ハンス・ヘニー・ヤーンの「鉛の夜」朗読CDを手に入れたよ。バーナビーが参加してたからだよ。 Posted at 2011.09.20 lバーナビー・メッチュラート(活動&近況etc.) キュートなバーナビー・メッチュラートがドイツのオーディオブック(オーディオCD)に参加してました。 チュッ(*  ̄)( ̄ *)チュッ ハンス・ヘニー・ヤーン(Hans Henny Jahnn)というドイツ作家が書いた「鉛の夜」(原題:Die Nacht aus Blei) ハンス・ヘニー・ヤーンさんという作家さんは知りませんでした。日本のウィキペディアでもちゃんと紹介されている方だったわ。 → こちら 「鉛の夜」も日本で一度出版されていたらしく、日本Amazonのマーケットプレイスで手に入れられました。 「十三の無気味な物語」というのも面白そうだな。同性愛をテーマにした作品も書いていらしたようです。作者さん
連載 Wagneriana ワグネリアーナ ~ワーグナーにまつわるあれこれ 2 第2回 フランス文学界のワグネリアンたち ワーグナーの周辺情報を紹介することで、この19世紀の大作曲家に興味を持っていただこうというのがこのコラム。前回は音楽が話題だったので、今回は文学界について触れてみたい。 ワーグナーに強く関心を持った作家といえば、たとえば『悲劇の誕生』を書いたフリードリヒ・ニーチェ(1844~1900/思想家や文献学者というべきだが、ここでは広い意味として作家とする)や、講演集『リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大』のトーマス・マン(1875~1955)などがまずは想い出される。ドイツの作曲家なのだからドイツで名が知られるのは、まあ当然と言えば当然。巨人ワーグナーの名声は自国内で留まるはずもなく、さらにはお隣フランスでも相当に話題となり、注目されてゆく。 フランスでのワーグナー人気 大い
レヴィ=ストロースとは何者か。その思想の核心は何か。20世紀の知を牽引し、100年を生き抜いた碩学が遺した思惟の森は途方もなく深い。そしてその仕事は、来るべき思考として、私たちの前にそっと差し出された贈り物だ。 著者は音楽的書物といわれる『神話論理』のスタイルに倣い、鬱蒼とした森から響く音に耳を澄ませて、核心に遭遇しようと旅に出る。 最初で最後のフィールドであるブラジルの森の記憶、土器のかけらの感触、民族学が本質的にもつ苦さ、目眩めく日没の光景、ナンビクワラの猿、森と鳥の秩序、神話の時間、大地と人間…。『悲しき熱帯』『神話論理』を導きの糸に、レヴィ=ストロースの思考の種子が生き生きと芽吹き、自在に展開していく。さらに同時代人シモーヌ・ヴェイユやシュルレアリストとの関わりなど、生きた時代の背景が明らかにされる。生と死の螺旋から、遺産を継承する小道がふいに現れる。夜の豊かなざわめきから、レヴィ
アレックス・ロス「20世紀を語る音楽」(柿沼敏江訳、みすず書房)が刊行。二巻本です。おそらく、この10年間でもっとも衝撃的な現代音楽を俯瞰した著作。このロスの著作から出発して、21世紀の音楽が語られることになるでしょう。長大な内容の、まださわりしか読んでませんが、20世紀音楽の価値を見事に相対化。これを読むと「無調」の手法で作曲することの「無意味さ」が伝わってきます。まさに「無調」のなかに織り込まれた政治、統治の思想。とくに若い世代の作曲家に読んでほしい。そして、古くさい前衛思考を一掃するいい機会にしてほしい。このロスの本こそ、20世紀から21世紀への音楽の方向づけのターニングポイントとなるでしょう。
20世紀を語る音楽(1・2) [著]アレックス・ロス[評者]奥泉光(作家・近畿大学教授)[掲載]2010年12月12日著者:アレックス・ロス 出版社:みすず書房 価格:¥ 4,200 ■時代の熱と鼓動伝える壮大な物語 いわゆる西洋クラシック音楽の世界で「現代音楽」というと、調性から脱した新ウィーン楽派以降の音楽をなんとなくそう呼んできたわけだが、しかし、それは百年も前の話なのであって、いくらなんでも「現代」ではないだろう。一方で新ウィーン楽派と同時代ないしそれ以降も調性のある音楽は書かれ続け、では、それらは「現代音楽」ではないのかといわれると、違うともいいにくい。こうした曖昧(あいまい)さの原因は、二十世紀音楽の概念が全く明確でなかったからである。その意味で、西欧の二十世紀音楽の姿を、トータルな形で、明瞭な輪郭とともに描き出した本書は、まずは画期的といってよいだろう。 二十世紀音楽を語る
