れないです(?)神妙な顔つきのネコが、ベストショットやにゃ~と思います。
  • 交流 - 日刊イオ

    先週日曜日、母校である長野朝鮮初中級学校創立40周年記念行事が行われ、私も里帰りがてら松の学校へと久々に足を運んできました。 私は松から車で1時間ほど離れた場所に住んでいるので、その日はバスで学校まで向かうということでした。 バスに乗り込むと中はブザーボタンなどが付いた路線バス。中には同胞と日の方たちも大勢乗っていました。聞くと日頃から交流を深めている労働組合の方たちで、今日はバスを格安で貸し切ってもらい、長野の学校へと共に来てもらうことになったということでした。 バスの中ではその方たちのあいさつなどもあり、朝鮮学校の経済状況の厳しさなども理解してくれていて、自分たちはたくさんのことはできないけれどこうして朝鮮学校に訪れて理解をもっと深めることはできるといったことを、話してくださいました。 創立記念行事は、幼稚園生から中学生までの児童・生徒の公演や同胞たちの公演また、売店なども出し、

    交流 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/29
    映画「ウリハッキョ」を涙ボロボロ流しながら見ました。大阪と違って、一県に一校しか無い地域もあるという事を初めて知って、子どもを寮に入れてまでウリハッキョの通わせたいアボジやオモニの思いとか、泣きました
  • アップ完了! - 日刊イオ

    ただいま9時18分。 来なら、もうアップしなくてはならない時間ですが、ネタがまったく思いつかない。いや、思いつくことは思いつくのだけれど、長くなりそうな気がして、読まれなさそうな気もして、短文を作ろう、短文を作ろう、と思えば思うほど、書けなくなります。 9時19分。 5分前に、閃きを求めて煙草を吸いに行きました。わが社は当然、禁煙ですので、喫煙所はベランダというか踊り場というか、そういう場所にあって、風が冷たくなってくるこの時期になると、寒くて、寒くて、震えながら煙草を吸います。何も閃かなかったので、まずい、まずい、と思ったのですが、とにかく、今のこの状況を書こうと決意して帰ってきたのです。 9時23分。 かつて、「神、大福もたらさず」というタイトルのブログを書いたときも、似たような感じで書き始めたことを思いだしました。 9時25分。 大学生の頃、短文ほど難しい文章はない、と教わりました

    アップ完了! - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/29
    短文は難しいですね(しみじみ)。批評の神様小林秀雄大先生も「文章は消すもんだ」と言ってました。河上徹太郎は秀雄に文章を見せると半分位消されると言っていたような。時間と字数の闘い、スゴハッショッスミダ。
  • 昭和のくらし博物館 - 日刊イオ

    東京都大田区久が原にある「昭和のくらし博物館」を知ったのは最近のこと。きっかけはこの小さな博物館に祖父母の遺品が展示されることになったことだった。 一人娘だった母は、祖父や祖母亡き後、祖母が余り布で作ったポジャギをはじめ、その遺品を大切に保管していた。その品々を目にした館長が、隣人の暮らしを紹介しようと声をかけてくれたことで、「ポッタリ(風呂敷)ひとつで海を越えて」(来年8月まで)と題する企画展に祖父母の品が置かれることになった。博物館の2階、四畳半の一室には祖父や祖母が生前に使っていたちゃぶ台ややかん、祖父手作りの鋳物や李家の族譜が展示されている。 その部屋には、孫の私が初めて目にするものがあった。「1945年8月解放記念」と刻まれた銀製のスッカラッ(スプーン)…。 1907年、慶尚北道大邱で生まれた祖父は、仕事を探すために玄界灘を渡ってきた。三重県で鋳物業を営み、解放後は同胞のための金

    昭和のくらし博物館 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/28
    去年、在日韓人歴史資料館が大阪で特別展を開催した時、オモニたちと見に行きました。洗濯に使う砧や、鍋や調理道具など、展示された物を見ながらオモニたちはみんな、家にこれあったわーって懐かしんで下さいました
  • いくつになっても注射は嫌です - 日刊イオ

