雨季のバンコク2泊4日旅行記 夏は苦手と言いながら、春先の憂鬱を吹き飛ばしたくて、今年も海外旅行の予定をいれてしまった。昨年20年以上ぶりに海外に足を伸ばし、旅をすると人生の栞が増えることを実感してから、だんだん旅が好きになってきたように思う。 今年の行先は雨季まっさかりのタイ・バ…
「私はあなたに萌えています」 好意のある人に「私はあなたを愛しています」ということに対して、「私はあなたに萌えています」というとどうだろうか。この違和感はなんだろうか。ここに「愛の関係」と「消費の関係」の違いがある。萌えのフェティシズムとは、本来は消費の関係であるものを愛の関係へと倒錯している。 「消費の関係」 ・減算の関係。 ・相手を商品としてみる。商品はそのはじめにすでに価値があり、使っていくことで価値が減算していく。そしてどこかでそれを使い捨てて、代替品を手に入れる。 ・他者を手段とする「他者」回避。 ・処女信仰 「愛の関係」 ・加算の関係。 ・関係していくことで、他者がかけがえのない者、代替がきかない関係となる。ある意味で自らの一部となり、自分を犠牲にしてでも、その他者を守るようなことが生まれる。 ・なにを考えているかわからない他者に対してお互いに根気強く、向き合っていかなければな
http://d.hatena.ne.jp/kinghuradance/20070427 なんの調査もしないで印象論で書くけど、メンヘルという言葉には、性的なニュアンスがある。圧倒的に、女性に対して使われる言葉である。「精神疾患的な女性の振る舞いに、勝手に性的なファンタジーを押し付けて、レッテルを貼って面白がるなんて!」と、男たち(非モテ?)を、非難したくなる。しかし、裏返して、次のようにも考えられる。「メンヘラ」によって童貞ヘタレ文化系マインドが刺激されるというよりも、まさに男たちの性的な視線によって、「メンヘラ」が生成されるのではないのか? 私も何のデータも参照しないで脊髄反射で書くと、別にメンヘラは女子のみの専売特許というわけではないだろうし、純粋に「何らかの精神疾患を煩っている人」ということであれば、女子よりも男性の方が周りには多かったような気がするし、という思いがあります。 元メ
古典的作家主義の物語性か、それとも・・・・・キャラに萌えることか?・・・いや二択は間違いだけどね | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために ■キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20061210/1165932040 萌え理論blogさんより ■http://d.hatena.ne.jp/kaien/20061212/p1 SomethingOrageより いやーこのへんの話は、面白い。伊藤剛さんの『テヅカイズデット』を読んで以来、この辺の話がぐるぐるしているのだが、まだまとまりきっていない。 伊藤 剛 テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ たぶん、萌え理論blogさんのいう様に、レイヤーの違いでみるという作法があるというのは間違いあるまい。それが、古典的な作家主義のモノの見方とぶつかっ
11月4日、「アキバ・ロボット運動会」会場にて、「ハヤカワSFセミナー・SFにおける人間とロボットの愛の歴史」と題してSF作家の山本弘氏による講演が行なわれた。司会は早川書房「S-Fマガジン」編集長の塩澤快浩氏。 山本氏は今年5月、ロボットや仮想現実を扱ったSF『アイの物語』(角川書店)を出版した。舞台は数百年後、機械に支配された地球。アイビスという名前の戦闘用女性型アンドロイドが人間の少年に対して「物語」を語るという形式をとった連作短編集だ。ロボットが知性を獲得していった経緯や、なぜ人類が衰退していったのか、アイビスがなぜ女性型で戦闘用ロボットなのかといった謎は、徐々に明らかにされる。バラバラの時期に発表された短編を一本のストーリーとしてまとめたこの作品は、SFファンや評論家たちから高く評価されている。 人間そっくりのロボットを作りたいという物語は、昔から繰り返し語られてきた。「ロボット
久々に恋愛についてのお話です。 今回は宮台真司氏のこちらの記事について。 生身の人間関係には全体性があるの。たとえば性格や振る舞いにも肯定面と否定面とが表裏一体あって、それらが合わさって人格になってる。人間関係もそうで、不愉快なもの、不幸なもの…全てを含めて初めて現実のドラマが成り立つ。悲劇がドラマの不可欠の部品だと理解することが、全体性に開かれた態度なの。全体性を踏まえて理想を目指すのが本来あるべき形だよ。ところが萌えにおける恋愛は全体性と何のつながりもない。「理想のコならこんな僕でも認めてくれる」って、現実にあり得ない「承認幻想」なの。 宮台氏の議論は非モテ界隈ではよくある「脱オタのすすめ」の一種であり、「萌えに逃避せずに現実(の恋愛)と向き合え」という論調です。「萌えに逃避している」と言われた側は当然反発するわけで、kagami氏のこの記事はこうした「反発」の分かりやすい例でしょう。
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