ここまで3回にわたって、日本の宇宙政策新体制を関係者の証言から見てきた。今回は、1955年のペンシルロケット発射実験以来、日本はどのような体制で宇宙開発を推進してきたかを振り返る。 東京大学の学術研究から始まった宇宙開発は、1960年代末に政府の推進体制が固まった。この体制は1990年まではうまく機能したが、その後、機能不全に陥る。混乱は1998年の情報収集衛星の開発開始と、2001年の省庁統合でさらに増幅された。体制改革は2008年の宇宙基本法成立と2012年の体制改革を待たねばならなかった。 歴史を追うことで見えてくるのは、日本の政治の宇宙政策に対する不作為だ。今回は、その経緯を見ていこう。 1960年代末に日本の宇宙開発体制は成立した 日本の宇宙への取り組みは、1955年4月に東京大学・生産技術研究所の糸川英夫教授が全長23センチのペンシルロケットの発射実験を行ったところから始まる。