    先週、インフルエンザの予防接種を受けてきました。 もちろん今大流行している新型インフルエンザではなく、 季節性インフルエンザに対応するワクチンを投与するというもの。 お決まりの注射です。 実はインフルエンザの予防接種を受けるのは今回が初めて。 仕事してる人みんなそうですけど、 かかったら大変ですからね~、 打てる手は打っておきたかったんです。^^; 病院へ行くと早速、インフルエンザの予防接種が初めてかどうかの質問をされ、 副作用などに関する説明書きを読まされ、 健康状態をチェックするシートに記入をし、 いざ診療室へ。 受付のおばちゃん、そし医師の先生たちが 「金さん、初めてだよね~!?」 「初めて受けるんだよね!?」と あんまり聞いてくるので、 なんとなく後の注射に不安を覚えました。 なにか相当な心構えが要るのか? やっぱり痛いのか?と… でもそんな不安をよそに、 予想通りの「チクッ」とい

    いくつになっても注射は嫌です - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/26
    インフルエンザの予防接種代を会社が出してくれるのですけど、私は歩く抵抗勢力なので、インフルエンザには絶対にかからないと思っています。で、インフルエンザ代だけを何とかしてくすねる方法はないもんでしょうか
  • モンテカルロ - 日刊イオ

    何かの書類やアンケートで趣味を書く欄があると、適当に「読書」「映画鑑賞」「登山」などと、そのときの気分で記入している(まあ、現実に記入するときは、一番画数の少ない「登山」と書くことが多い)。しかし最近ほとんどまともにを読んでいないし、映画も今年映画館に足を運んだのは2回くらいである。登山も好きだが年に3回程度しか行かないので、趣味とは言えない。 ほとんど趣味がないわたしであるが、唯一、趣味だと言えるのが囲碁である。一時期はせっせと囲碁のを買って勉強していて、「囲碁のを買うのが趣味」だという状況だった。今はだいぶと落ち着いて、月に1度程度しか碁石を持たないが、それでも趣味だと思っている。それじゃあ、趣味の欄に「囲碁」と書けばいいじゃないかと言われそうだが、どのように使われるかわからないアンケートなどに当のことを書きたくないという、在日朝鮮人の防衛能が働くのである。 囲碁を覚えたのは

    モンテカルロ - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/26
    朝鮮の人って囲碁をたしなんでいる人が多いのでしょうか。うちの父もハラボジもそうですし。私は囲碁は出来ませんが、小さい頃からお正月は花札で育ってきましたので、花札は好きです。趣味欄には書けませんけども。
  • 銭湯 - 日刊イオ

    一人暮らしを初めてから6ヶ月弱…最近やっと、銭湯を見つけた。 すごく近場にあったので、いままで家のお風呂で済ましていたのを考えると、ちょっと悔しい。 昔ながらの銭湯といった感じで、リフォームはしてあるものの、脱衣場は、焦げ茶色をした年期の入った天井がまだ残っていて、歴史を感じる。 小さい頃、ハンメとよく行った銭湯を一瞬思い出した。 近くを散策していたときに見つけた銭湯だったが、自動ドアのところに、営業時間や料金が表記されていたので見ると、値段の高さに驚いた。東京は銭湯まで高いのか…。 ワンコインでいけると思ったけど、入浴後のコーヒー牛乳などが飲めないから、600円くらいは必要か…、 モヤモヤ考えた結果、週に2回くらいのペースで行こうと思った。 ここよりずっと先の方に、すごく綺麗で大きなスーパー銭湯があるのだが、みんなそっちに行っているのだろうか。若者は自分だけでほとんどのお客さんが年輩の方

    銭湯 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/24
    ハッキョのオモニたちもお風呂屋さん大好きで、仕事を終えてお風呂屋さんに行ってからハッキョに来られたりもします。お肌つるつるで、めっちゃきれいです。生野は昔からお風呂屋さんが多くて、今もわりと残ってます
  • カルチャーと文化 - 日刊イオ

