2020年9月30日をもってオタクの電脳ブログはサービス終了いたしました。 長らくの御愛好誠にありがとうございました。
電子書籍の衝撃は、思わぬ形で思わぬ者を襲いました。 ディスカヴァー社長室blog: 電子版と紙の本を読み比べ!『電子書籍の衝撃』刊行記念キャンペーンのお知らせ ●田中 『電子書籍の衝撃』の刊行を記念し、4/7(水)正午~4/15(水)正午までの約1週間、デジタルブック版『電子書籍の衝撃』を110円で販売キャンペーンを行います! いや、賢いヒトであれば「思った形」かも知れません。 アクセスが殺到した同サイトがエラりまくったのです。 この事件を、「所詮Webサイト構築の素人のやってること」と賢しく切り捨てるのはあまりに容易です。思わず嗤ってしまった関係者も少なくないでしょう。しかし弾言しておきます。電子書籍が普及した際に、そこで笑っているのは同社を含む「かつての素人たち」であると。 Amazonも、電子機器に関してはずぶの素人でした。初代Kindleは、いかにも素人が作ったデカくてゴツくて「な
ipadでpc使い始めるお子さんはふつうのpcを糞だと思いそうですね うまいこと言った!とは思うけど、そうじゃないと思う。 自動車のことを「四輪でエンジンがついた自転車」とは見ないように、生まれる時にもう既にiPadがあった人には、我々が使っているPCとiPadが同じカテゴリーのモノには見えないだろう。自転車と自動車が別カテゴリーであるように、PCとiPadは別のカテゴリーのものだ。 いろんなレビューを見れば見るほど、iPadは、顧客が本当に必要だったもの ではないかと感じる。 「顧客」とは、刷り込みされてない人類そのもので、だから、iPhoneは一歳児でも使えるし、iPadもそうなのだろう。 この子たちが成長するにつれて、「PCスキル」という概念は消えていく。問題はそれが使えるかどうかではなくて、それで何ができるかだ。iPadの画面は、クラウドに蓄積された全人類の知的遺産と、今生きている
新大陸に最初に到着した人は新大陸のことを何も知らなくて、そこがインドだと思っていて、そこに住んでいた人のことを「インディアン」と呼んでしまったんですね。 コロンブスに共通一次試験を受けさせたら、地理と歴史は惨憺たる成績になることは確実です。どんなオバカタレントでも、アメリカとインドの区別くらいつくと思いますが、コロンブスはそこを間違えてる。 今、iPadという新大陸を目指している人も同じようなもので、5年後に連れていって「電子書籍取扱主任者」かなんかの試験を受けさせたら、誰も受からないでしょう。知識が無いというより、致命的な勘違いをたくさんしてるはず。 しかし、コロンブスは、「西へどんどん進めば東の果てにたどり着くはずだ」という一番大きなビジョンについては正しかった。そこだけは間違えてなくて、そこに人生を賭けたわけです。 iPadで何かやろうとしてる人たちは、共通の認識として、次のようなこ
【国民の生存権を確実に保障するためには?】を書いてから【moikomi's Wiki - 《ベーシック・インカム》】からのリンクなどでベーシック・インカム(BI)を勉強していたのだが、【五人国家のベーシックインカム】はBIのイメージが分かりやすくて良かった。 そこで、国民が五人しかいない国を想定して、そこでBIを導入するとどうなるか考えてみます。 (五人国家のベーシックインカム - アンカテ) ベーシック・インカムって所得の再分配に過ぎないんだなぁと実感できる。財源の問題は、国民の所得の合計がBIで国民に支給する額を下回らなければ気にする必要はない。【五人国家のベーシックインカム】では、BIを平均所得の30%に抑えるようにしているので、「国民の所得の合計 < BI総支給額」となることはない。国民の所得が減るとBIが減らされて困窮するかもしれないが…。 また、以下のことは、ほぼBIの基本的な
著作物の写り込みや研究・開発、教育目的でのプログラムの複製など、偶発的・不可避な著作物の再利用を合法的に認める「権利制限の一般規定」の導入を検討している、文化庁著作権分科会の法制問題小委員会が中間報告書の作成に着手している。3月30日に開催された同委員会の第3回会合で、報告書の素案が大筋まとまった。 同小委員会では、3月17日に開催された会合で事務局が中間報告書の素案を提示している。今回の会合では、前回未定稿となっていた権利制限の一般規定に関する諸外国の状況に関する項目が追記されたかたちで、素案が再度提出された。 会合では、前回に引き続き、同小委下に設置されたワーキングチーム(WT)が整理した、“形式的権利侵害行為”の類型について議論。既存の個別権利制限規定の適用は受けないものの、利用の様態から権利者に特段の不利益を与えないながらも著作物の利用行為にあたる2つの類型を中心に意見交換が行われ
1曲しかなければその1曲を大事にくり返し聴く。 10曲しかなければその10曲を大事にくり返し聴く。 だけど1000曲が小さなボディにまるっと収納されて、 いつでもどこでも気軽に聴けるとなったら、 もうどの1曲もたいして大事じゃなくなる。 たいして大事じゃない1曲は、 それが1000個あってもたいして幸せじゃない。 大人になった時にそのことに気づいた。 CDや本が売れなくなってきた件 - 谷山浩子がどこかこのへんに… 谷山浩子さんのブログより。なんか、わかるなぁと思って。 高校生のころなんて、毎月のようにどのレコードを、どのCDを買うか悩んでた。悩んで悩んで悩み抜いて、これだ!ってのを買って、何十回も何百回も繰り返し聴いてた。 それからだいぶ経って、ある程度好きなようにレコードとかCDとか買えるようになった。5枚10枚と一気に買ったりもした。でも、なんか違う。 音楽とか芸術とか、ずっと既製品
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