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2013年11月21日のブックマーク (13件)

  • http://twitter.com/researchmap/status/386468320574050304

  • ライナルド・ペルジーニ『哲学的建築 理想都市と記憶劇場』

    著者、ライナルド・ペルジーニは1950年ローマ生まれの建築史・思想史家。図像解釈学的な建築研究を試みており、建築の構造から時代の精神を分析しようと言う研究をおこなっているそうである。書『哲学的建築』でのペルジーニの試みは、建築という概念が認識の概念と分離不可能な時代において建築家は、哲学者でもあった、という観点から「哲学者-建築家」の系譜を描こうとするものだ。その「哲学者-建築家」の原始には、ヘルメス・トリスメギストスがいる。彼が築いたとされる理想都市はアドセンティンは、プラトンの『国家』における理想国家とも統合され、さまざまな変奏を生み出していった……というのがプロローグとなっている。そののちに取り上げられる「哲学者-建築家」は以下の通り。 理想都市国家:トンマーゾ・カンパネッラ 薔薇十字運動:ヨーハン・ヴァレンティン・アンドレーエ 記憶術的建築:ジョルダーノ・ブルーノ 記憶劇場の理念

  • イエイツの『記憶術』を読む #11

    第十六章 フラッドの〈記憶の劇場〉とグローブ座 残るは二章、ってことでサクッと片づけてしまいましょう。この章では「イギリス・ルネサンス演劇のメッカともいえる場所であり、シェイクスピアも所属していたグローブ座という劇場は、実は記憶術と関係していたのではないか!?」という世界ふしぎ発見的なミステリー読解が展開されます。グローブ座がどういう建物だったかについては、Wikipediaでもご覧ください。 グローブ座 - Wikipedia この建物、すでに復元されたりしているようなのですが、すごく謎めいた建物だったようです。とにかく、一切資料が残っていない。残っているのは「グローブ座の焼け跡を見たことがある」という人の証言や、また「グローブ座に似た劇場のスケッチ」ぐらい。そのわずかな資料からイエイツがこの『記憶術』を書いていた頃に、グローブ座の復元といった試みがおこなわれていたそうです。イエイツはこ

    イエイツの『記憶術』を読む #11
  • イエイツの『記憶術』を読む #10

    第十四章 記憶術とブルーノのイタリア語対話篇 ここまでかなりのページを使ってジョルダーノ・ブルーノについての話を進めてきましたが、いよいよこれが最後です。イエイツはブルーノの思想と記憶術を切り離すことができない、と考えていました。記憶術が彼の思想を読み解くための重要な鍵概念になる、と。したがってイエイツは、ブルーノの記憶術に関する著作でみられた「型」は、ブルーノの著作のすべてに痕跡をのこしている、という風に主張しています。この章ではその例としてイタリア語で書かれた対話篇を見ていく。まずは1584年にイギリスで出版された『聖灰日の晩餐』について。 この作品は「ブルーノのオックスフォード訪問と、そこにおけるコペルニクス的太陽中心説についての彼のフィチーノ的もしくは魔術的な解釈を巡ってのオックスフォードの学者たちとの衝突を反映し」(P.356)、ブルーノとその友人たちはロンドンの町並みを歩きなが

    イエイツの『記憶術』を読む #10
  • イエイツの『記憶術』を読む #9

    第十二章 ブルーノ記憶術とラムス記憶術の衝突 さて、前回はジョルダーノ・ブルーノが1583年に出した通称『秘印』という作品についての話で終わりました。繰り返しになりますけれど、イギリス(エリザベス朝時代)で出版されたこのはあまりにオカルトじみていたせいか、受け入れられませんでした。一部のサークルでは「こりゃ、すごい」と言われたんだけれど、まぁ、メジャーだったのがプロテスタントだったもんで仕方なかった。しかし、その一年後の1584年のイギリスでは、熱烈なブルーノ信奉者とラムス主義者のあいだで論争がおこっていました。ラムス主義については第十章で触れてます。忘れている方はそちらを確認、ということで。第十二章は、アリグザンダー・ディクソン(ブルーノ派)VSウィリアム・パーキンズ(ラムス派)によるこの記憶術論争の模様を追っています。 イエイツの見立てによれば、この論争は「俺のほうがすごい。俺のほう