    東京のコリアタウン・新宿区大久保に、高麗博物館という小さな博物館がある。 「市民がつくる日・コリア交流の歴史館」と銘打った博物館だ。 同館では11月29日まで、「失われた朝鮮文化遺産」と題した企画展が開かれている。 写真と解説が記されたパネル展示が基だが、いかに多くの朝鮮の文化遺産が日に不法に持ち込まれたのかがわかる。 実は同館が入るビルの1、2階は、「韓流」好きには有名なコリアプラザ(同館は7階にある)。 通称・コリプラは、「韓流」スターたちのドラマ、映画、雑誌、CDなどを販売する、韓国のポップカルチャーが詰まったような店だ。 私が同館を訪れたその日も、コリプラは、多くのおば様たちで盛況だった。 彼女たちにも、アップデートなカルチャーだけでなく、ちょっと足を伸ばして、朝鮮半島と日歴史、そして朝鮮半島の文化にも目を向けてほしいと願う。 実際にはエレベーターに乗って「7」と押せばい

    カルチャーと文化 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/23
    6月に東京に行った時にハッキョのスタッフと行きました。民族教育の歴史の展示で、すごく勉強になりました。日本人は昔も今も朝鮮・韓国を消費するだけなのかな。知るとか学ぶとかしないのかな。かなしいですね。
  • ボウリングは嫌いなんです - 日刊イオ

    ボウリングはあまり好きじゃない。 ボールを投げ終わってから席につくまでの、リアクションに困るから。 ストライクやスペアをとるたびに、拍手を浴びる。 ガッツポーズをすればいいのか、するなら両手を挙げるのか、片手を挙げるのか、むしろしないほうがいいのか、どっちなのか。 とにかく、ボウリングは、その「間」がたまらなく嫌なのだ。 先日、久々にボウリングをやった。 地元の知人の男女10人ほどで(班モイム)。 グー・パーでチームを二つにわけて、登録名をあだ名にして、「えー、でも、上手そうだよねー」とか言われ、「いや、オレ、メッチャ下手だし」と答えて、「そういう人は絶対に上手いんだよ」と返され、「ってか、当に下手だよ」と半ギレして、とにかくそんな雰囲気のなか、ゲームが始まったのです。 ストライクをとったとき、振り向くと、みんなは最高の笑顔で、拍手をしていて、そんなみんなと、ハイタッチ。 パチン――。

    ボウリングは嫌いなんです - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/23
    小さい頃、お正月は毎年、ウェハラボジの親族一同が集まって大ボーリング大会やってました。なつかしーなー。ボーリングはみんなナルシズム全開でやってると思うので、リアクションは気にせんでいいと思います。
  • 海外同胞大会 - 日刊イオ

    2日前の金曜日に6.15共同宣言、10.4宣言の履行に向けた海外同胞大会が東京で開かれ参加した(写真)。朝鮮の統一を求めるために、アメリカやカナダ、ヨーロッパなどから海外の同胞たちが集まったのである。 しかし、会場の前には大会に反対する拉致被害者支援団体などが横断幕をもって大挙おしかけ、朝鮮民主主義人民共和国を誹謗中傷し民族排他的なシュプレヒコールを叫んでいた。 朝鮮民主主義人民共和国に反対するから総聯の施設におしかける、というのなら、まだ筋は通るが、朝鮮の統一のための大会におしかけて、朝鮮の統一とは関係のないことを叫んで何をしようというのであろうか。 おしかけてきた日人の多くは、自分の頭で何も考えることのできない人間なのであろう。日政治家は人気がとれるからと何も考えずに「反北朝鮮」の立場にたつのであろう。日のマスコミは視聴率が取れるなどの理由から何も考えずに「反北朝鮮」のでたらめ

    海外同胞大会 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/21
    民団で民主党との会合があったみたいで、先週の金曜日に民団に行くと、大ホールの舞台の上にテグキと日の丸が掛けられていて(略)昨日もまだ両方残っていて不愉快・・。↑日の丸は初めて見ました。媚びすぎですよね
  • 豪快!爽快!観れて良かった! - 日刊イオ