柿沼敏江訳 [全2巻] 『出版ダイジェスト みすず書房特集版』2010年12月11日号のために、細川周平氏(音楽学、国際日本文化研究センター教授)より、すばらしい書評エッセイをお寄せいただきました。 20世紀が語る音楽 細川周平 この浩瀚な書は1906年、リヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』のグラーツ上演にシェーンベルク、ベルク、マーラー、それにひょっとするとヒトラーが集まったことから筆を起こす。そこにはシェーンベルクをモデルとする、トーマス・マン『ファウスト博士』の主人公レーヴァーキューンも臨席していた。実在と虚構の作曲家の大いなる宴、そこには保守派と革新派、高踏派と大衆派、国際派と民族派の間の不協和音はまだ聞こえない。「過去と未来が衝突し、数世紀が一夜にして過ぎ去った」。数年後、シェーンベルクは「難解な」音楽、大衆にとっては「雑音」にすぎない表現に向かう引き返せない一歩を踏み出し
スピルバーグや宮崎駿の映画をみんなは観ている。しかし映画史の本にはゴダールがどうのこうの。シャガールや岡本太郎の絵をみんなは鑑賞する。けれど美術史の本には構成主義やらアンフォルメルやら。 芸術史は革新史だ。斬新奇抜さを追求し、玄人をうならせた方の勝ち。素人なんか知らないよ。批評家や学者は暴走し、なじまれないものについての歴史を書き続けてきた。かくて、親しまれる作品と専門家のほめる作品とのずれは広がる一方。 断裂が特に甚だしいのは20世紀クラシック音楽史。シェーンベルクやウェーベルンやブーレーズの、耳になじむメロディもハーモニーもリズムもない前衛音楽こそが進歩の担い手。専門家たちは説き続けた。 ところが音楽ファンの聴く20世紀物と言えば、ストラヴィンスキーのバレエ音楽だ。ショスタコーヴィチやシベリウスの交響曲だ。ブリテンの歌劇だ。ガーシュインの交響的ジャズだ。いつまでたってもそうだ。シェーン
第30回サントリー学芸賞(サントリー文化財団主催)が12日、以下のように決まった。賞金各200万円。贈呈式は12月9日、東京・丸の内の東京会館で。 【政治・経済部門】堂目卓生「アダム・スミス−『道徳感情論』と『国富論』の世界」(中央公論新社)▽松田宏一郎「江戸の知識から明治の政治へ」(ぺりかん社) 【芸術・文学部門】奥中康人「国家と音楽−伊澤修二がめざした日本近代」(春秋社)▽林洋子「藤田嗣治作品をひらく−旅・手仕事・日本」(名古屋大学出版会) 【社会・風俗部門】片山杜秀「音盤考現学」・「音盤博物誌」(アルテスパブリッシング)▽平松剛「磯崎新の『都庁』−戦後日本最大のコンペ」(文芸春秋) 【思想・歴史部門】日暮吉延「東京裁判」(講談社)▽松木武彦「列島創世記−旧石器・縄文・弥生・古墳時代」(小学館)=敬称略
高橋悠治|コレクション1970年代 (平凡社ライブラリー (506))posted with amazlet on 08.03.02高橋 悠治 平凡社 (2004/07) 売り上げランキング: 181607 Amazon.co.jp で詳細を見る 作曲家であり、ピアニストである高橋悠治の著作集を読む。彼の作品について私はそのほんのわずかを録音で触れたことがあるだけだし、ピアノの演奏はほとんど聴いたことがない。音楽家である人物の作品に接するとき、今回のように「まず文章から入ってみる」という態度はあまり好ましいものではない、と個人的には思うのだが、大変面白く読んだ。 高橋の書く文章は硬質で、とても論理的である。そして常に政治的だ。とくに3部に分かれた全体の最後にあたる「生きるための歌」では、1970年代に東南アジアで展開された反体制運動のなかで歌われていた歌、あるいは貧しい人々の過酷な生活のな
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