    イエイツの『記憶術』を読む #9
  • イエイツの『記憶術』を読む #8

    第十章 記憶術としてのラムス主義 前章ではジョルダーノ・ブルーノが魔術的記憶術によって実現しようとした壮大なプロジェクトについて触れましたが、ルネサンス期には記憶術陣営の盛り上がりに対抗するようにして、反記憶術の動きも勢いをましていました。この章はその反記憶術陣営の代表として、ピーター・ラムス(ピエール・ド・ラ・ラメー)というフランスの思想家がとりあげられています。この人もなんかすごい人で、1515年に生まれて、1572年サン・バルテルミーの虐殺に巻き込まれて死亡……という歴史の犠牲者みたいな人です。彼は教育者としてさまざまなメソッドを簡素化し、再構築するような仕事をしていたみたい。それがスコラ哲学の複雑さを一掃する手段となるだろう、とプロテスタントには歓迎されたらしいです。 ラムスがおこなった教育方法の簡素化のひとつには、記憶術の撤廃も含まれていました。「場にイメージを埋め込む」という例

    イエイツの『記憶術』を読む #8
  • イエイツの『記憶術』を読む #7

    第九章 ジョルダーノ・ブルーノ――『影』の秘術 ここからがジョルダーノ・ブルーノのお話。彼についてなにも知らない、という方はそもそもこのコーナーを読んでいないかと思うのですが、一応参考としてWikipediaへのリンクを(信用性はよくわかりませんが、けっこう詳しく載っています)。 ジョルダーノ・ブルーノ - Wikipedia イエイツのブルーノヘの関心の高さは彼女の最初のが『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』という作品だったからも明らかです*1。この章からはそのブルーノ愛が全開になっている感じ。前章まででルネサンスのヘルメス的人間のメンタリティを形成する上で、強い影響を与えた思想についての確認が終わっています。ここからはイエイツはその影響下からヘルメス的人間として才能を開花させた最大の人物としてブルーノを取り上げます。まずはブルーノの生い立ちなんかから話がはじまりますけれど、こ

    イエイツの『記憶術』を読む #7
  • イエイツの『記憶術』を読む #6

    第七章 カミッロの〈劇場〉とヴェネツィア・ルネサンス ちょっと間が開いてしまいましたが気を取り直して参りましょう。前章はカミッロの〈記憶の劇場〉が当時(16世紀)に与えたインパクトと、その意味について追っていましたが、この章でイエイツが分析しているのは「カミッロの〈劇場〉が生まれた背景とはなんだったのでしょうね?」というところです。カミッロはそれ以前の記憶術とはまったく関係なく生まれてきた突然変異だったのか、それともそれまでの記憶術の影響をうけてそれを進化させた人だったのか。イエイツの結論からみていけば、彼女は「カミッロはそれまでの古典的記憶術と地続きである」ということです。これは前章でも触れられていることですね。カミッロの仕事の基盤には、マルシリオ・フィチーノ、ピコ・デッラ・ミランドーラという新プラトン主義者の仕事があり、そしてそこにはシモニデス流の記憶術も伝えられていた、ということです

    イエイツの『記憶術』を読む #6
  • イエイツの『記憶術』を読む #5

    第六章 ルネサンスの記憶術――ジュリオ・カミッロの〈記憶の劇場〉 記憶術の歴史をめぐる当初もいよいよルネサンスに格突入、いきなり〈記憶の劇場〉の設計者であるジュリオ・カミッロについてイエイツは書き始めています。カミッロの〈記憶の劇場〉(円形劇場)がどのようなものであったのか、については『哲学的建築』というを読んだときにもこのブログで紹介しています*1。 ……彼らはこの男が円形劇場とやらをつくったと申し述べております。何やらすばらしいからくりで、その中に観客として招きいれられた人は、どんな主題を巡っても、キケロはだしで弁ずることができるとのことです。(P.164) イエイツはこの章の冒頭でヴィグリウス・ツイケムスという男が書いたカミッロの円形劇場についての報告を引用していますが、これもなかなか魅力的な紹介になっていますねえ。これはヴィグリウスがエラスムスにあてた手紙なのですが、そのなかで