    先週の土曜日、Jリーグの試合を観にいきました。 対するは大宮アルディージャと川崎フロンターレ。 埼玉スタジアムで行われたためか、地元のサポーターが大勢かけつけていました。 職場の先輩と2人で行ったのですが、目的は一つ。 鄭大世選手の活躍を直に見ること! スタジアムの奥から目を凝らして見守っていました。 前半戦の序盤、フロンターレの選手が得点。 このままリードしたまま後半戦にもちこむと思いきや、 アルディージャの追い込みで1-1に。 その時です! 前半終了ギリギリのところで大世選手が、 こぼれ球を見事にシュートにつなげてくれました。 まさかの展開に先輩と2人で大興奮。笑 そして後半戦。 ゴールが反対になるので、フロンターレの「攻め」をより近くに見れるチャンス。 そこでやってくれました、大世選手が! 左足での豪快なシュートを^^ ちょうど私たち側からゴールにめがけて、という形だったので、 ばっ

    豪快!爽快!観れて良かった! - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/21
    サッカーチームでは、今年の夏に丸亀に行った時に見た「かまたまーれ讃岐」がJ2とかJ1に上がってきたら応援したいと思っているのですが(だって釜玉ーレってかわいすぎ!)それまでは、フロンターレ応援します
  • 命かけてと… - 日刊イオ

    月刊イオ11月号(写真)ができあがりました。 今月の特集は「提案! これからの朝鮮政策」と、ちょっと硬いものになっています。 日で政権交代が起こりました。この政権交代を、これまでの誤った日の朝鮮政策、在日朝鮮人をはじめとする在日外国人にたいする政策を見直し転換させる契機にしてほしいという内容です。 普段よりも多くの日の方々に原稿を寄せていただきました。 その他、いつものように豊富な内容の読み物を掲載しています。ご愛読を。 話は変りますが、先週の土曜日、音楽プロデューサーの加藤和彦さんが自殺したという、ショックなニュースがありました。加藤さんの曲はたいへん好きだったので、残念です。 「帰って来たヨッパライ」は記憶に残っている家にあった最初のレコードでした。加藤さんの曲のなかで1番好きだったのは、ベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」です。「あの素晴しい愛をもう一度」、「悲しくてやりきれ

    命かけてと… - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/21
    「月刊イオ」初購入、とても楽しみにしています。あれだけ同胞が関わっている雑誌を初めて見ました。かわいらしい小さなイラストにも作者の民族名があったり、そんな発見もうれしく思いながら隅々まで読んでいました
  • 新しい街 - 日刊イオ

    11月でこの街に住んで3年になる。住まいを変えるのは、大げさな表現だけど人生で6度目。将来的に子どもが徒歩で学校に通えるようにと選んだ場所だった。 物件回りをしていた当時、「ここだ!」と引越を決めたのは、ある日曜日の夕暮れのことだった。大きい道路が近くに通っているのがひとつの不安材料ではあったけど、100メートル先に公園と内科があり、また、どこか静かで懐かしい空気が漂っていたことが安心感を呼んだ。 住んでよかったと思うのは、隣近所に恵まれたこと。お花や木の植え方を教えてもらったり、お孫さんのおふるをいただいたり、子どもを自分の孫のように真剣に叱ってくれる。年末のつきに呼んでいただいた際は、みんなでワイワイと当に楽しかった。幼い頃、隣の叔母さんがおはぎを作るたびに分けてくれて、できたての味を楽しんだ思い出があるけど、それに似たようなやさしい気持ちに包まれた。 最近の楽しみは、三人乗りの自

    新しい街 - 日刊イオ
    F1977
    F1977 2009/10/21
    わたしたちのハラボジ、ハルモニは、朝鮮半島から日本に渡ってくるという、とても大きなお引っ越しをされました。二度と戻れない引っ越し。せめて、最後は安らかであってほしいと思います。