    イエイツの『記憶術』を読む #5
  • イエイツの『記憶術』を読む #4

    第四章 中世における記憶術とイメージの形成 引き続き、中世の記憶術の話です。前章では記憶術の「弁論術から倫理学への河岸変え」というダイナミックな変化について指摘されていましたが、イエイツはこの変化をとくに重要視しているようでかなり詳しく見ているようです。中世において、スコラ哲学の人たちが記憶術の規則を倫理学に適用したことで、13世紀にもその技法は伝えられ、さらにそれが14世紀により大きな影響の波となって時代へと流れ込んでいく……といったことが章のはじめで予告されます。この章は、先の時代へと進む前に、具体的に中世の記憶術とイメージの形成がどのようなものであったのか確認するものとなっています。具体的な記述が多いところですので、詳細は書を読んでいただいた方が面白いかと思われます。個人的には以下の指摘が興味深いと思われました。 アクィナスの記憶術の規則で重視されるのは、場よりも配列順であり、この

    イエイツの『記憶術』を読む #4
  • イエイツの『記憶術』を読む #3

    マラソンの練習中に思いついたのですが、この『記憶術』の著者、フランセス・A・イエイツ(1899-1981)って、今考えてみると元祖「歴女」(歴史好き女子、の略でいいんですよね?)みたいな人ですよね。左はいつのものかわかりませんがイエイツ先生の写真です。ちょっと怖い顔。最近になって彼女の評伝の日語訳『フランシス・イェイツとヘルメス的伝統』が出ています。こちらの表紙はさすがに若い頃の写真が使用されているようです。こっちはパッと見、ちょっと美人風。歴女ブームが来ているそうですから、我こそ歴女、あるいは歴女好き、という方は是非、イエイツ先生の著作にも手を出していただきたいところです。日の戦国時代なんかはっきり言ってスケールが小さいですよ! 「城がカッコ良い」とか言いますけれど「記憶の劇場」のほうがもっとダイナミックで最高です!! 第三章 中世における記憶術 いきなり脱線してしまいましたが、今回

    イエイツの『記憶術』を読む #3
  • イエイツの『記憶術』を読む #2

    第二章 ギリシアにおける記憶術――記憶と霊魂 さて、第二章でイエイツは再度ギリシアの記憶術がどのようなものであったか、というのを探っています。まずはギリシア式記憶術の始祖、シモニデスについて。さまざまな人に偉大な人物として語られたにも関わらず、彼が書き残した著作はもちろんのこと、ギリシア時代の書物でシモニデスの逸話を伝えるものは何も残っていないのだそうです。記憶術についてシモニデスの名前を出して言及しているのは第一章にでてきた三大ラテン語文献が最古のものなのだとか。しかし、実在の人物であったことは確かなようです。第二章の冒頭で彼のプロフィールが紹介されていますが、この文章はなかなか魅力的。 ケオスの人シモニデス(紀元前556-468頃)はソクラテスより前の時代に属している。若い頃にはまだピュタゴラスも存命中であったかもしれない。(残存する詩作品はほとんどないものの)ギリシア最高の叙情詩人の

    イエイツの『記憶術』を読む #2
  • イエイツの『記憶術』を読む #1

    いよいよ、夏が格化しそうな気配がするので、気で外に出たくない派である俺はフランセス・A・イエイツの『記憶術』をマトメるぜ! ということで当ブログにおいて最もハードコアなコンテンツである「ひとりぼっちの読書会」シリーズとして、精神史・思想史における大名著にとりかかります。現代社会を考察するのに役立つような思想書・哲学書ならいざしらず、「紙がなかった頃の人たちはこんな風にして物事の記憶をしていたんだよ」なんてところから始まるに誰が興味を持つのでしょうか? これまで以上にスルーされることが予想されますが、勝手に頑張ります。 書の主題は、大半の読者には馴染のないものであろう。ギリシア人は多くの学芸や技術を発明したが、記憶術というものをも発明し、それが他の技芸と同様にローマからさらにヨーロッパの伝統へと下っていったことを御存知の方は、殆んどあるまい。(P.15) 以上は序の一番最初からの引用

    イエイツの『記憶術』を読む #1